第3話「異世界転移ブームなのは、日本だけではありません」

「足は痛くないですか? ヒールで歩き回るわけにもいきませんよね」


 外の景色を眺めるために窓を覗くと、こんな粗末な家くらいしか存在しない森の中に二人の人物が向かい合っていた。

 一人は桜色の腰までの長さある髪が特徴的だが、森を歩くような恰好をしていない。


(異世界転移者か)


 これから結婚式に行くようなドレス姿の少女に、身なりが良さそうに見えない中年の男が話しかけているという展開。


「おーい、さっさと帰ってこい」


 男と戦闘になったら、ごくごく平凡な日本人として生きてきた俺に勝ち目はない。

 だが、声をかけるだけで十分な効果を発揮したことは幸運だった。

 森の中に佇む一軒家に人がいたことが分かると、男はすぐに視線を逸らして立ち去ってしまう。


「あの……」

「安心しろ、俺も異世界転移してきた人間だから」

「どうして、そのことを……」

「こんな森の中で、花嫁に遭遇するわけがないだろ」


 命が奪われるようなことにはならなかったことに安堵しながら、彼女を落ち着かせるために家の中から声を投げかける。


「どこかのご令嬢ってところか?」

「……捨てられ令嬢です」


 彼女は『捨てられ』という残酷な言葉に対して、にこりと微笑んで見せた。

 数えられるほどしか会話を交わしていないのに、彼女は誰かに捨てられたことが理由で異世界転移をしてきたと察してしまった。


「紅茶が飲みたいかもしれないが、まだ水くらいしか出せなくて悪いな」

「いえ、お気遣いありがとうございます」


 異世界に転生してからの初めての住まいがどんなもなのか、彼女は胸の高鳴りを抑えきれないように見えた。

 だが、みすぼらしい外観の家の中が華やいだ内装になっているわけもなく、俺はさぞ彼女の期待を大きく裏切ったことだろう。


「きっと怠惰な生活を送りすぎたのでしょうね。私は嫌われ者の聖女だったみたいです」


 甘やかされた環境で育ったことが原因で、婚約破棄をされたという彼女の名前はレイス。

 真偽を確かめる術はないため、俺は彼女の話をただただ受け入れることしかできない。

 話の内容は暗い以外の何物でもないのに、レイスは他人に心配かけないように口角を上げて笑顔を維持してみせた。


「何か食べたいのないか」


 なんだか格好つけたセリフを投げかけてみるものの、自分が彼女にご馳走できた物といったら、魔道具から放たれた飲み水のみ。

 格好つかない事態に陥り、自分ができる最低限のことを彼女に提供しようと思って声をかけた。


「いえ、そこまで面倒を見ていただくわけには……」

「異世界転移者は、一週間分の食材を支給してもらえるらしい」

「そこまで面倒を見てもらえるのですね」


 なんて至れり尽くせりの異世界生活だろうと感嘆の声を上げたくなる展開を迎え、レイスは目を丸めて、初めて作り笑顔以外の驚いた顔を見せた。


「ギルドから支給される食材を、あとで返してもらうっていうのでどうだ?」


 こっちから一方的に食事を作ってやると提案しても、人の厚意を受け取ることが苦手そうなレイスは首を縦に振らない。

 食材を返してもらうという条件をつけることで、レイスが食べ物を口にできるように促してみる。


「えっと……」

「答えは?」

「温かい物が食べたいです」


 お客様に出した物が、ただの水で申し訳ございません。

 内心では、そんなことを思った。

 でも、その申し訳なさすら打ち消してしまうような明るい笑みをレイスが浮かべてくれるものだから、彼女は人々を癒すために生まれてきた聖女って話は本物なのかもしれない。


「炎魔法と水魔法が必要ないなんて……」

「そっちの世界は魔法が、かなり重要な立ち位置なんだな」

「ジュンリさんが住まわれた世界は、どんな世界だったのですか」


 そんな面白い話なんて何ひとつしていないっていうのに、レイスの瞳は輝きを取り戻し始めた気がする。

 調理に時間をかけて、レイスのきらきらとした期待を失うという展開を向かえないために手を動かしていく。


「包丁、使ってみるか?」

「血の惨劇が待っていそうなので……」

「聖女だった……あ、異世界に転移したら、治癒魔法が使えるか分からないか」

「です、です」


 新しく生きてきた世界でも治癒魔法が使えると確認してからではないと、下手に怪我をするという状況は招かない方がいい。

 薬草や薬の値段を把握できていない段階で、率先して怪我はするわけにはいかない。


「トマトが使えて助かった」

「トマトは私の世界にもありますよ」


 異世界に転移して戸惑っているはずなのに、レイスはにこやかな笑みを絶やすことがない。


「苦手か?」

「大好きです」

「じゃあ、遠慮なく味つけに使わせてもらう」


 トマトの味はサンドイッチで確認済みのため、遠慮することなくトマトを角切りに切り進めていく。


「このお肉、なんのお肉でしょうね」

「考えたら負けだろ」

「……ですね」


 レイスの指摘には反応しないように、謎の肉を炒めるという作業を進めていく。

 個人的には、鶏肉っぽい食感と味を期待したい。

 鶏肉の役割を果たしてくれたら、これから作る煮込み料理に大きく貢献してくれる。


「あとは、きのこっぽいものを、トマトを加えて炒める」


 コンソメっぽい物が見当たらなかったため、味を出してくれそうな四角い茶色の固形物を鍋に突っ込む。

 カレーの香りがするかと思って期待はしたものの、ちっともカレーの香りがしないことからカレー粉という案は消滅。

 だったら、この四角くて茶色い固形物の正体はなんなのか。


「肉とトマトの煮込み料理ってことだな」

「これが異世界料理なんですね!」


 レイスも異世界出身だろと突っ込む前に、自分もレイスにとっては異世界転移者だということに気づいて口を閉ざした。

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