第9話 頼れる上司

 出来立ての食事は美味しい。士官学校の学食は作り置かれた皿を盆に並べていたため、冷めてあまり味を感じなかった。ふかふかのパンは小隊員たちと同量でも完食できたかもしれない。


 ふとキアラは食べる手を止めた。ある人物の影を求めてきょろきょろ見渡してしまう。


「何? 食事の時も行儀良くしていられないわけ?」


 フォークとスプーンを駆使し、お上品に一口大の鶏肉をすくったリュジニャンがキアラを咎める。美形の一睨みはすさまじい。


「す、すみません。隊長はどこにいらっしゃるのかと」


 萎縮してしまった彼女の肩を、隣に座るラドワが優しく叩いてくれる。肩幅の狭さに比して掌が開放的すぎる。


「あの方のことは気にしないでいい。ご自分で管理できる」

「新入りがお節介焼くんじゃないよ」

「リュジニャン」


 ラドワが聞き咎める。リュジニャンは不機嫌に鼻を鳴らした。高貴なお家柄、マナーには手厳しい。


「……分かりました」


 素直に受け止め、キアラは鶏肉に挑んだ。中心の太い骨が外しにくい。一個分が割と大きいので、半分以上残っている蒸し焼きとあわせ、時間中に食べきれるか不安だ。


 ちまちま小分けした鶏肉を食べていると、隣でゴリッととんでもない音がした。ラドワである。柔らかいといえかなり肉厚の鶏肉を丸々口に入れ、骨ごと噛み潰したのだ。ゴクリと普通に飲み下している。


「どうした? 雪ん子」

「いえ……」


 衝撃すぎて呼び名を訂正する余裕すらない。


 悪戦苦闘しながらなんとか食べ終え、からの皿を返却口に置くと、声がかかった。鍛錬場にて、キアラを見て興奮していた第一小隊員だ。ふふんと得意そうに笑っている。


「困った時はいつでも呼んでな。助けてやっから」

「ありがとうございます」


 胸を叩く先輩に心強さを感じ、ぺこりと頭を下げる。

 とどまっていると、自分の食事を済ませた隊員がちらほらとキアラに話しかけてきた。


「ここに来たのって、恋人探し?」

「違います」


 下世話な視線は冷たく切り捨てた。恋愛を求めてくのなら、もっと波長の合う人がいそうな職場を選択している。ただでさえきちんと名前を呼ばない上司、骨を噛み砕く上司、意味なく壁登りをする上司に度肝を抜かされているのだから。


「クレイトンさん。良かったら今晩さ、飲みに――――」

「とっとと持ち場に戻れ」


 集まってきた男性陣をいなしていると、ラドワが立ちはだかった。王都警備隊が誇る巨大な筋肉の塊に精神的に圧迫され、男たちは散り散りに離れていく。


「すまんな。華のない職場だから気になるのだろう。一週間もすれば落ち着くはずだから耐えてくれ」

「大丈夫です」


 好奇の目には慣れている。キアラの容姿は良くも悪くも目立っていたから、学年が上がるごとに男子が目で追ってきた。さすがに嫌だったので入学時から仲良しだった女友達に泣きついたところ、キアラの防護壁になってくれた。そうこうするうちに男子たちの興味は薄れ、普段通りの学生生活を送れるようになったのだ。しばらく隊長や小隊長らと行動するようにすれば、やり過ごせるだろう。


「我々も出ようか」


 鐘が鳴る前に食堂を出る。


「さて。次はわたしの小隊を見てもらおう」




 第三小隊の部署は思ったより人口が少なかった。事務机と座席数に対して人数は半分足らずだ。ラドワに尋ねると、残りは現場に出払っているか、鍛錬場や射撃場で汗を流しているとのこと。在室中の隊員は総務事務に没頭しているか、現場で採取した資料の鑑定をしているのだろう。顕微鏡や前科者の指紋を記録した分厚い冊子などが置かれている。


「第一と第二に比べると身体を動かす機会が少ないからな」


 内部事務が主戦場の第三小隊は、要請があれば事件現場に駆けつけるが、それでも運動量の差は歴然だ。そのため、せっかく士官学校で鍛えた肉体がなまってしまう。そこで体力を保つべく、詰め所内に設けられた訓練設備を積極的に利用しているらしい。


「第三小隊長も行かれるんですか?」

「この地位になってからは仕事に追われてなかなか行けんが、それまではよく利用していたぞ。雪ん子も行ってみると良い。気分がさっぱりする」

「クレイトンです」


 壁に貼られた第三小隊の席次を眺めて、キアラは疑問を口にする。


「食堂でも思ったんですけど、女性の方が見えないような……?」

「いないんだ。だから次の秘書も女性と聞いて、我々も驚いた。しかも今度は若いと。紅一点とは一興だが、処遇をどうしようか話し合ったものだ」

「そ、そんなことを? お気遣いありがとうございます」

「結局、分からんということで、現状維持の結論になった。何事も経験がなければ備えが思いつかんな」


 そりゃあ、そうだ。キアラだって同じ状況にあれば悩むと思う。


「雪ん子はいくつになる?」

「クレイトンです」

「不可解な年齢だな。女性に年を聞くのはやはり失礼か」


 からかっているのかといぶかると、とてつもなく真剣な表情でキアラは二の句が継げない。


「……先月で18になりました」

「おめでとう。順調に進級していったのだな」


 淡々とした祝いの言葉を、どう受け取って良いか分からない。


 士官学校は将来の警備隊員を養成するための教育機関だ。といっても無能を育てるわけにいかないので腰を据えて勉強しないと進級できないし、あまりに出来が悪いと退学を勧められる。単位取得の厳しさといったら、『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』と揶揄やゆされる入学試験の比ではない。


 士官学校生は最終学年の6年生になると卒業試験の準備に入り、合格すれば警備隊に入隊できる。ただ、早期卒業制度を経て中途採用されたキアラは、同学年より早く入隊している。


 最終学年になるまでに単位数を満たした生徒は、早期卒業といって在学年数を1年省略できるのだ。制度の趣旨は簡単。優秀な人材をさっさと仕事場に投入したいためである。キアラは厳格な審査に基づいて士官学校を5年で卒業し、ちょうどあった秘書の中途採用の試験に飛びついて、本日を迎える。


「慣れないうちは苦しいことが多々あるだろう。1人だけの女性ということでこちらも配慮するが、行き届かないと思う。その時は気兼ねなく報告してほしい」

「ありがとうございます」

「きつくなったら、わたしに言うと良い。話くらいは聞ける」


 見かけによらずラドワは親切だ。『雪ん子』呼ばわりは勘弁願いたいが、それさえ目をつむれば頼れる上司である。

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