第3話 そうだ、百合営業をしよう3

 俺は、昔から『譲れないもの』が多かった。それは好きなものだったり、やりたいことだったり、自分を構成する要素だったりしたわけだが、そういうものを諦められなかった。

 『型にはまった』振る舞いなんてものをやろうとした時期もあったが、自分には無理だと早々に諦めた。そのせいだろう、いつも心の底からは周囲に馴染めずに、妙な疎外感もあったように思う。

 『型にはまる』ようなことはできないくせに、そこから生じる不利益を仕方ないと割り切ることもまた、できなかったのだ。


 だからきっと実のところ、皆が認め得る存在になれればこの靄も晴れるだろう、と。憧れと同時に邪な考えを持った。

 もしかしたら、この結末はその罰なのかもしれない。

 憧れだと口では言いながらも、実際は心のどこかで皆に認められるために刃を振るっている自分もいる。そういう割り切れない自分を誤魔化すために、戦うことを、虎面のことを考えている――。



 ぱちり、と猫乃門獄(ねこのもんひとや)は視界が開けるのを感じた。

 ぼやけた眼を何とか凝らして焦点を合わせると、そこは見慣れた天井だった。毎日見ている、古ぼけた白い天井。築三十年の八畳間の一室、すなわち我が家の天井だと悟るのに、そう時間はかからなかった。


 生きているのか。

 思いながら、ゆっくりと自身の手を持ち上げる。びきりと痛んだが、そこまで酷くはない。少なくとも以前――新人時代に『虎面の人型』と会敵した後よりかは、マシな状態らしい。

 包帯が巻かれていることから、何かしら処置を施してくれた者がいたことに気付く。

 しかし、一体誰が――?


「お、起きたか。一日眠っていたぞ」


 軽やかな女の声がした。聞いたことのある、凛とした、鈴を転がすような美しい声。

 その方へ視線をやると、薄紫の透き通った髪が揺れた。


「悪いが勝手に上がらせてもらった」

「……おまえ、何で」


 虎面と先に戦っていた女だった。女はパソコン前の質素な椅子に足を組んで座っていた。以前はしていなかったイエローの丸いカラーレンズをかけて、レンズ越しにその薄紫色の瞳をこちらに向けている。


「家のことか? 戦闘人免許証が貴様のポケットの中に入っていたからな。その住所を辿って来た。一応貴様の大鎌も運んで来てやったぞ。感謝しろ、獄(ひとや)」


 馴れ馴れしく名を呼んだ女が指をさした先には、愛用の大鎌が壁に立てかけられていた。折りたためば、猫乃門がしていたように背に運べる形状になるのだが、どうやら目の前の者はそのやり方を知らなかったようだ。


「……あぁ、悪ぃな。ありが――」


 促されるままに礼を述べようとして、ふと思い出したように叫んだ。


「そうだ! あの後どうなった!?」


 そう。猫乃門は虎面の人型と戦っていたはずである。虎面は捕まったのだろうか。目の前の女が倒したのだろうか。

 しかし女は突然大声を張り上げた猫乃門に柳眉を顰めつつ。


「全くやかましいな。仮面は逃した。貴様もかなり重傷だったからな。本当、人間のくせによくやる」


 その時、ふと思い出した。そうだった。あの瞬間には死んだかと思うくらいの怪我を負ったはずだ。それなのに、今は普通に起き上がれる程度には回復している。

 痛みはあるが、そうひどいものでもない。動くのにも大きな支障はないだろう。

 猫乃門の疑問に気づいたのか、先に女が口を開いた。


「傷は私が治した。貴様たちの言う魔術……いや魔法か? 貴様らの認識では何というのか知らんが、その力でな」


 ほら、と女が手をかざすと、ブォンと紫色の魔法陣が現れて、もう一方の手は緑色の光に包まれる。それを見ただけで、目の前の女がこの世界の住人ではないということが明確にわかった。


「まあ、完璧に治せるわけじゃないからまだ安静にしておけ」


 女は言うが、しかしあの怪我を一日で動けるまでには治したのだ。素晴らしい異能の力を持っていることに間違いはないだろう。


「……お前、異世界人か。“魔法が使える人間”なのか?」

「いいや、私はヴァンパイアだ。数千年は生きている。敬えよ、小娘」


 そう言った女の爪は確かにやけに尖っているし、犬歯は牙と呼べるほど鋭い。

 なるほど、見た目からして説得力はあった。ヴァンパイアは美形ぞろいだと言うし。

 女の態度は初対面にしてはかなり不遜であったが、しかし彼女の言葉に納得した猫乃門の意識は最早そこにはなかった。彼女は女の言葉にきらりと目を輝かせると。


「ヴァンパイア……!? ってことは、その血を飲めば俺もヴァンパイアに……!?」


 そう期待を込めて女を見たのだが。


「いや、それはない。そもそも、そんなことがあり得るなら世の中ヴァンパイアだらけになるだろう」

「でも物語では定番設定じゃねえか」

「この世界の言い伝えがどうであろうと、私は知らん。私は異世界人なんだ。世界が違えば理が変わるのは当然だろう」


 猫乃門もそれはそうだと思い直した。たとえヴァンパイアという大きな枠組み――血を吸うだとか鋭利な牙だとかヴァンパイアをヴァンパイアたらしめるもの――が同じでも、世界が変われば細かな在り方が変わることはあるだろう。

 それはこの世界の創作作品においてもそうだし、そもそも同じ異世界人の人間という種であっても、別世界であれば魔術やら異能やらを使ったりするのと本質的には同じだ。


「まあ何にせよ、私は貴様を助けた。あのままなら死んでいたであろう貴様をな」

「……」


 なるほど、その言い方からして何か代価を求められているのだろうことがわかった。

 確かに物事には対価がある。命を救ってもらっておいて、ありがとうそれでは、などと返礼もせず去ることは猫乃門の信条にも反する。

 しかし。


「それは感謝してるぜ。だが見ての通り俺はしがない底辺戦闘人(バトラー)だ。金はないぞ」


 八畳間の中心で肩を竦めた猫乃門に、女はただ心得ているとばかりに頷いた。


「あぁ、私もこんな貧しい生活をしている貴様から毟り取るほど鬼ではない」

「なら――」


 どうしろってんだよ、という一言をかき消すように女が重ねた。


「だから」


 その声は、どこが楽しげでもあった。踊るようで、軽やかで、期待に溢れているような、そんな声。しかし同時に、背筋を冷たい手でそっとひと撫でされたかのような戦慄もあった。

 されど女はそんな猫乃門のことなど構うことなく、ただ。


「だから、貴様は私の復讐を手伝え、猫乃門獄(ひとや)」


 女は恐ろしいほどに整った顔を、ぞっとするほど綺麗に歪めて微笑んだ。

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