第6話 鍛錬場にて

「あいつの言うことも一理ある。ここからも近いことだ、鍛錬場に行くか」


 正面玄関に引き返し、2階の通路に直接行ける馬蹄形ばていけいの大階段――――ここら辺は外装に似て本物のお城みたいな造りだ――――を上って、鍛錬場に入る。

 鋼鉄の近接武器がぶつかり、弾かれる音が溢れた。男たちが汗を散らしながら取っ組み合い、投げ、蹴り返され、武器を振り合っている。


 そんな鍛錬風景を、すみ紫煙しえんをくゆらせ、見守る男。鍛錬場の鉄扉てっぴが開かれたのに気づいて敬礼する。ちりちりした金髪の、無精ひげが目立つ碧眼の男だ。


「お疲れっす。ラドワ小隊長」


 白いクラヴァットにトパーズのピンがきらりと光る。トパーズは副小隊長がつけるものだ。鍛錬場は第一小隊が使っているとリュジニャンが言っていたから、この男は第一小隊の副小隊長、つまりレンナートの直下の部下なのだろう。


「スターリング。また喫煙しているのか。喫煙場所以外では慎めとあれほど言っただろう。謹慎させるぞ」


 呆れ半分にたしなめられ、スターリングと呼ばれた男は苦い顔で煙草の火種を落とした。残りの芯をシガレットケースに詰める。すすっぽい匂いにキアラはき込んだ。


 女性の高いしぶきがラドワの後ろで上がったので、スターリングは驚く。


「なんかあったんすか?」

「ああ。新入りに庁舎の案内をな」

「新入り?」


 ラドワは上体だけひねり、前へ出るようキアラに目配せする。


「どうも。隊長兼第一小隊長の秘書に就きました。クレイトンです」


 姿勢を正し、ぺこりと腰を折る。空気が固まった。

 デカい図体に隠れていた可憐な容姿を一目見るなり、スターリングのシガレットケースが音を立てて床に直撃した。同時に鍛錬の騒音が鳴り止み、その場にいた男たちの雄叫びが噴き立つ。


「うおお美少女!」

「よっしゃあ! 春が来たあぁぁ!」

「名前、名前。もう一度教えて?」

「は、はあ……」


 キアラは伊達に18年間生きていない。物心つく頃にはすでに「可愛い」、「ぜひ息子の嫁に」とご近所がたの寵愛を鷲掴みにし、慈しまれていた彼女である。鼻にかけこそしないものの、自らの麗姿は多少なりとも自覚していた。そういえば士官学校入学時も、先輩勢から似たような歓待を受けたと思い出す。


 希望に応え、再度名乗りかけたところ。ラドワが。


「雪ん子だ」


 もはや嫌がらせではなかろうか。ラドワを見上げると彼は超然としていた。


「可愛い名……ん? 雪ん子? 変わってる……雪ん子? え、あの雪ん子?」

「雪ん子ちゃん! よろしく!」


 そして受け入れるな。


「ク、レ、イ、ト、ン!!」


 熱く燃えついたキアラの赤ら顔に何を想像したか、男たちは惚れ惚れした。




「……あの子が本当にうちの?」


 半ば筋肉の塊に埋まりかけている娘を遠巻きに放置しつつ、スターリングがラドワに耳打ちする。


「連絡は届いていたろう。隊長の秘書の中途採用枠に女性が入ると」

「はあ。それは聞きましたけど。……なんだって女の子を?」


 警備隊は汗臭い組織なので、女性の士官学校生はまず度外視する。そもそも士官学校に入る女性自体がごく少数だし、彼女らはたいてい王室周りの警護に引き抜かれるか、法律を学んでいるので裁判官など実戦と無縁の司法機関を志望する。地獄じみた暑苦しい武闘派集団に、間違っても希望するわけがないのだ。


「アレは自分から志願した」

「マジっすかっ?」


 スターリングが驚嘆したのも無理はない。それだけ警備隊には華がなかった。


「成績も優秀でな。薬師の娘らしく薬の知識が豊富で、薬学教授からも推薦状が送られた。このところ、薬物を使った犯行が多いからな。専門がいるとはかどる」


 秘書は豊かな学識と幅広い柔軟性が求められる。士官学校の成績も、実技より座学が重視される。一般の小隊員でも法律知識などの学力は必要だが、それ以上の厳しい足切りがあるのだ。

 にもかかわらず、そんなハードルを飛び越えた娘。逃す手はない。


 そしてもうひとつの理由は。


「それに高嶺の花がいた方が士気も上がる」


 男臭い動機だった。

 長年勤めてくれた前任秘書も唯一の女性だったが、かなり年配で頭が固く、真面目すぎて誰も近づかなかった。男たちの反応を見るに、今回は上手くいきそうである。


「だがどこかの小隊に入れるのは良くない。手を出されて簡単に恋仲になられたら本末転倒だ。隊長はあえて自分の傍に置いて、特定の男とくっつかないようにしたいらしい」


 見目麗しい娘の賞賛を勝ち得ようと若い男どもが態度を改めてくれれば、一石二鳥ではないか。以上がレンナートの持論である。


「……んなの、ハウザー隊長とくっついたらおしまいじゃないっすか」

「あの人がそんなタマだと思うか?」

「ラドワさん。あの人だって男なんすよ。いくらの女を泣かせたかっての、もっぱらの噂っす」


 若年ながら落ち着き払った態度のレンナート・ハウザー隊長だが、実は激しい女性遍歴の持ち主と悪名高い。二十代の青い時分は元上司の愛娘と密会を交わしたり、老紳士の後妻であった妙齢の貴婦人とねんごろになったり、色々持て余しがちな麗しい未亡人の若いツバメと成り果てた……などなど、数々の浮名を流してきた。隊長に就任して以降はさすがにナリを潜めているものの、いつ再燃するやら分かったものではない。


「綺麗どころにゃ目がないって、学生時代の後輩が言ってたっす。あの子は充分危険っすよ」


 あの地位に昇り詰める以前は火遊びが立て続けだったと聞く。彼女が毒牙にかかってしまうのも時間の問題だ。


「ほお。なるほど」

「自分、割と真剣に言ってんすけど……」


 スターリングの諫言かんげんをほとんど意に介さず、ラドワは鳶色の目にキアラを映す。彼女は男どもに群がられて慌てていた。


「それは大人の女性だろう。アレはまだ……少々幼い」

「そうっすかね? 成人しているならみんな大人っしょ」

「ちなみに隊長は腰に肉づきのある女性が好みだ」

「へぇ……そっすか。確かにあの子は細いけどさ……」


 今一度、スターリングは彼女を観察する。

 小顔だがふっくらと柔らかな頬、色づいた唇の膨らみ。さながら咲き初めの蕾だ。言われてみれば、摘み頃にはいささか遠い。


 毛先だけ波打った濃い銀髪は小川のせせらぎのごとく、ちらちらと艶めき、存在感を引き立てる。抜けるような肌の純白が何よりも勝って一見、陶器人形だが、男たちへ向ける表情は怒っていても愛らしい。


 今がガキでも、こりゃ大変な美女になるぞ。スターリングは踏んだ。


「んで。名前は『雪ん子』でいいんすかい?」

「ああ。雪ん子だ」


 『雪ん子』の名は着実に広まりつつあった。

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