第30話 約束

「いーやーだー! おかあちゃま、いっちゃ、や!」


 午後、支度を整えて奥様の所に行くとエステッラお嬢様が絶賛だだこね中だった。


「もう、エステッラ、聞き分けてちょうだい」

「やだぁー!」


 奥様はお嬢様にしがみつかれて困り果てている。


「エステッラ、わがままはダメだよ。ぼくもふたりがいないのさみしいけどさ」


 お坊っちゃまもお嬢様をなだめてるけど、お嬢様はやだやだと言って奥様から離れない。


 この中で話しかけるのは難しい。

 ど、どうしよう。


「あら、モエ。準備出来たの?」

「……お待たせいたしました、奥様」


 幸い奥様が気付いてくれたから挨拶は出来た。うん、こういう時、心読んでくれる人がいるってありがたい。

 ……って、これをありがたがってる自分が不思議。慣れすぎじゃない?


 まあ、準備出来たっていっても外出のための帽子をかぶっただけなんだけどね。


「帽子似合ってるわよ」

「ありがとうございます」


 こうやってお子様達といる時は奥様優しいんだよね。……あ、いつも優しいです。笑顔を微妙に黒くしないでください!


「もえ!」


 お嬢様の視線がこっちを向いた。


「はい、エステッラお嬢様。なんでしょうか?」

「もえ! おかあちゃまに、いくの、や! っていうの!」


 命令された?

 つまり、私が奥様に『バルバルザーレ卿の所には行きたくありません』、と言う……無理ゲーだろ、それ!


「私はただの使用人ですので、そういう権限はありません。申し訳ないのですが……」

「やだ! いうの! いわないとだめ!」


 うわー。どうすんのこれ。地団駄まで踏んでる!


「エステッラ、モエに無茶振りするのはやめなさい」

「やだぁ。おかあちゃま……」


 ついに泣き出してしまった。奥様は困った顔でお嬢様を抱きしめている。

 可愛い。可愛いけど、これは確かに困る。


「おかあちゃまぁー」


 お嬢様は奥様の腕の中で甘えてる。

 これ出発できないのでは? ま、いっか。


 と、思ったら奥様がこっちを見た。あ、これ目線でわかるわ。『諦めた? 裏切り者め』とか思ってるわ。


 でも、これを振り切るのは無理じゃないかな?


「帰ったら思い切り遊んであげるから、ね」

「ほんとう?」


 あ、奥様の言葉にお嬢様がちょっとぐらついた。


「本当よ。お母様とお兄様とモエと四人で遊びましょうね」

「んー。おにんぎょあしょびする?」

「ええ。しましょうね」

「わぁい! じゃ、おにんぎょ、よーいして!」

「え? エステッラさま……」

「待って、エステッラ。お母様とモエは今からお出かけをね……」

「や〜!」


 振り出しに戻った!?

 お嬢様頑固。そしてさらっと使用人に人形を用意してって命令しているのはやっぱり貴族なんだなぁ。


「早めに帰ってくるから、ね」


 説得する奥様を恨めしそうにじーっと見てるお嬢様。


「きちんと帰ってくるから」

「いつ? さんびょう?」

「三秒ではさすがに帰れないわね。家も出れないわ」

「むー」

「夜までには帰ってくるから」

「じゃ、やくしょく」

「ええ、約束ね。魔法で約束してあげる。『わたくし、ベアトリスとモエは用事が終わったらすぐに屋敷に戻ってエステッラとドミニクと遊びます』」


 そう言ってお嬢様と魔法で約束する奥様。魔法で約束って何? よく分からない。手はつないでるけどそれ?


「もえも!」

「わ、私もですか? お嬢様」


 ついびっくりして声がひっくり返ってしまった。私、魔法使えないよ。


「うん! もえも!」


 ど、どうしよう、と奥様を見る。


「そうね。モエも約束しなさい。さ、エステッラとおててをつないで」


 奥様が無茶振りした!

 でも、私の手は意思に反してお嬢様と手をつなぐ。あ、隷属。隷属久しぶり。いや、心の声聞かれるのも隷属だから久しぶりじゃない? どうなのかな?


「『私、萌絵とベアトリス様は用事が終わったらすぐにお屋敷に戻ってエステッラ様とドミニク様と遊びます』」


 待って待って! 口が勝手に言葉を! そしてなんかお嬢様と握っている方の手が熱い! これが魔法?

 なんか怖い。


「これで納得してくれたかしら? エステッラ」

「うん!」


 よかった。落ち着いた。ずっと泣きっぱなしだと心配だもんね。


「では行きましょうね、モエ」


 奥様が立ち上がって命令してくる。


「はい、奥様」


 返事はこれしか求められてない。


 それにしても奥様すぐに女主人の顔になったなぁ。さっきまでママの顔をしていたのに。

 すごいな、と思いながら奥様の後について部屋を出る。


「わたくしはモエの母親ではないから、あなたにママの顔は向けないわ」


 お子様達に声が聞こえない位置に来た時に奥様がボソッと呟いた。

 ……それは確かにそうですね。


「でしょう?」

「はい」


 そう言い合うのがおかしくてつい吹き出してしまった。奥様も笑ってる。


 でも、こうやって、今、和やかな雰囲気にするのは、奥様も行きたくないって事かもしれない。少しだけ緩んだ空気を味わっておきたかったのかもしれない。

 なんだかそんな気がする。


 そして、奥様からも否定の言葉は出なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る