第15話 天使再び
いつものように奥様のお部屋に朝のご挨拶に行こうと身支度していたら、メイド長さんが訪ねてきた。
「モエ、今日は奥様はスタンピードを食い止めに行っていらっしゃるから、朝の挨拶はいりませんよ。よかったらその時間は朝食でも食べていてください」
「え……?」
本当は『はい、わかりました』と言うべきだと思う。でも、今までに聞いた事もない単語が出てきたのでついポカンとしてしまう。
「い、今、なんて言ったんですか?」
「だから、『奥様はスタンピードを阻止しに行っていらっしゃるから、今朝の挨拶は必要ない』と言いました」
「『スタンピード』……」
「はい、スタンピードです」
聞き間違いじゃなかった。
「この世界、ダンジョンもあるんですか!?」
そう聞いたらメイド長さんは『何言ってんだ、こいつ』という目で見てくる。
でも、私の質問はおかしくないと思う。だってフィクションのスタンピードは、大抵ダンジョンから発生するってイメージだし。
「『ダンジョン』というのはそちらの世界の森の名前ですか? この国の森にはそんな名の所はありません」
「つまり森からスタンピードが発生したんですか?」
「まだ発生してません! 発生するのを食い止めるために奥様が出ているのです!」
叱られてしまった。そうか。そうだよね。発生してたらもっと大騒ぎになってるか。
それにしてもスタンピード寸前? という事は、奥様は害獣という魔獣を倒しに行っているという事だ。
この世界の魔獣の事は他のメイドから聞いてる。夕食の時に同席しているテーブルで話題になってただけで、私は聞いてただけだけど。
この世界には、マナという魔力みたいなものがある。それは大気中にも漂っているが、動物や植物にも宿る。
そのマナを持ち、魔法を使う人間を『魔法使い』というのだそうだ。ついでに言うならエインピオ家は全員が魔法を使う事が出来るらしい。その中でものすごく飛び抜けているのが奥様なのだそうだ。
そして、マナを持つ生き物は人間だけではない。人間以外でマナを持つ生き物は魔獣という総称で呼ばれる。
魔獣は、人に害をなす『害獣』、マナを人間のために使い魔法使いと共存している『幻獣』、そして何もしない『ただの魔獣』の三種類に分かれるそうだ。
ユニコーンは幻獣らしい。
いや、あいつ、私と奥様困らせてるじゃん! 十分『害獣』じゃん!
でもまあ、あいつは旦那様が使役しているらしいから、私の知らない所で旦那様のお手伝いをしているかもしれないけどさ。でも大魔法使いに逆らってはいけないと思うのよ。
というわけで、私は人間と共存してるのかいないのかよく分からない幻獣様に今日も美味しいお食事を運ばなければいけないのだ。
今日は奥様への挨拶がないから先に朝ごはんを食べれるのがありがたい。あの緊張する時間がないのはちょっと変な感じがするけど。日常のルーティンとして慣れちゃったかな。慣れって怖い。
というわけで今日は朝食を食べてから、餌を受け取って厩に行く。
「あっさごはん」
「はいはい」
声がポンポン跳ねてるんですよ。やっぱりポップコーンだ。
文字にしたら絶対語尾に音符があると思う。
「セーラス! あそびにきたぞ!」
「せーらすー!」
馬が嬉しそうに食事を——絶対肉が入ってるからだ——しているのを冷めた目で見ていると、可愛らしい声が二つ厩の扉から聞こえてきた。
「あ、モエもいたんだ。おはよう」
「おはようございます、ドミニク坊っちゃま、エステッラお嬢様」
「おはよー、もえ!」
エステッラ様も元気に、そして可愛らしく挨拶をしてくれる。頭の上で揺れるプチツインテが可愛い。
しばらく遊び相手をしているからか、普通に仲良くしてくださる。正直ありがたい。
それにしてもなんて可愛いの。癒される。ポップコーンには笑顔は見せられないけど、この子たちの前だと自然と笑みが浮かんでくる。
「お二人ともどうしてここへ?」
「はやくめがさめたのに、おとうさまもおかあさまもおしごとにいっちゃってて。だから……」
それでエステッラ様を誘ってユニコーンに会いに来たそうだ。子供達の後ろの方を見ると馴染みの専属さんが目礼をしてくれた。私も目礼を返す。
『早朝からすみません』、『いえいえ、気にしないでください』。言葉にすると、こんな感じだと思う。
それにしても、早起きしたって事はお昼寝の時間が長くなるんだろうなー。まだ六時前ですよ。
「ねー、せーらす、のせて!」
「わ、私は今、食事中なんだ!」
お嬢様がポップコーンを見上げながらおねだりしている。それに対して馬は困った顔をしている。
「エステッラ、ちょっとまってようよ。セーラスちょうしょくのじかんだって」
「えー、せーらすのるぅー」
お坊っちゃまがなだめてるけど、やっぱり駄々をこねるお嬢様。
やばい! マジ可愛い!
そして、にっくきポップコーンが戸惑ってる姿を見るのも面白い。まあ、こんな黒い感情はお二人には見せない方がいいと思うので隠しておくけど。
「セーラス、それおにく?」
「そうだぞ。とっても美味しいぞ」
「そうなの? まえにおかあさまによんでもらったほんでは、うまはおやさいをたべるのがすきだってかいてあったけどなぁ」
悪気のないドミニクお坊っちゃまの言葉に笑いそうになる。馬が顔を引きつらせた。
「わ、私はユニコーンだ! 馬ではない」
「ちがうの? せーらすおうましゃん……」
エステッラお嬢様にまで言われて、馬は不機嫌そうにブルルと鳴いた。
「馬にはこんな立派な角はないだろう? 私にはある。そして私にはマナもある!」
幻獣とかいうやつですからねえ。私にとっては害獣だけど。
「じゃあ、しょくじがおわったら、マナをつかってるところみせて」
「みせて!」
お二人が可愛らしくおねだりをしている。
「それはご主人様の許可がないと駄目だな」
「えー」
ポップコーンの言葉に、お子様二人は不満の声を上げる。
「おとうさまはよるにしかかえってこないのにー」
「せーらすケチ。ばっしゅるばっしゅる!」
二人揃って膨れている。お嬢様は馬の体を軽くペチペチしている。
「私はケチではない! って罰するってどういう事だ? おい、エステッラ! そういう悪いところはあの女には似ないでくれ」
「あら、誰に似ては困るの? セーラス」
その声だけで誰が来たのか私には分かった。あーあ。しーらないっと。
馬が顔を引きつらせた。
そんな馬に向かって奥様はにっこりと微笑んだのだった。
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