第7話 五十嵐の苦悩
「五十嵐君。呼び付けて悪かったな」
「いえ、東郷本部長」
東郷と呼ばれた恰幅の良い男性は、いかにもお偉いさん、といった風格を漂わせている。
「どうしても、直接会って話さなければならなくてな」
「例の事件ですか」
確認するまでもないが、確認しないわけにもいかない。
「そうだ。悪い話だ」
言いづらそうに口籠る東郷。
「簡潔に言おう。捜査は中止だ」
「……中止?」
「上からストップが掛かった。命令だ。これ以上私の口からは言えんが、君もそろそろ知るべき時期だろうな」
「ナニをですか」
「来れば分かる」
それだけ言って東郷は口を噤んだ。五十嵐も口数が多い方ではない。「ハッ」と了承の意を伝えると、2人は無言のまま警察車両ではなくタクシーに乗り込んだ。
「ココは?」
「旅館だ。ごく一部の人間しか使わん、な」
一見、古い平屋造りの民家。しかし広さが尋常ではない。幾つかの棟に分かれた建物全体は、野球場より大きい。
「財布もスマホも全て預けろ。拳銃は持ってないな? もし小型のレコーダーを持っているなら、絶対中に持ち込むな」
「ナゼですか」
「君の命のためだ」
とても冗談を言っている様子はない。脅しとも取れる文言だが、そんな雰囲気もない。ただ事実を口にしているだけ、といった緊迫感に、五十嵐は何一つ反論せずカバンとポケットの中身を全て出す。
「中でお待ちですえ」
女将らしき着物の女性が案内に立つ。静々と廊下を進み、何度も曲がった先には『大露天風呂』の立札。何も言わず頭を下げると、案内を終えた女将は去って行く。訳が分からない、といった様子の五十嵐に、本郷は「風呂には何も持ち込めないからな」と一言。受付に荷を渡すだけでは不十分、全裸になって密談を行うという念の入れよう。そこまで外部に漏らせない話という事か。
「待ちくたびれたぜえ兄弟!」
大声で東郷に向かって片手を挙げる男。ニカッと笑う口の中が、金色に光り輝く。
「甚鹿さん。ご無沙汰してます」
「堅苦しい挨拶はよせやい!」
「それとこっちにいるのが……」
「聞いてるぜえ! 五十嵐っつったなあ! 早く入れやあ!」
立ち上がって大きく手招きする。腰から肩にかけて、見事な昇り龍の刺青が姿を現す。
「萬城目……」
五十嵐の呟きは、男にも聞こえたようだ。
「知ってたかあ! 流石あ島の刑事さんだあ!」
湯船に入らない2人にしびれを切らし、自ら歩み寄る。
「兄弟! 俺は名を変えた。甚鹿じゃねえ、末吉だあ!」
誇示するかのように口を大きく開けて話すので、奥歯まで金歯なのが見て取れる。
「あっちに舎弟がいる! おうい、大亮!
「へぃ!」
湯煙の奥から更に2人、刺青の男が近寄る。年上の男は前歯の数本が金歯になっており、若い男は全て白い歯。
「大亮! こっちの刑事さんは年も近いそうだあ! 兄弟の杯を交わせやあ!」
「先日はどーも。良けりゃ義兄弟になっちゃくれませんか」
突然の申し出。五十嵐は一瞬の逡巡もなく即答する。
「断るッ!」
「んだとお……」
今までの表情から一変、険しい眼光で五十嵐をねめつける末吉。すぐ元の柔和な表情に戻り、「いやあ今時、気骨のある刑事さんじゃねえかあ! 気に入ったぜえ!」と破顔一笑する。
「甚鹿さん」
「末吉だあ!」
「末吉さん。それより用件を」
末吉は大口を開けて「おう、そうだなあ!」と豪快に笑ってから話を進める。
「話は簡単だあ! こっちの要求はただ一つ! 刑事さんよお、これ以上首を突っ込むなってなあ!」
困惑する五十嵐に、東郷が助け船を出す。
「五十嵐君、ここで突っ張っても何も生まん。ただ飲み込め。これはそういう話だ」
「しかし……」
「色々嗅ぎ回ってんだってなあ! その刑事さんに贈り物だあ! 海渡!」
「へぃ、こちらに」
大事そうに捧げ持った木箱を両手で差し出す。木箱は両手に収まる大きさで、上質な桐の香りが漂う。
「贈り物など受け取れん」
「五十嵐君。これは君にとって必要な物だ。絶対問題にならん」
「受け取るかどうか、中を確認してからでも遅くないでしょうや」
「刑事さんが探してた
皆に言われ、渋々木箱に手を伸ばす。木箱は思ったよりずっと軽く、落としそうになり慌てて両手で受け取る。それ見た末吉は大声で笑う。
「中を見る前からそれじゃあ、腰抜かしちまうかもなあ!」
何が入っているのか。恐る恐る蓋に手を掛ける。
「予め言っておく。既に鑑識に回した後だ。櫛一郎のDNA以外、指紋も何も検出されなかった」
東郷の声が、どこか遠くで響いた気がした。
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