Voice.16 まだ教えてあげないんだから

「なんとかバレずにすん――」

「そんなところで何してるの?」


 耳もとで囁かれて、驚いて振り向く。

 すると、目の前に柚木真奈さんが立っていた。


「真奈さん!?」

「はーい。柚木真奈です。やっぱり聞かれてたか」


 真奈さんはそう言って苦笑いする。


「は、はい。……すみません」

「君が謝ることじゃないよ。悪いのはお酒飲んで大きな声で話してた真宵だもん」


 目の前に居る真奈さんは、動画やライブで見る真奈さんそのままだった。


「あ、あの、姉ちゃんとは友達なんですか?」

「うん、実はそうなの。高校生の時からの親友でね、私の真奈って名前と真宵の名前が似てるねって話したのがきっかけで仲よくなったんだ。ちなみに柚木は芸名で、本名の苗字は遠藤えんどう

「そうだったんですね」

「うん。今では真宵は私の大切な親友」


 あれ?

 でも今日ってたしか――。

 ふと疑問に思って、オレは真奈さんに聞く。


「あの、今日新しいアルバムの発売記念イベントだったんですよね?」

「そうだよ」

「仕事終わりにここ来たんですか?」

「うん。私空いた時間あればどこでも行くタイプだから」


 真奈さんは当然のように言った。

 めちゃくちゃフットワーク軽いな。


「オレは当たったらイベント行くつもりでした」

「あー抽選はずれちゃったのね。それは残念」


 すると、真奈さんはしばらく考えるような仕草をして、言った。


「ねえ、君名前は?」

「拓夜です」

「よし。抽選にはずれちゃった拓夜くんに、拓夜くんのためだけの握手会を開いてあげよう」


 オレは目をみはる。


「え!?」

「特別だよ」


 真奈さんはそう言って、右手をさし出す。

 オレは、真奈さんと握手をしようとして――。


「……どうしたの?」


 手をおろした。


「真奈さんの気持ちは、すごく嬉しいです」


 そして、続ける。


「でも、イベントの抽選にはずれたのに、オレだけ握手してもらうのは、イベントに行きたかった真奈さんのファンの人達に失礼なので、できません」

「そっか」


 人と目を合わせるのは苦手だ。

 でも、オレは真奈さんの目を見て言う。


「それと、オレにはいつか絶対真奈さんと一緒に仕事をするっていう夢があります。だから、すみません」


 オレがそう言うと、真奈さんは何かを思い出したように微笑んだ。


「どうしたんですか?」

「今日イベントで会った女の子も同じ目をしてたなって思って」


 その女の子ってもしかして――。


「その子、このあいだ私のラジオにお悩み相談のおたより送ってくれた子なんだけど、今日のイベントで会った時、『いつか絶対声優になります』って言ってくれたの」


 やっぱり篠原だ。


「私に憧れて、声優にじゃなくて、声優にって言ってくれたの、初めてだったからすごく嬉しかったんだ」

「あの……その子、たぶんオレの友達です」


 オレがそう言うと、真奈さんは驚いた表情をした。

 そして、呟く。


「……なるほどね。か」

「え?」

「なんでもない。あ、私に会ったことは朝陽ちゃんにも誰にも言っちゃダメだからね」

「わかりました」


 すると、真奈さんが言った。


「ちょっと耳かして」


 言われたとおりに耳をかす。

 そして、真奈さんは耳もとでこう囁いた。


「今日のことは……2人だけの秘密、だよ?」


 オレは、篠原に初めて囁かれた時のことを思い出す。


「じゃあ私、そろそろリビング戻るね」


 真奈さんはそう言って、手を振りながら戻っていった。

 オレは自分の部屋に戻って、ベッドに寝転ぶ。

 そして、さっき真奈さんに会った時のことを思い出した。

 他人と話すのが苦手なのに無理した緊張のせいか、それともずっと会って話してみたかった人に会えた喜びのせいかわからないけれど、さっきから心臓の鼓動がずっと速いままだ。

 思い返すと、うまく話せていたかわからない。

 でも、初めて会った真奈さんは、思い描いていた通り、明るくて、どこまでもまっすぐで、ファンのことを考えていて――。

 やっぱり、オレの憧れの人だ。


「真奈さんと友達だった姉ちゃんに感謝しないとな」


 その時。

 スマートフォンに電話がかかってきた。

 ベッドに座り直してから、スマートフォンを操作して電話に出る。


「もしもし」

「あ、たっくん?」


 スマートフォンから、篠原の声が聞こえた。


「篠原。今日のイベントどうだった?」


 すると、篠原は嬉しそうな声で言う。


「すっごく楽しかった! 目の前で見る真奈ちゃんかわいくて空気がキラキラしてて、ずっと私の目を見て話聞いてくれてて」

「うん」

「自分の番が来て真奈ちゃんのところ行った時にね、真奈ちゃんすぐコラボネックレスつけてること気づいてくれたの! たっくんと選んだワンピースも『私のイメージカラーに合わせて服選んでくれたんだー!』ってすっごく喜んでくれてね」

「そっか。よかったな」

「たっくんが大丈夫って言ってくれて、あのワンピース選んで本当によかったよ。ありがとう」

「どういたしまして」


 オレがそう言うと、篠原は急に小声になった。


「……で、それでね。私、真奈ちゃんに『いつか絶対声優になります』って話しちゃった」

「真奈さん、嬉しそうにしてたんじゃないか?」

「……うん。でも、憧れの人に直接言うなんて恥ずかしいよね」


 実際に真奈さんは嬉しそうにしてたけどな。


「……たっくん? どうかした?」

「な、なんでもない」


 そして、オレは言った。


「あのさ、篠原」

「何?」

「実はオレにもあるんだよ。夢」

「そうなの?」


 そして、オレは一呼吸置いて、言った。


「イラストレーターになりたいんだ」


 すると、篠原は言う。


「たっくんならなれるよ。絶対」

「そうかな」

「……だって私はたっくんのこと、ずっと知ってたんだから」

「え?」

「なんでもない。それでね、このあいだ真奈ちゃんのラジオにおたより送ったことも話したんだ」


 篠原の言葉に、オレはこのあいだのことを思い出して、言った。


「そういえばオレ、そのおたよりが読まれた回勉強中にリアルタイムで聴いてたんだよな」

「え!?」


 篠原の大きな声がスマートフォンに響く。


「『あーちゃん』ってラジオネームでたぶんそうかなって思ってた」

「そ、そっか。そうだよね。たっくんも聴くよね。真奈ちゃんのラジオ……」

「明石達にオタクを隠してることを悩んでるっておたよりだと思ってたけど、違うのか?」


 オレが聞くと、篠原は拗ねたように言う。


「たっくんにはまだ教えてあげないんだから」

「どういう意味?」

「さあ。どういう意味だろうね?」


 篠原が真奈さんのラジオに送ったおたよりの最初に『これは恋愛相談です』と書いていたことに、オレは気づいていなかった。

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