第1話 そうだ、百合営業をしよう1
●第一章
目の前で、人形が如く整った顔をした女が、薄紫の艶やかなセミロングの髪を揺らす。女は至極真面目な顔をして猫乃門獄(ねこのもんひとや)を見つめていた。
妙に緊迫した空気で、思わずつられて心臓が普段より早く脈打つのを感じる。
女は静かに、ゆっくりとその薄紅の唇を開けると、まるで何か偉大なる提案でもするかのように言うのだ。
「百合営業をしよう」
さて、事の発端は一日前に遡る。
***
『《一説》』
パソコン画面の中で、少女の高い声が祈るように紡がれる。
『《鬼々雨降らし 或いは弥生の獅子なるか》』
ポワ、と青い魔術式が、白い軍服めいた衣類を身に着けた少女の周囲を回転し始めた。街灯だけがチカチカと灯る暗い夜道で、魔術式の青い光に照らされた濃いブルーの長髪が、星のように輝く。同時に、柔らかなウェーブがかかったそれがふわりと揺れた。
瞬間、少女は眦を決する。
『《地極・戦々鬼雨(せんせんきう)》!』
ざあ、っと。
突如彼女の前方だけが土砂降りの雨に変わり、その雨と呼応するかのように。
『GYAAッ!』
呻き声が聞こえた。モンスターのように蠢く火の塊が、段々と弱まり動きを鈍らせていく。
『今だよ! 晴(ハル)!』
青髪の少女が叫ぶと同時に、傍らにいたもう一人の白い短髪の少女が、耳に提げた五芒星の呪符を千切って指の間に挟む。
『《六根清浄急急如律令(ろっこんしょうじょうきゅうきゅうにょりつりょう)》!』
蠢く火の下に五芒星の陣が赤紫色に光り、ひと際強く発光すると。
ひゅんっ!
僅かな白い煙と共に、火の塊が消滅するが如く、その場から消えた。次いで上空から敵の様子を観察していたらしい墨絵のような白い鳥が、短髪の少女の肩に留まる。
少女は肩に留まった白い鳥を指先へ呼び寄せると、腹側に張ってある人型の和紙札――式札をぺりと剥がす。それから式札を半分に破ると、白い鳥はぽふんと煙を立てて消えた。
ふう、と小さく息をついて、その狩衣の袖で額の汗を拭う短髪の少女に、ひとつの影が近づく。
『流石だよ〜! 晴(ハル)!』
ぎゅう、と抱きしめた青髪の少女はすりすりと白い髪の少女――晴(ハル)に頬ずりをした。晴はそれに満更でもないような表情を浮かべながら、しかし静かに。
『こんなの……当然』
『も〜♡ 相変わらず素直じゃないんだから! でもそんなとこが可愛い♡』
動画投稿サイトの配信画面の中でぴったりとくっついた二人はまるで周囲にハートでも飛びそうなほど仲良さげである。
視聴者のコメント欄では「雨ハルてぇてぇ」「おつ~」「今日の雨ハルイチャイチャタイム」「かわいい」「尊百合」というコメントの合間に「今日もお疲れ様~!;¥1,220」「お布施;¥10,000」「二人で美味しいものでも食べて!;¥50,000」と、赤だとかオレンジだとかをはじめ、様々な色に着色されたコメントも並んでいる。
『みんなありがとう〜! じゃ、そろそろ配信切るね~! 名残惜しいけど、今日はこれから晴とお風呂タイムだから♡』
その瞬間爆速で流れるコメント欄を見ていたらしく『急に流れ早くなるじゃん!』と笑った青髪の少女は、微笑みながらひらひらと手を振る。
『ではでは! 魔術師系BTuber雨と』
『陰陽師系BTuber晴(ハル)』
『合わせて《雨ハルの乙女》の二人でした! よかったら高評価とコメント、チャンネル登録よろしくね~♡』
晴を抱きしめながら手を振る、雨と名乗った青髪の少女の映像を最後に、画面は真っ暗になった。
「はあ〜〜〜〜」
暗くなった動画の下部にあるタイトル――『【退治依頼】炎系モンスター!倒すよ!【雨ハルの乙女】』と投稿主である『【雨ハルの乙女】登録者数:75万人』の数字を見る女が一人。
パソコンの前で頬杖をつきながらバーベルを上げていた黒い眼帯の女、猫乃門獄(ねこのもんひとや)は盛大に息をつく。眼帯はその名の通り、猫の模様の上に、ピンクの絆創膏が十字にぺたりと縫い付けられた独特のファッションをしていた。
「やっぱコンビってウケ良いんだなァ……」
羨望の眼差しと共にぼんやりと呟かれた一言が、小さな六畳間の部屋に吸い込まれて消えていく。その声に、応える者はいなかった。
「俺はもっと小動物っぽい可愛さが好きだが……でもウケるのは分かる可愛さだ……」
黒いキャミソールにショートパンツという完全な部屋着に身を包んだ彼女はどこか満足気に小さく頷きながら、近くの卓上ミラーに視線をやる。
「まあ、俺も顔は悪くないんだがなァ」
毎日ケアを欠かさないためにすべすべの肌、筋トレにより引き締まった身体、もちもちの頬に小さな鼻とくりっとした大きな黒い瞳。眼帯から顎にかけて一直線に引かれた傷は目立つが、これも一種の美だろう。
しかし折角の童顔なのに、自分ではどうにも、あの己が好むような小動物的な可愛さが出せない。目にはキラキラのハイライトがなく、吊り目なのが一層小動物さを半減させる。笑えば悪魔染みたギザ歯があるのもいただけない。
にこり、とふわふわをイメージして笑ってみる。が。
「うーん、こりゃ戦闘狂キャラしか見せねえ笑い方だわ」
ふわふわどころか血でドロドロになっていそうな笑みになってしまった。
「もっとふわふわした感じなら俺は最強に可愛かったはずだが……ま、どっちにしろ自分の顔面じゃあ推せねえよな」
もにもにと膨らませた頬を両手で包み込みながら項垂れる。
それに、大事なのは見た目の『小動物らしさ』だけではない。中身も伴っていなくては。その点において、自分の性格ではあの守りたくなる愛らしさを出せそうにはなかった。
項垂れた拍子に、さらりと髪が揺れた。真っ黒なロングのストレートヘアに水浅葱のバレイヤージュが施された髪は少しばかり派手だが、今この世界においては最早目立たない髪色だ。
なぜなら、今この世界には、青だとか白だとか、ピンクだとか紫だとかいったフィクションめいた髪色をした人間で溢れているのだから。
六年前、日本を中心とした世界に、異世界からのゲートが開いた。一瞬開かれたそのゲートから出てきたのは、水色のスライム一体だった。
強い攻撃性はなかったが、貴重な資料――研究材料として万全の体制の中で無事捕獲され、その様は一時大きな話題になった。
しかし、事はスライム一体に収まらなかった。
それ以来そういうことが何度も起こったのだ。最初はスライムだったそれが、時にゴブリンになったり怪獣になったり妖怪になったりドラゴンになったりした頃には、ゲートから来たらしい異世界人なる人型の人間やら魔族やら獣人やらもこちらの世界に辿り着いていて、この科学の世界はあっという間に様々なファンタジーが闇鍋状態に組み込まれた世界へ変化していたのだった。
後に、どれだけ試してみてもゲートから向こうの様々な世界に行くことはできず、こちら側に来ることだけができると判明した。
よって結果的に、異世界人たちは仕方なくこの科学の世界に住まうことになったのだ。最初の内は異世界人に対する世間の目も厳しかったが、のちに彼らに対する差別心や敵愾心は落ち着いていった。
その大きな理由の一つとして、戦闘人(バトラー)という職が人気を博したことが挙げられる。
異世界人の中には国からの援助を得て何らかの職に就く者もいたが、一方で国は数多やって来るモンスターの討伐にも頭を抱えていた。そこで、あらゆる『この世ならざるもの』を退治する戦闘人(バトラー)という職業が生まれたのだ。
華やかなその職はまるでアニメや漫画のヒーローのようで、一気に持て囃された。
しかし、異世界から異能の力を持った者たちはあまりにも強く、そして数が多かった。
やって来るモンスターの強さと数に比べて、どんどん増えていく異世界人はあぶれ、ついに――世は戦闘人(バトラー)飽和時代へ到達した!
猫乃門はやはり小さく息をつきながら、無意識の内に自身の眼帯へ手を添えた。
彼女は人間だ。それも、この世界の人間。
魔術も魔法も陰陽術も忍術も異能の力も何も使えない、ただの人間。
それでも戦闘人になりたかった。それは――。
「だってかっけえじゃん、戦闘人!!」
拳を握り締めながら子どものような理由を叫ぶ。
昔からファンタジーな物語が好きだった。魔王を倒したり、凶悪なモンスターに立ち向かったりする主人公にずっと憧れていた。
けれど同時にそれは、なれないものだと諦めていた。だってこの世界に魔王はいないし、悪いモンスターもドラゴンも妖精も不思議な力も存在しない。
ずっとそう思っていた。思っていたのに、ある日それがひっくり返った。
しかし、猫乃門獄は戦闘人になってすぐの新人時代に勇んだせいで右目から胸にかけて大きく残る傷を負った。
重傷を負った猫乃門は、ただでさえ人間であるがゆえに出遅れているのに、まだそれでも人が少なかった時代に怪我で活動できず更なる遅れを取り、結果として埋もれてしまった。
それでも諦めきれなかった。昔から、そうやって分かり切った現実を突きつけられながら、なお諦められないのが悪い癖だ。
「はーあ、良いよなあ、異世界人は。すげえ力持っててさ」
呟きながら、日課となった猫乃門が住まう依界(いかい)市がホームページで発信している『危険モンスター・敵性異人情報一覧』を眺める。
異世界からやって来る言語を介す者たちは友好的な者が多いが、一方でモンスターと同じく人間を攻撃しようとする者たちもいる。それが敵性異人である。
彼らはモンスター以上に力を持ち、時に人を襲っては死傷者を出す。基本的にそういう者はすぐさま捕捉され討伐対象として手配されるため、普段は人の世に紛れて生活したり、人の居ない場所に身を潜めているようだ。
猫乃門はマウスホイールをくるりと動かしながら、画面をスクロールする。
「……!」
最新の情報として上部にあるボケた写真の載った目撃情報に目をやる。写真には編み笠で白い花柄の着物を着た人型が、ブレながらも写っていた。編み傘は縁の周囲全てに呪符のような陣が描かれた紙が吊り下がっていて、その隙間からは顔の上半分を覆った虎面だけが見えた。
「レポート、上がってんじゃねえか」
思わず猫乃門はニヤリと笑った。
『虎面の人型』。通報により駆け付けた何十名もの戦闘人を相手しながら捕らえられることなく逃げ延びた伝説級の敵性異人のひとり。
かつて猫乃門に右目の傷をつけた相手であり、現在彼女が最も重視して追っている敵性異人でもあった。
――必ず倒してやる。
今や猫乃門にはそれが一つの大きな目標となっていた。
右目の恨み。残る傷の恨み。それもあるだろう。勝てなかった悔しさ、それもまたある。
ただそれ以上に。
(あいつを倒しゃあ、戦闘人として文句ねえだろ!)
ゆえに怪我から回復後もすぐに足取りを追ったのだが、虎面は猫乃門と接触以来ぴたりと姿を消していた。それが最近、再び現れ始めたのだ。
写真をスクロールしていくと、個体情報と目撃情報が記されている。
【『虎面の人型』――八月二十五日午前1時15分頃、依界(いかい)市××6丁目6-6周辺にて出現。被害なし。非常に危険な敵性異人であり、戦闘人は発見次第、市への連絡と討伐を願う。】
「近えな。巡回ついでにまわるか」
戦闘人は本来、個人か団体、市や国などから要請されて初めて報奨金がもらえる職業である。
つまり、たまたま見つけて討伐するだけでは報奨金が貰えないのだ。
それなのに、なぜ巡回などしているのか?
今や飽和した戦闘人は依頼がこない。底辺戦闘人は、基本的に依頼のためには名を売る必要があるのだ。
ゆえの動画サイトである。
彼らはその一環として動画配信サイトで人気になる動画を撮るために、依頼なしでたまに発生する雑魚モンスターを狩るのである。
あるいはもっと別の――自身の魔術だとかを使って面白い動画をあげたり、危険なことをしてみたり――方法で話題になろうとする者もいるが、猫乃門はあいにく人間である。雑魚モンスターを狩ってあわよくばを狙う以外に、何も思いつかなかった。
しかし、雑魚モンスターを狩るにしても、見目が派手な技や華麗な戦闘などならバズる可能性はあるが、猫乃門は人間なので人間用のカスタム武器で戦うだけである。望みは薄そうだった。
あるいは、偶然危険だと出回ってる凶悪モンスターや適性異人に遭遇し善戦したり、勝ったりすればバズる可能性もあるが……。
はぁ、と猫乃門は溜息をついた。
「やっぱ望みは薄いよな……」
別に筋トレも兼ねてるからいいけどよ、などと呟きながら黒のスキニーと白いパーカーを身に着ける。
パーカーは猫耳がついたシンプルなデザイン。そして踊る猫と化猫の浮世絵が縫われたスカジャン。背には猫の形をした髪色と同じ水浅葱と黒のプラスチックケース。『必勝祈願』の札と猫のぬいぐるみキーホルダーで装飾されている。
猫乃門は猫好きであった。ことあるごとに猫グッズを買い、あらゆるものが猫モチーフのものばかりになってしまうほどには。
ゆえに、カメラですら猫モチーフだ。
ふわり、とドローンのように宙に浮かぶ、猫耳付きの四角い掌サイズの筐体。それが撮影用のカメラであった。
自動追尾カメラ。少し値は張るが、現在では動画配信者には御用達の品である。事前に登録しておいた対象者を自動で追尾し、より良い画角で撮影する優れもの。異世界人がこの世界にやって来たおかげで開発された技術である。
異世界人の中には、魔術などの異能力ではなく、いくらか進歩した科学技術を持つ者たちもいた。彼らは国からの支援を受け、自身の知識を活かせる企業に属し、研究・開発に携わる。戦闘人以外の異世界人の道のひとつである。
他にも科学技術者ではなくとも、魔法具士や魔法武器職人などは、科学技術では援助できない戦闘人を支援する仕事に携わることが多い。
ピピピピ、とカメラが無機質な音を立てて画面を表示させる。そこにはカメラ越しの猫乃門の姿がばっちり映っていた。
彼女はカメラをしっかりと起動させたことを確認すると、夜の街に一歩踏み出した。
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