第44話 陰キャ先輩と夢の終わり Ⅴ

 そう言って圭一郎はこちらの両肩に手を置いて言う。


「俺が今此処に居るのは俺がそうしようと思ったからで……その決定に至る一端は先輩が俺を勧誘しようとやってくれた事だ。催眠アプリが有ろうと無かろうと、俺は文芸部に入っていたし……先輩の友達にもなっていた」


「け、圭一郎君……」


「俺の五か月を、そんな物に否定させない」


 本当に嬉しい言葉だ。

 その言葉を受け入れて……縋り付きたくなる。


 だけど。

 ごく少量でも人を殺せる毒があるように。


「……でも、け、圭一郎君は……」


 その考えそのものが、催眠にかかった故の物に聞こえて来る。

 ……これが普通の人ならそれで納得できたかもしれない。

 だけど赤羽圭一郎は普通の人ではないから。


「凄い……野球の、選手で……」


 そんな凄い人が掌を返すように止めてしまうというのは……今となってはどうしたって、そういう力が働いているとしか思えなかった。

 自分の言動に……それだけの力があるとは到底思えなかった。


 だけど圭一郎は言う。


「先輩は俺が野球推薦蹴って一般入試でウチの高校に入った事、知ってますよね」


「う、うん……」


「その理由の方って話してなかった気がするんですけど……朝陽から聞いたりしてます?」


「あ、朝陽が言うには家から近い方が良いとか……生活が野球一色になるのが嫌だとか、そういう風な事を聞いたって言ってた」


 あの時の朝陽は強いチームと戦いたいから、なども理由としては有るのではないかと考えていたがそれはあくまで朝陽が勝手に言っている事で。

 圭一郎が朝陽に告げた言葉はそれだけだ。


 そして圭一郎は小さく頷く。


「実際理由はそれが全部なんです。それが全部って言える位には、俺のモチベーションって落ちてたんですよ」


「……」


「別に野球が嫌いになった訳じゃない。実際見るのもやるのも好きです。でも振り返ると野球しか無くて、それがその先も続くのかって思うと、他にも何か色々有るんじゃないかって思ってしまって。受験勉強の裏で自主練もしてましたけど、そんな中途半端な気持ちのまま惰性でですよ。俺はそんな風に本気で取り組んでいる人の前に出ちゃいけないような状態だったんです」


「そんな事……」


「そんなもんなんですよ」


 苦笑いを浮かべて圭一郎は言う。


「ベンチ入りできる人数だって決まっているのに……そんな舐めた考えの奴がその争いに加わって良い筈が無い」


「……」


「それが分かっていても、止めるにやめられずに半端な気持ちでぶら下がっていて……だから俺はきっと、辞めても良い理由を探していたんです」


「辞めても良い理由……」


「なんでも良かったんだと思います。誰かにやる気が無い事を指摘されたり……他の楽しい事に誘って貰えたり。俺が納得できる事ならなんでも」


 そう言って圭一郎は小さく笑みを浮かべる。


「そしたら丁度良いタイミングで先輩に勧誘されました……ああ、でも勿論それだけで野球辞めたりなんてしませんよ。言った通り俺読書感想文も書けない位読書苦手でしたからね。だけど……全部先輩が変えたんです」


「……変えた?」


「先輩が貸してくれた本は面白かったし、こういうのも良いなって思いました。で、

その部活率いてるのが先輩ですよ。今諸悪の根源みたいになっちゃってる催眠アプリの下りとかがなんか面白くて……あと、その……えっと…………」


 そこまで言って小さく呼吸を整えてから圭一郎は言う。


「可愛いなって思いました。こういう先輩と、面白いと感じた事を通じてもう少し関わっていたいと思いました」


「……ッ!?」


 突然のカミングアウトに心臓が飛び跳ね肩が震える。

 ……言った本人の表情も少し赤い。


(そ、そんな風に思ってくれてたんだ……う、ウチなんかを……)


 そして想定外の事を言われて混乱する中で、ふと気付く。


 そういう風に自分を見ろというような。

 自分と仲良くしろというような言葉は、催眠アプリに乗せていない。


 そしてそんな表情のまま、真っすぐとこちらを見て圭一郎は言う。


「……俺は見学だけでもしてほしいと。文芸部に入らないかと。そういう催眠を受けました。でも見学する事や入部する事と、この五か月先輩と文芸部で活動する事が間楽しかったっていう気持ちは関係ない筈です。だから……ッ!」


 そして圭一郎は改めて言う。

 言ってくれる。


「俺が文芸部員として此処に居るのは俺の意思なんです! 少なくとも今ある俺の気持ちはそんな訳が分からないアプリに引っ張られたものじゃない! 俺の物なんです!」


 そんな泣きたくなるような、力強い言葉を。


 そしてそう言ってくれたからこそ、少しだけ思う事が出来た。

 ただ逃げているだけかもしれないけれど。

 そう思いたいだけなのかもしれないけれど。


 ……赤羽圭一郎という後輩が、本当に自分の意思で此処に居てくれているんじゃないかと。


 そしてそれから、圭一郎は提案する。


「先輩……そんな訳なんで、催眠アプリ、消しませんか?」


「……さ、催眠アプリを?」


「多分自分にかけても効果は無いんでしょうし、それに先輩の性格上人に迷惑を掛けるかもしれないそれを今後人に使うとは思えないです」


「う、うん……まあ、使うつもりは、ない」


「だったら消すべきだ。じゃないと……先輩は俺が文芸部員でいる理由をもしかしたら、なんて思ってしまうかもしれない。最初の催眠を解除したとしても、それ以降の色々な物が先輩にそう思わせてしまうかもしれない」


「……」


 だから、と力強く圭一郎は言う。


「ここで俺に証明させてください。俺の意思を……此処で! 二学期も俺達二人で文芸部だって言えるように!」


「…………そ、そうか」


 圭一郎とは対照的に、静かに小さくそう呟いた。

 だけど声は小さくても、ほんの少しだけ勇気は湧いた気がした。


 真っすぐにそう言ってくれる圭一郎の言葉を聞いて、その言葉を信じたくなった。


 それは半ば現実逃避なのかもしれない。

 自分の使い方の催眠アプリがどういう風に彼をおかしくしているかが正確に分からない以上、此処まで紡がれた言葉も全てその影響の結果にあるかもしれない。

 だからその言葉を、自分の勇気に変えてはいけない。

 ……本当なら、変えてはいけない。


 だけどそれが分かっていても、結果的に変わってしまったのだから。

 頑張って、覚悟を決める。


「や……やってみる」


 自分が彼の人生を滅茶苦茶にしているのではなく。

 彼が本当に文芸部の活動を楽しんで、彼の意思で此処に居るのだと。


「……アプリ、消してみる」


 確かめてみようと思う。

 此処から先も、後腐れなく二人で楽しく文芸部で活動していく為に。

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