第3話 奥様

 ぴしっ! ぴしっ! とリズミカルに鞭を打つ音が聞こえる。これは何なのだろう。私は少しだけ目を開けてみた。


 だが、私の目はすぐにしっかりと開く事になってしまった。


 そこにいたのは、すごい勢いで馬をいたぶる二十代半ばくらいの真っ赤な髪をした女性と、悲鳴を上げ続ける金色の角の生えた白い馬の姿だった。


 女性はとても美人なのに、明らかに青筋を立てた笑顔で、おまけに綺麗にセットしてあったはずの髪を振り乱して鞭を打っているのがとても残念だ。


 床には藁がしいてあるし、人間の家にしては狭いからここは厩なんだろうな。


 頭がくらくらする。ここは何なんだろう。何で私は厩なんかにいるんだろう。何かとんでもない事に巻き込まれたような気がするのに、頭はちゃんと考えてくれない。


 目の前では美女がまだ馬をいたぶっている。


「ヒヒーン! お願いだ! やめてく……」

「おだまりっ!」

 ぴしっ!

「いーやーだぁー! 私は間違ってなんかいな……」

「まだ……」

 ぴしっ!

「痛っ!」

「分かっては……」

 ぴしぃっ!

「ぎゃあ!」

「いないようねぇっ!」

 ドカッ!

「ぐえぁっ!」


 音を拾ってみるとこんな感じである。私には何が起こっているのかさっぱり分からない。とりあえず美女が馬に対して心底怒っているのは分かった。てゆーか、美女さん、最後蹴ったよね?


「あ、あのぉ……」


 おそるおそる声をかけてみる。馬は気まずそうに、美女は性悪そうな笑みを浮かべてこちらを見た。


「あらあら。いいタイミングで起きたわね、何も知らない愚かな乙女さん」


 なんて酷い言い草だろう。反論しようとしたが、美女が手を上げると、口からは何も出てこなくなってしまった。言葉が喉につかえる感覚がする。

 美女は私の声が出て来なくなったのを確認して、楽しそうに、でも冷酷に嗤った。


「こちらにいらっしゃい」


 美女の言葉と同時に私の足が動く。足は持ち主の意思とは関係がないまま歩みを進めていってしまう。おまけに美女の前に勝手に膝をついた。


 美女は満足そうに私の首を撫でる。その途端につっかえが取れたから喋れるようにしてくれたのだろう。


「隷属の魔法はきちんと効いているようで何よりだわ」


 そう言って、さも邪悪そうに嗤う。その口調はやっぱり私を馬鹿にしているように聞こえた。

 でも、その口調よりも、発せられた単語の方が気になる。


「れい……ぞく……?」

「そうよ。あなたはわたくしの奴隷になったの。うふふ。言う事を何でも聞いてくれるお人形さんが出来たなんて嬉しいわ。こういうの欲しかったの」


 嬉しそうな声でとんでもない事を言って来る。この人の精神はどうなっているんだろう。


「おいっ! どういう事だ! ユニコーンに選ばれし乙女になんて事を! 貴様はやはりご主人様にはふさわしくないっ!」


 馬が憤っている。その言葉で何が起きているのか大体思い出した。私は美女にとって、大事な夫に手を出そうとしている不届き者なのだ。それで、私は奴隷にされ、馬は鞭打ちの刑を受けている。


 そんな事を考えている間も馬はずっと奥様に文句を言っていた。いや、全部あんたのせいですよ、馬。


 それにしてもこの自称ユニコーンは弱すぎる。ユニコーンという生き物は凶暴だって何かで読んだはずなのにおかしい。もしかしたらこいつはユニコーンじゃなくてポップコーンなのかもしれない。白い所は一緒だし。


 奥様は慌てず騒がずゆっくりと鞭を振り上げる。


「ふ、ふんっ! そんな事をしたってお前なんぞに従わな……」

「打つのがこの子に対してだとしても?」


 氷のように冷たい手が私の頬を撫でる。

 冗談じゃない! 鞭打ちなんて嫌だ。さっさとここから逃げなきゃ。


「動かないでね」


 だが、足を動かす前に奥様の声が私の耳に落ちる。そのまま私の身体は奥様の腕の中に崩れ落ちた。

 身体は動かせる事は分かっている。なのにが動かない。


 そして私は奥様に拘束されたまま、ソファーに連れていかれる。狭苦しい厩の中でゴージャスなそのソファーは思い切り浮いていた。


「いい子ね。大人しくしているのよ、わたくしのお人形さん」


 私の首は奥様の膝の上でがっちりホールドされている。なんだか膝枕みたいだが、状況としては全然甘くない。しかも女同士である。おまけに彼女のもう片方の手には鞭が握られているのだ。


「さあ、どうするの?」


 奥様が馬に対して尋ねた。いや、思い切り挑発している。馬はブルルルと文句を言っているが、奥様には効かない。


 私も何か言いたいが、『隷属の魔法』というもののせいか、口からは何も出て来てくれない。


 こわい。私、どうなっちゃうの? 何で私がこんな目にあっているの?


「ふふふ。うっふふふ。あっはははは!」


 奥様が高笑いを始めた。明らかに私たちを馬鹿にしている。でもそんな行動をしたら美女が台無しだ。

 今はそんな事を考えている場合ではない。けど、現実逃避をしていないとやっていられない。

 私、本当にこれからどうなっちゃうんだろう。


「当然の報いですよ。単純なおバカさん。わたくしの愛しい愛しい夫に手を出そうとしたのですから」


 そ、そんな事してないのに。馬のご主人様が女に恵まれない可哀想な人だからとりあえずお見合いしてくれって言われただけなのに。既婚者だって知っていたら着いていかなかった。

 あ、でもそうしたらあの大草原に置き去りか。どちらにしても詰んでいる。


 あーもー! 全部この馬のせいだぁー! 鞭打つならやっぱり馬にしてよー!


「あら、いいの?」

「え?」

「このお馬さんを鞭打っていいのね?」


 にやぁ、と奥様は嗤う。

 うそっ!? 『隷属の魔法』って心の声まで筒抜けなの!?


「そうよ。つ・つ・ぬ・け」


 いーやー! さっきの現実逃避とか悪口とか何もかも全部聞かれてたぁー! そして語尾にハートマークがついているような気がするのは気のせいじゃないと思う。


「ではきちんと見ているのですよ」


 奥様は私の耳に冷たい声でささやく。そうしてソファーから立ち上がった。何故か私の身体は奥様のかわりに行儀良くソファーに腰掛けた。


 目をつむってやろうかと思ったけど、奥様の『見ていてね』の言葉で動かなくなってしまった。なのに目が乾かないのは魔法のおかげだろうか。


 おかげで私は目をそらす事も出来ず、奥様が鞭を打ってるのをしっかり見つめるはめになったのだった。

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