第12話 最悪な一日 ⑤
「待て、こら!貴様、自分は何様と思いやがった!」
修吾が陽太の腕を掴み、そのまま力任せに引きずり倒した。
「お前に何が分かる! 自分の立場を弁えろ、このゴミクズが!」
修吾はさらに陽太を胸元から突き飛ばし、姿勢が崩れた陽太はトイレの奥まで倒れ込んだ。
他の男子生徒も追い打ちをかけるように蹴りを入れる。
「何だ、その鈍い反応神経」
「ハハハ! 弱っちいなぁ、こいつ!」
「こんな奴が、赤星さんに告白とか笑わせんな!」
「まさに、彼女に対する侮辱じゃないか?」
――便器の水は流れていたが、嫌な匂いが鼻をつく。全身がびしょ濡れになった陽太の惨めな姿を見て、彼らは罵詈雑言を吐き続ける。
「オイーー!中の人、扉を開けろ!」
廊下の向こうから中年男性の声が聞こえ、男子生徒たちは慌てて逃げ出した。
「おい、先生が来たぞ!」
「やべ、先生が来た」
「このまま出て行く良いのか?」
「開けないならさらにやばいだろ」
仕方がない一番扉に近い男子生徒が扉を止めたモップを外し、ちょっと外の様子を覗き見てみると、外の廊下に誰の姿も居なかった。
「変だな?誰も居ないじゃん?」
「まさか、一時的に離れだけか?」
「板津さん、早めに退散しないと……」
「今日はここまでにしてやる。二度と赤星さんに近づけなら、今度これだけ済むじゃないぜ」
修吾は捨て台詞を残し、トイレを去った。
その後、陽太はトイレの床に座り込んで動けなくなっていた。便器の水か、自分の涙か分からない液体が顔を伝う。
「大丈夫か、日野くん」
そこへ、慎輔が駆けつけてきた。手にしたタオルで陽太の濡れた顔や服を丁寧に拭きながら言う。
「しっかりしろ。俺がついている」
「風沢くん……どうして……?」
「板津たちが君を尾行しているのを見てな。違和感を感じて様子を見に来たんだ」
「そうか……」
慎輔は怒りを見せず、理性を保ちながらも、修吾の行為に対して批判の目を向けた。
「まさか、成績優秀でバスケも得意な彼が、こんな卑劣な真似をするとはな……がっかりだ。この件、何とか対処しないといけないな」
「あの……風沢くん、お願いがあるんですが……このことを先生にも、他の生徒にも言わないでほしい」
「何故だ?君は彼らに散々いじめられたじゃないか」
しばらく考えた陽太は、ゆっくりと首を左右に振る。
「この件が先生や他の生徒に知れたら、赤星さんの評価が悪くなってしまうかもしれない。彼女にはアイドルになるという夢がある。その夢を叶えるために頑張っている彼女に、迷惑をかけたくない」
慎輔は深く思案するように微笑み、言った。
「彼女に振られたのに、それでも彼女のことをそこまで考えるなんて……君は本当に人思いだな」
「赤星さんに惚れたのは僕の身勝手。付き合う縁がないなら、せめて彼女の夢を邪魔したくない。それに板津さんたちは、赤星さんに対して好意を持っているようだ。僕は彼女に近づかない限り、彼らが僕に手を出す理由もなくなるでしょう」
「そんな消極的な対処法じゃ、彼らは反省するどころかなく、また次の犠牲者が出るだろう」
「分かっています。でも、それは僕の責任ではない。それに今は……もう彼らと関わりたくない」
「分かった。ところで、どこか怪我はないのか?」
「平気だ……」
陽太は小さく首を振り、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「保健室から体操服を借りてきた。湿った服を着替えた方がいいだろう」
「……ありがとう」
慎輔の言葉に従い、陽太は制服を脱いで体操服に着替え、タオルで髪を拭いた。
トイレを出ると、二人は学校の中庭に向かった。そこには小さな木々が植えられており、木陰を作るベンチが空いていた。陽太はベンチに腰掛け、深く息を吸い込み、乱れた気持ちを静めようとした。
「日野、これからどうするつもりだ?」
「……特に予定はない」
慎輔は陽太の曇った顔を見ていられなかった。実瀬に振られ、さらに修吾たちにいじめられるというダブルショックを受けた彼を、どうにかして気分転換させたかった。
「そうだな……よかったら、少し俺の“観測”に付き合わないか?」
「風沢くんの観測って、確か人間観察みたいなことだよな?」
「ああ。俺が観測しているのは、空の星じゃない。地上で輝いている“人間”だ。面白い星がいくつも見つかるぞ。一緒に来てみるか?」
そう誘った慎輔だったが、陽太は笑って首を振り、ベンチを立ち上がった。
「すみません……今は少し、一人になりたい。家に帰るつもり」
「そうか。それもいいだろう」
「でも、風沢くんの観測、応援するよ」
そう言って、陽太は鞄を肩に掛け直した。
「日野、また明日な」
慎輔の穏やかな笑顔に、陽太は少しだけ表情を和らげ、こくりと頷く。
「はい、また明日」
強がりを見せつつも、陽太はどこか疲れた様子で、エアーチャリンコを押しながら重い足取りのまま学校を後にした。
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