れん×ひと~BTuber配信は今日もフィクション~

ポメル・ノベル

第0話 プロローグ

●プロローグ



 悪夢である。猫乃門獄(ねこのもんひとや)は目の前に広がる光景を見て、ただそう思った。



 からりん、と軽い音を響かせて剣が地に落ちた。それに続くように、最後の一人がボロボロになった道路へ伏した。

 元はただの街路であった場所が、今や砕け、破壊され、さらには一部が氷に覆われ、その上に何十人もの同僚たちの四肢が投げ出されている。皆一様に意識を失っているか、傷を負い動けないまでに憔悴していて、立っている者は誰一人としていなかった。

 彼らが流した真っ赤な血は、さながらキャンバスののように白い氷を、赤々と満たして染めていく――。


 が、猫乃門はそれをせき止めるようにガンッ! と地を踏み締めた。

 殴られた衝撃で口内に溢れてくる血を拭いながら、いまだふらつく身体を自身の大鎌で支えて立ち上がる。


 ――大丈夫、まだ戦える。


 彼女は自身に言い聞かせるように、胸の内で呟いた。

 上手く躱して受け身を取ったおかげで外傷はせいぜい打撃痕程度。腹部と身体の至るところが少々痛むが、動けないほどではない。

 だから。


「おい、何帰ろうとしてやがる」


 もう終わったとばかりに踵を返した敵に向かって吠える。

 白い花柄の着物に、氷が如く白い手指から鋭い爪が伸びている、高身長の“何か”。

 何より、大きな編み笠を貫通するように生えた牛角のような何かが、まさしく相手を異形のものだと悟らせる。

 編み笠の奥は、その周囲がまるでレースのように呪符に似た札で隠されているため見えづらいが、ちらりと見える黒髪と虎を模ったような半面だけは、明確に確認できた。


「こっちは、まだ……終わっちゃ、いねえん、だよッッ!!」


 叫び声に呼応するように、大地を蹴った。

 大鎌を振り上げてその細い首を狙うが、それは虎面(こめん)がいつの間にか生み出した氷の刃で阻まれる。

 身の丈ほど大きな武器を、さながらステッキでも振るみたいに軽々と振り回してみせる敵に、その差を感じずにはいられなかった。身体的な、持って生まれた能力的な、その差を。

 その時、まるでその心情を見抜いたかのように――。


『何や。自分、人間か』


 初めて口を開いた虎面の声は、男のようにも女のようにも、人間のようにも機械のようにも聞こえた。“異国”の者がこの国の言語に適応させるために使う術に似ている。

 おそらくは虎面もまたその“特別な力”で調節しているのだろう、この街路を埋め尽くす氷と同じく。


「何だよ、お前喋れたのかよ」


 口角を上げて、吐き捨てながら告げた。しかし虎面はそんなことは瑣末とでも言いたげに彼女の言葉を無視すると。


『ただの人間が、本気で勝てる思てんのか』

「どうだかな。でも勝ったら面白えだろ」


 精一杯に笑って答えてやる。虎面はそれを阿呆と受け取ったのか、虚勢と受け取ったのか、あるいはどちらでもないのか――ただ感情の乗らない声色で。


『諦め、人間。自分には無理や』


 瞬間、猫乃門の中で燃え上がるように脳内が弾けた。それが怒りなのか、悔しさなのか、不快なのか、正確にはわからなかったが、ただすべてが一緒くたになって彼女の内を駆け巡る。

 その勢いのまま、再び地を蹴った。


「わりィが――諦められねえのが、俺の弱点なもんでな!!」


 激情のまま振り上げた大鎌が、虎面の頬の紋様をわずかに抉り取り、そこに傷をつける。

 油断かまぐれ当たりか。猫乃門は思わず一層口角を吊り上げたが、それは虎面にやる気を出させるのにも充分だった。


『ほな逝ねや』


 初めて口角を上げた虎面が振るった武器は、猫乃門の薄い頬の皮膚を裂き、塀を裂き、氷を裂き、大地を裂いた。ただの一振りで、天災のように世界が一変する。

 しかし、それに冷や汗を浮かべている暇もなかった。

 次の一撃が、二撃が、三撃が、容赦なく猫乃門に襲い掛かる。

 それを受け止めるだけで、ぶん殴られたかのような衝撃が彼女を襲う。


 けれど、けれども――猫乃門は笑っていた。

 これは虚勢ではない。心から湧き出る真実の笑み。

 そしてそれは、虎面もまた同じであった。その表情を読み取らずとも、猫乃門はわかった。刃を交えたその瞬間から、その感情が伝わってくる。歌のように、色のように。

 だから――ともすれば、終わるのが惜しいとすら思っていたのだけれど。


 ザバンッッ!!

 美しいまでの撫で斬りが、猫乃門の右の視界ごと、すべてを奪い去った。

 そのすべてを。



 もはや、声は出なかった。ただ意識だけが朦朧として、現実感がなくなる。自分がどういう状態なのかもわからない。

 興奮による脳内物質のせいか痛みが麻痺しているため、自分が掴めない。少なくとも左の視界はまだ生きているはずなのに、虎面の姿がよく見えない。

 それでも身体を動かす。大鎌を握っていると信じて、地を這う。

 動かせているのかすら、もうわからなかった。ひたすらがむしゃらに、感覚のない感覚だけを信じて、ただ。


『人間、自分の負けや』


 ぼんやりと、声がする。

 ぐにゃぐにゃと歪む視界と音声の中で、それだけは確かに聞こえて――。

 そして、猫乃門獄は、意識を手放したのだった。

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