第5話 美麗な青年小隊長

 過去の事件記録や裁判資料の写しなどを保管する資料室の見学を終えると、後ろから声がかかった。


「ラドワさーん。珍しく暇そうですね」


 絡んできたのは、いかにも軽い調子の青年だった。吊りがちな、目尻の深いみどりの双眸がキアラたちを映す。


「暇なわけあるか。隊務中だ」


 薄く形良い唇が意地悪げに片端を上げた。長い睫毛をしばたかせ、小首を傾げる青年。さらりと色素の薄いおくれ毛が彼の首筋に零れる。目元や口元の艶と、思わせぶりな眼差しといい、一度視界に入り込むと離すのが難しい。くっきりと調和のとれた目鼻立ち、肩幅に比して顔の輪郭がすっきりと凛々しい、それはもう美麗な若者だ。初めて匂う若々しい色香にキアラの背筋がゾクッとする。


「へぇー。詰め所内をぶらぶらすることが隊務なんですかぁ。たいへーん」


 おちゃらけた口振りが鼻につく。若い身なりも手伝って、経験年数は短そうだ。くだけた敬語で、第三小隊長のラドワに気安く絡んでいる。

 ただ彼のクラヴァットにもオニキスのピンがしてある。ということは、彼も小隊長なのか。


「何? 何? 何ですか? 後ろの白いブツは」


 青年は興味津々といったていでラドワの背後を覗き込む。目が合った。嘘くさい軽薄な微笑が消え、キアラを不思議そうに眺める。

 初対面でのブツ扱いにムッとなりつつ、彼女は名乗ろうとした。それに先んじてラドワの叱責が青年に落とされた。


「なんだその言い方は。失礼だろう」


 あら、さっきまでの発言は冗談だったのかしらと、キアラはラドワにときめいた。


「雪ん子だ」

「人間です」


 前言撤回。自分のことは棚に上げていた。


「あ、例の子ですか。はじめまして。白猫ちゃん」


 そしてなぜ別の呼称を使う。

 『雪ん子』だの『白ウサギ』だの『白猫』だの、さんざんな言われようだ。

 というより、キアラにしてみれば彼の方が猫っぽい。気だるげな様子といい気まぐれそうな振る舞いといい、キアラの想像する猫に近い。


「……本日付で隊長秘書の任を拝命いたしました。キアラ・クレイトンです」

「キアラちゃん、ね。その髪、綺麗だね。すごくきらきらしてるや」


 青年は小柄なキアラをおもんばかって長身を屈めた。淡い白金の鱗粉りんぷんを散らしたような、さらりさらりと綺麗な髪。背中に流れる三つ編みはさながら、しなやかな鎖。風に吹かれたら、細い一筋一筋から毛先へと光の粒が絶え間なく零れていきそう。士官学校では女子たちの憧れを一手に集めていたこと間違いなしの、目もあやな好青年だ。


 きらきらしているのは彼の方だ。爽やかで、清涼感に溢れていて。

 不覚にもぼうっと惚けてしまった。キアラは面食いでないものの、視覚がとても幸せだ。


「そういうお前はどうなのだ、リュジニャン。第二の分隊と巡回ついでに容疑者宅に殴り込むのではなかったのか」


 物騒である。


「そうなんですよ。でも僕、変な女の子に目をつけられちゃっててぇ。つきまとわれるからロクに出歩けないんですよ。だから僕は円滑な職務遂行を優先して、泣く泣くここにとどまっているわけです」

「どう見てもサボりだ」

「サボッてませんよ。現に詰め所内を見回っています」

「……もういい。次だ。雪ん子」

「クレイトンです」


 ラドワの呼びかけで一気に思考がえた。リュジニャンが両手を叩く音がさらに正気に戻させる。


「そうだっ。ねえ白猫ちゃん。鍛錬場の見学しない?」


 『キアラちゃん』と先ほど復唱したのは幻聴だったのか。


「……鍛錬場?」

「ちょうど休憩中の第一の連中が使ってる。君にとっては一番かかわる隊だし、親睦を深めてくれば?」


 直属の上司たる隊長レンナート・ハウザーが第一小隊の統率者を兼ねているので、キアラも間接的ながら他の小隊より付き合うことになるだろう。


「良い考えだ。お前、たまに参考になることを言うな」

「たまに、じゃありません。いつもですぅ。僕の一言一句は全部、皆さんのためになるんですよ。知りませんでした?」

「初耳だ。ためになったためしが滅多にないのでな」


 つれないなぁ、と言葉で非難する割に声音は愉快そうだ。けらけらと軽やかに笑う青年は、ふっとキアラを顧みた。


「ま、ラドワさんからはぐれないようにするんだよ。ラドワさん、僕は内部の巡回に戻ります」


 睫毛の薄い陰影をせ、流し目を送る。キアラに対して片目をつむった見目麗しい青年は、音階もへったくれな鼻歌を口ずさみながら廊下の角の陰に消え去っていった。


「……あの方も小隊長ですか?」


 黒目がちな目をまたたかせ、キアラはラドワを振り仰ぐ。


「リュジニャン第二小隊長。誠意は見られないが、信用を裏切らない男だ。最低限の責務もこなす」


 ……紹介の節々にあからさまなトゲを感じる。キアラが感じた第一印象は正しかったようだ。加えて生真面目なラドワと、見るからにおちゃらけていて自分の魅力を存分に誇示する若者とでは馬が合いそうにない。


「すごくお若いですね。おいくつか分からないですけど、小隊を任されるなんてすごい……」

「うちは実力社会だ。能力さえあれば上に取り立てられる。年齢は関係ない」


 なんだかんだと愚痴って、ラドワも小隊長としての彼の手腕は認めざるを得ないのだろう。


 リュジニャンとはバヴァリア西部、アンダルーシャ地方の領地を治める名門中の名門貴族だ。地位は伯爵と記憶している。爵位との兼任を禁じた国家の捜査機関に籍を置いているということは、彼は第二子以下みたいだ。


 バヴァリアの貴族制度は男女無関係の長子承継制。一族の資産と権力、爵位はすべて長子に相続され、残りの兄弟姉妹は自力で生計を立てるしかない。男児の多くは役人か学者の道を進み、女児は一族の影響力を強化するために他貴族との婚姻を選ぶ。近年では早いうちに士官学校に入学し、軍か隊の職を得る貴公子や、そこで未来の婿を見つける令嬢も増加傾向にある。定年は早いが職務の危険性と重要度ゆえに高給取りなのだ。


 宮廷が定めた公職は能力主義だ。身分を問わず、持ち前の優秀さで頂点を狙える。出自が物を言う時代は息絶えた。才能さえ備わっていれば昇進できる環境に平民はやる気を高め、それに危機感を抱く貴族の子息という構造が出来上がり、全体として組織の質が上がるという仕組みだ。警備隊は早くにその主義を取り入れ、おおむね成功を収めている。


 といっても向上意欲はがぜん平民出身の方が高い。それゆえ公職の上官はだいたい平民人口が占めている。若くして王都警備隊の小隊長に昇りつめたリュジニャンは稀有けうの存在だ。

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