第3話 王都警備隊長

 ラドワの横に並ぶのは勇気がった。圧倒的な存在感から受ける錯覚だろうが、キアラの身長より2倍は軽く超えていようかと思わせる。威厳が溢れていて近寄りがたい。


 離れたい本能を振り切って、キアラは彼の半歩後ろについた。


 石造りの重厚な警備隊の庁舎は、おわすだけで無視しがたい威光を呈している。ラドワに両開きの正面扉を引いてもらい、玄関広間に足を踏み入れた。夢見がちにさせる外装を裏切り、内部は事務的で殺風景だ。玄関広間の隅には休憩中なのか煙草をふかしている壮年の男たちがいて、また反対側の壁際に設置された受付台には担当と思しき男性が台帳をぱらぱらとめくっている。彼らは第三小隊長の目通りを見るなり直立し、敬礼をとる。ラドワが片手を上げたのを合図に元の動きに戻った。


 一瞬、誰もがキアラに目を留めたが、さして興味はないらしい。あっさり流してくれた。


 ラドワは正面玄関の奥へと直進し、右方向に伸びる通路に曲がった。窓を隔てて、青々とした緑地に咲き乱れる季節の花々が美しい。宮廷の役人の意向で設けられた裏庭だ。毎日、この景色を眺めていたら、やる気が出てくるかもしれない。

 キアラは眼前の風景から目の焦点を持ち上げた。


 窓のはるか向こう。裏庭や辛うじて見える民家の屋根を越えて。王都の象徴ともいえるヴィクトワール凱旋門がうずたかくそびえる。大理石に緻密な彫刻がなされた脚は、遠目でも荘厳さを誇っている。太く堅牢な脚の内部は階段室で、螺旋階段が長々と連なっているそう。数えた人によれば300段くらいあって辛いとのこと。微妙に曖昧なのは、途中で意識が朦朧としたからに違いない。


 階段を登りきった先にある吹き通しの窓は屋上展望台に続く穴で、そこから王都の街並みを一望できる。しきりもなく、最上級の眺めだとか。現在は立ち入り禁止となっているので堪能できないが、士官学校の老教授がそうなつかしんでいた。


「美しい庭だろう」


 ずっと廊下の窓側に首を固定しているキアラに、ラドワが感想めいた同意を求める。庭というのは、窓の向こうに広がるこの裏庭のことだろう。


「はい! 私は薬効のある植物しか取り扱ったことがないので、こんなに綺麗なお花は初めて見ました」

「そうか。花は良いぞ。手入れは専属の庭師がやってくれているんだが、あそこのヒースの花畑は私が世話しているんだ」

「え?」

「花を育てるのが趣味でな。お前と話が合うかもしれん」


 ラドワの太く長い人差し指がヒースの花咲く一画を指す。紫、桃色、白、黄の花の群れが小風に揺れていた。


 キアラは色彩溢れる園と大男とを思わず見比べる。


 あの可憐で小ぶりな花弁の集まる花と、筋肉で完全武装したラドワが結びつかず、キアラの相槌は曖昧に終わった。




 長い廊下をコツコツと進む。飛び飛びに目に入る何かの部屋の扉を幾度も無視し、やっと着いた場所は、庁舎の右奥の通路をひたすら突っ切った末の突き当たりだった。


「ここが執務室だ」

「扉の色が違いますね」


 ちらりと見えた他の部屋に至る扉はすべて紅茶色だった。この部屋の扉は黒に近い暗褐色である。


「材質も違う。他の部屋は色大理石だが、これは薄い鋼板を貼って補強している。塗装しているから分かりにくいかもしれんが、中にいる間に襲撃されても時間稼ぎができる程度には丈夫だ」

「執務室だけですか?」

「あとは第四小隊の部署だな。建物自体の強度も考えると、余裕を持たせた方が良いだろう」


 ラドワは扉に突き出たノッカー――――獅子頭の形をした取っ手の口腔こうくう部分から輪っかが垂れている――――を数度、叩いた。


「隊長。お仕事中、失礼致します」


 ノッカーをひねり、開かれた室内に入る。


「ラドワです。クレイトンを連れて参りました」

「おう。面倒をかけてすまねぇな。座ってくれや」

「痛み入ります」


 第三の人物の声が加わる。高すぎず低すぎず、耳にすっと通る粗雑な口調。声質は若い。キアラの位置からでは、ラドワの肩幅に阻まれて彼の姿を視認できない。


「クレイトンはどこにいる」

「わたしの後ろに」


 ラドワが自身の巨体をずらし、来客用のソファに座ったことで、視界が開ける。そうでもしないとキアラが挨拶できないのだ。あれ、見るからに3、4人掛け用のソファなのに、余白が7割強失われたぞとか心中で突っ込んでいない。

 ラドワの猛禽類に似た鳶色の瞳が彼女に合図を送る。小さく頷き、緊張を悟られないよう動作に注意を払う。


 だがうつむき加減に入ったものだから、顔を上げた直後、合った視線に早くもうろたえた。


「う……」


 慌てて呑み込んだ声だったが、静寂の室内では異様に大きく聞こえた。


 黒水晶の視界に男がもう1人現れた。

 座っていると脚の長さが如実に浮き出る痩身そうしん。短く刈った灰褐色の前髪の下、琥珀の三白眼が不敵に光る。『狼の眼』とも称される虹彩は、彼自身が放つ威圧感とあいまって猛々たけだけしい。恐ろしいのに、一度射止められると視線を外しがたい迫力があった。キアラの喉が上下する。


 少し前に出、執務椅子に腰かけた男と対峙する。執務机で作業していたらしい男は向きを変え、すらりと長い脚を組んだ。

 クラヴァットの結び目に留まる、黄銅こうどうのピン。5枚の花弁に見立てた土台にルビーをめた意匠は、彼の階級そのものだ。


 すなわち、彼がこの王都警備隊の総大将であるということ。


 レンナート・ハウザー。王都警備隊の第一小隊長にして、夜警隊を合わせた全5隊を統べる隊長。


 王都警備隊は夜警隊を除き、4つの小隊に分けられている。王都を見回り、事件の捜査を行うのが第一、第二小隊。第三小隊は鑑識や司法解剖と総務事務が担当で、第四小隊の職務はおおやけにされていない。

 夜警隊も含めるとかなりの数に上る隊を、この男がまとめているという。キアラは彼の下で働くのだ。


「なんだそいつ。ウサギみてぇだな」


 開口一番。彼はキアラを一目するなりそんな感想をのたまった。


「え、う、ウサギ?」


 思わず彼女が聞き返したのも無理はない。

 ラドワは大きく首肯しゅこうした。


「隊長。新しい秘書です。名前は雪ん子」

「キアラ・クレイトンです!」


 最後までラドワには紹介させず、上擦った声を被せる。

 琥珀の虹彩をすがめ、男は神妙に頷いた。

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