第8話 大食堂にて

「おーい。白猫ちゃん、顔色悪いよ。気にしちゃった? 心配しないでね。君は秘書だから、僕たち並みに鍛える必要ないし」

「……ありがとうございます」

「ふむ。しかし痩せているな。肉をつけるべきじゃないか?」

「お気遣いいただきありがとうございます。間に合っていますので」


 ラドワ級の肉体美を勝ち得よ、などと言われたら、そうなる前に精根尽き果てる自信がある。消極的な自信もたまには大事だ。

 きっぱり断るとラドワも無理強いはせず、残念そうに眉を下げただけだった。……本気だったらしい。


「まあ、白猫ちゃんはうちの男たちに発破はっぱをかける役割もありますしね。筋肉でゴテゴテになっちゃったら、連中が自信を失くすでしょう」

「……待ってください。私が受かったのって、そんな理由ですか?」

「ん? 実力だよ? 結果的にそうなっただけ。女の子がいたら良いカッコつけたくなるモンなんだよ」

「……はあ、そうなんですね……」


 色々言いたいことはあったが、ありすぎてキアラは生返事をするにとどめた。


「ここで油を売っている場合ではないな。行くぞ雪ん子。時間が惜しい」


 階段室から、階下の賑やかな声音が湧いてきた。廊下とは独立して設けられた階段室は音を拾いやすい。食事に向かう隊員の声だろう。食事時間は1時間弱。もたもたすると午後の仕事に間に合わない。


「クレイトンです」

「そうか」

「待って。ラドワさん」


 ようやく彼と別れられると思いきや、リュジニャンが呼び止めた。不思議そうに振り返ったキアラを無視して、彼はラドワに近づく。


 合わせて細い三つ編みが青年の背で揺れる。一対の瞳は透明度の高い宝石さながら。明眸皓歯とは彼のためにあるのだ、と思わせる容姿。血生臭さとは縁遠そうな滑らかな手がキアラの前を通り過ぎる。何とも綺麗で長い指だ。キアラは羨ましく思う。


「お食事ですか? 大食堂で」


 ラドワが頷くと、彼はにっこりと笑む。


「ちょうど良かった。一緒に行きましょうよ」


 大食堂は1階である。だったらなぜ2階に登った、と疑問がよぎったが、キアラの常識は彼らの常識とイコールではないので忘れることにした。


*******


 お昼の献立は、根菜とぶつ切りした骨付き鶏肉の具だくさんトマト煮込み、内臓を抜いたマスの蒸し焼き、雑穀を練り込んだ二種類のパン、新緑鮮やかなサラダ。体力勝負な隊員たちへの思いやりが窺える。胃に自信のないキアラは、トマト煮込みを少量に、パンもひとつ減らしてもらった。


 ラドワが確保してくれていた席に腰を下ろすと、彼は目敏く彼女の皿を見咎めた。


「量が少なくないか? お前のような年代の女子はやたら体形を気にするそうだが、痩せ我慢はよせ」


 そう言うラドワの食事量は周囲の隊員と同じ多さだ。どうして彼だけ体格が突出しているのか。鍛錬の質の差だけでは語れまい。とうに絶滅した騎馬民族の末裔の血を受け継いでいると言われても、そんな程度の説明では足りない。


「お気遣いありがとうございます。でも私にはこれでも充分な量なので」

「なんと」


 感情の希薄な鳶色の目が見開かれた。


「だからお前は細いんだ。もっと食べられるようにしてみろ。ほら、わたしの腕と比較してみろ。お前の腕なぞ半分もないぞ」


 ラドワと比べたら誰だって枯れ枝である。ついでに掌も合わせてみると、彼の方が二回りは大きかった。彼に言わせればキアラは栄養失調も栄養失調。欠食児童同然らしい。


 わいわいがやがやと食堂が賑やかになる。大勢が詰めかけたようだ。厨房内と食事場を仕切る横長の配膳台カウンターが、男たちでごった返している。

 キアラたちが座った席は、配膳台カウンターから最も離れた長テーブルだ。そこからだと食事を摂る面々やせっせと料理の皿を運ぶ料理人の姿が眺められる。


「白猫ちゃん。果汁水エードはどうする? 水だけじゃ味気ないでしょ」


 遅れて昼食の盆を持ってきたリュジニャンが、カップをひとつ差し出した。淡い黄色の色合いの水だ。わざわざキアラの分もいできてくれたのだ。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 食堂の飲み物は基本、水だ。しかし料理人の気分次第では果物をしぼった果汁に水と砂糖を加えたエードも提供される。今回はレモンのエードだ。一口味わってみると、酸味の残る爽やかな甘さが後を引いた。

 もう一口、とカップを傾けた手首を、リュジニャンが止めた。


「まだだよ。白猫ちゃん。まだ済んでない」

「え?」


 キアラはきょとんとした。気づけば、配膳中の隊員たちや、さあご飯を食べようとしていた人が、彼女を注視している。見知った風に手を振ったり笑いかけてくるのは第一小隊の隊員くらいだ。


「ほら、挨拶。挨拶」


 急き立てられるまま、彼女は腰を上げた。とはいっても頭はついていけておらず、どういうことだと視線でリュジニャンに問う。


「新入りなんだから。お見知りおきしてもらいたいでしょ。だから、自己紹介」

「あ、はい」


 リュジニャンがキアラの細い肩を掴み、立ち上がった。一緒に席を立つことになったキアラは、現状の自分を理解した。

 挨拶の場を与えられている。たかが一介の新米秘書に。中途採用枠にひっそり入っていつの間にか紛れているキアラに。彼女はリュジニャンの心配りに感動した。


「本日付でここの配属となった隊長秘書だよ。皆、よろしく頼むね」

「キアラ・クレイトンです。これからよろしくお願いします」


 面接に備えて何度も練習したよそ行きの笑顔を、咲かせた。

 別嬪さん、女神がいる、隊長ずるい、意外と声は高くない、髪の毛が綺麗、こっち向いて……もろもろ、選考基準はたいがい見た目である。最悪だ。


「キアラちゃーん。俺の顔、覚えてるー? 俺、ハウゼンっていうんだけど。君の1つ先輩」

「クレイトンさん! たまに君を見かけたよ! 講義室の一番前の席にいつも座ってたよね!」

「教授からの推薦たあ大したもんだぜ」


 実力を評価する最後の言葉には好感が持てた。


「ほらほら。話しかけるのは後にしな。午後の職務に遅れるでしょ」


 しっ、しっ、と手振りをしてリュジニャンが黄色い歓声を追い払う。高めの彼の声質は賑々にぎにぎしい空間でもすんなり通る。第二小隊長の注意に音量を一気に落としながらも、小隊員たちはキアラを見続け、ひそひそと熱心に話し込んでいた。

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