第26話 噂話
はぁ。今日も重かった。
馬がいつも通り完食したバケツを下げながらつい心の中だけで愚痴を言う。
最初の頃よりは慣れたけど、やっぱり腕の筋力トレーニングとかいうのをしなきゃいけないんだろうか。
いや、私ずっといるわけじゃないし。でもいる限りはこの仕事しなきゃいけないし。
別に体力つけといて悪い事はないよね。
元の世界に帰っても力仕事はすることもあるかもしれないし。
そんな事を考えながらバケツを返すために庭を歩く。
「あの、あなたはこの家のメイドさん?」
と、思ったらいきなり声をかけられた。
振り向くと、四十代くらいの上品そうなおばさんが困った顔をして立っていた。
誰ですか? この人。
「何かご用ですか?」
こんな早朝からお客様が来るなんて事は今までなかった。なので警戒半分で尋ねる。
「実はエインピオ夫人に魔法の事でお伺いしたいとがあって来たのだけれど、このお屋敷、とても広くて迷子になってしまってね」
迷子。まあ、確かにこのお屋敷は広いよね。あてずっぽうに歩いてたら途方にくれちゃった感じか。ぽわぽわした感じのおばちゃまだもんな。って失礼か。
「だから申し訳ないのだけれど、執事さんかメイド長さんを呼んできてくださらないかしら」
そういう事ならよく分かった。
でも、お客様を一人ほったらかしてお二人を探しに行くのもよくないよな。待ちきれないって動いてまた迷子って事になったら大変だし。
と、困ってたら、前の方からカタリナが歩いて来るのが見えた。
「あれ? どうしたの、モエ。その方は?」
見知らぬご婦人に戸惑っているカタリナに事情を説明する。
「そう。だったらモエはお客様のそばにいて。私がメイド長を呼んで来るから」
「ありがとう、カタリナ」
「お客様もそれでよろしいですね?」
「私の気遣いまでしてくださるなんて優しいメイドさん達ですね。ありがとう」
優しいおばちゃんだな。きっと貴族様なんだろうけど、使用人にこんな言葉をかけてくれる貴族は少ないだろうし。
この間、奥様の部屋の前ですれ違った時にただ一瞥だけして去っていったカロルス様みたいな人ばっかりなんだろうな、普通は。
お客様の言葉を聞くとすぐにカタリナはその場を急いで離れる。
それにしてもやっぱりカタリナいい先輩じゃん。そんな人を貶めるなんてやっぱりカロルス様は酷い。
今度会ったら文句でも言ってやる!
「今まで力仕事をしていたのですか?」
そんな事を考えていると、お客様に話しかけられた。視線は私のバケツに注がれている。
「あ、はい。ユニコーン様の給仕をしておりました」
「そういえばエインピオ卿はユニコーンを使役しておりましたね」
実態は、はい、どーぞ! どんっ! って感じだけど。さすがに幻獣様にそんな扱いをしているなんて言えないし。給仕でいいよね。イメージは大事だと思うし。
「お若いのに、こんな大変なお仕事を……。エインピオ夫人は厳しいのですか?」
「いいえ。そんな事はないですよ。奥様はお優しい方です」
笑顔で否定しておく。だって雇用形態も悪くないし、安価で髪染めも作ってくれたし。
「そう。最近いろんな噂を聞くから心配していたのだけど、メイドに優しいなら良かったわ」
「噂?」
思わず聞き返してしまった。
「ええ。この間、さっき話したユニコーンが異界から女の子を連れて来たんでしょう。その事で魔法使いの間で色々と言われているわ」
その女の子、私です、とは言いづらい。
それにしても私の情報そんなに広まってるの?
「色々とは?」
どう反応していいか分からないので聞き返しまくりだ。
「エインピオ夫人が嫉妬のあまり彼女を監禁して非道な実験を繰り返しているとか、毎日魔法で痛めつけて泣きわめく声を聞きながら高笑いしているとか」
「はい!?」
つい素っ頓狂な声を上げてしまった。だって真実無根。確かに私の存在はある程度隠されてるけど、変な実験はされてないよ。
毎日メイドのお仕事しているだけ。
「彼女の事は存じ上げていますが、そんな真実はありませんよ」
こんな状況で、私です、とは言いづらい。ので他人のふりしてしまった。ごめんなさい、お客様。
「そうなの? 屋敷ぐるみで、という事はない」
「ありません。毎日元気に楽しく暮らしていますよ」
「そう? この前、バルバルザーレ卿から聞いたけど、エインピオ夫人に会いに行った時に、『彼女の事はこちらのやり方で有効に使いますから!』と啖呵を切られたと」
いや、そんな話初耳だけど?
確か、バルバルザーレ卿ってあの変なお客様だよね。使用人用の通路に不法侵入してメイド長さんを突き飛ばして私をジロジロ見たおっさん。
「バルバルザーレ卿といえば、その女の子に嫌がらせをしたという話がありますが」
とりあえず、バルバルザーレ卿ばかりに変な話を吹き込まれるのは良くないと思う。このおばちゃん簡単に信じそうだし。いや、実際信じてるよね。
「嫌がらせを? そんな話は聞いておりませんよ」
「本人がメイド長を突き飛ばして、乙女をジロジロ見たなんて言うはずがないと思います」
言うとしたらただのバカかと。
あ、バカとか思っちゃったけどいいよね。失礼な人だったし。
お客様はおっとりと、でも困ったような顔をしている。
「そう。真実無根なのね」
「はい。奥様はいい方です」
ちょっと旦那様大好きすぎるけど、あれは愛嬌としていいと思うんだよね。そういうところ見ると多少恐怖が薄れるし。
話を聞く限り、あの人のどこがいいんだ? と思わなくもないけど。
「でも、ちょっと前にユニコーンが召喚したものはエインピオ夫人が自らの手で屠ったというから、その子には気をつけるように言って頂戴ね」
「……え?」
時が止まった。
「屠っ……た?」
屠った? って、殺した?
こ、これも真実無根、だよね。今までの言葉は嘘だったし。
気が遠くなっていく。足が震えたくないのに震える。
わらいとばさなきゃ。そんなのはうそですって。だいたいゆにこーんのおとめはごじゅうねんくらいきてないはずだしほふれるわけない。
だいじょうぶ。わらいとばさなきゃ。おきゃくさまだっておっとりとわらっているし。
「当家のメイドに何をしているのですか!?」
不意に厳しい声と共に背中に支えが来る。
まだぼうっとしたまま振り返る。
「カロルス様……」
そして名前を呼ぶ。この人でも他の人がいてくれた方がいい。
「あら、ごめんなさいね。恐ろしい話を聞かせてしまって」
「義姉の悪口を彼女に吹き込んでいたようですが、どういう事でしょう? 事と次第によってはそちらに抗議させていただきますよ」
「ただの噂話ですもの」
お客様はおっとりと反撃する。私を支えてくれる腕が強くなった。なんだかとても安心できる腕だ。カロルス様なのに。
そんな風にカロルス様がお客様を睨んでいると、カタリナがメイド長さんを連れて戻って来た。そうしてお客様を連れて行ってくれる。
「モエ、大丈夫か?」
カロルス様なのに私を気遣ってくれる。
とりあえず無言で頷いた。
「ベアトリス義姉様に後で報告しようか。こんなほら話を吹き込まれました、と」
その言葉に震えたくないのにまた震えてしまった。こんな事、奥様に堂々と言えるわけない。
もし、肯定されたら……。
「わかった。僕が報告しておく」
そんな私を見てカロルス様はそう結論を出した。私は静かに頷く。
「まあ、ただのほら話だろうから深く考えないほうがいいよ」
そう言うが早いか、カロルス様は私の持ってたバケツをさっさと取り上げる。
「あ、私が」
「下げるんだろう。行こう」
そのまま私の手まで取ってくれる。もう私はなすがままだ。
でもさっきからその力強い手が私にはとても心強かった。
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