第1話 始まりの朝
馬車はカラカラと、石畳で舗装された幅広な街道を
くり抜いただけの窓から風が入り込み、ほのかな春の匂いを香らせて首筋を冷やした。
新しい世界が始まるその第一歩に、雲ひとつない快晴はとても気分が清々しい。キアラは王都警備隊が保有する馬車にガタゴト揺られながら、服装におかしな点がないか見直す。
膝上まで垂れる、柔らかな素材の上衣。腿を覆う部分には中央に深い切れ込みが入っており、さばきやすいよう工夫がされてある。その下からすらりと伸びる、上着と同じ
王都警備隊の隊服をまとったキアラは、両手を胸の前で組みそわそわしていた。
ベルトが余って端が飛び出気味なのは見逃してほしい。急ぎで
不安と反省点は探し出したらキリがない。王都警備隊の庁舎は目前なのだ。見苦しく思われようが、元気良く挨拶して快い印象を持ってもらわないと。
意気込みがてら、両腕を上空に突き上げ胸を反らす。んっ、と肩を落としかける寸前、車輪の振動が止まった。
「お客さん。着きましたよー」
――――嘘。もう着いたの!?
どうやら、長いこと無駄な悩みごとに費やしていたらしい。思い切り伸びをして気持ちを切り替えようとしていたキアラの胸を混乱が突き上げる。鼓動が早く打ち出した。
「頑張ってくださいね! 天気に恵まれたし縁起の良い門出だ」
急いで馬車を飛び降りたキアラを見るや、
「は、い。……ありがとうございます」
「学生からいきなり社会人ってことで疲れが溜まる時もあるだろうが、負けちゃいけませんよ。なんたって警備隊ですからね!」
ずんぐりそびえる堅牢な漆黒の門を心底誇らしげに見上げ、豪快な笑いをキアラに振る。キアラはぎこちない作り笑いを返した。
警備隊とはその名称のごとく、王国バヴァリアを構成する地域それぞれを分割し、その管轄ごとに街の治安を守る部隊だ。争いが起これば内外問わずバヴァリア国家騎兵軍と組んで『軍隊』として動くが、幸い過去十数年にわたってそんな活躍をせずに済んでいる。
本日付で配属となるキアラの所属先は、王都警備隊。もっともバヴァリアの心臓部を警戒するということで『王都』の名が冠せられただけで、警備隊は各地にある。本部の国家騎兵軍に始まり、周辺都市に張り巡らせた都市警備隊、東西南北に分かれて警備する地方警備隊、国境を守る国防警備隊……詳細な組織図はこれよりもっと複雑だ。さらに地域の区画ごととなると、退職した隊員による自警団も常駐している。
そんな警備隊は、悪をくじいて市民生活の平和と安全を維持するという、『正義』の代名詞のような警察活動を担っており、夢見る子供たちの憧れの
「お客さんのお迎えは別にいらっしゃるんでしたっけ。私は先にお客さんの部屋に向かって、お荷物を置いてきますね。扉の前に置くんで、貴重品は入れてませんよね?」
「大丈夫です。ありがとうございます。お願いします」
馭者が箱馬車の室内に入り、長方形の木製の
「またご利用ください」
馭者は帽子を取ってお辞儀し、大きめの鞄を脇に抱え警備隊の宿舎へと向かう。キアラはその背に再度感謝の言葉をかけた。それから最低限に開けられた門の前にて大人しく待つ。
入隊初日。キアラが待合を指定された場所は、王都警備隊の鉄門付近。初出勤とはいえ、警備隊内は通常業務をこなしており、キアラの目の前を同じ隊服を着た男たちが出入りしている。
澄んだ黒水晶の瞳は眼前にそびえる建造物を映した。
目も覚める純白一色。石灰石板を張り巡らせた白亜の外壁は美しく、黒塗りの鉄門と対をなしている。心地良い朝の陽光を背に、そよぐ新緑の庭園を従えて輝くさまは王侯貴族の宮殿を思わせる。
これが、王都警備隊の庁舎。キアラの視界にはそのごく一部分しか入っていない。赤屋根に蜂蜜色か薄茶色の壁の家々が立ち並ぶ王都にあっては、重厚でありながら幻想的な様相を
注目せずにはいられない壮麗さから、この庁舎は『美女の目覚め』とも呼ばれていた。男ばかりの筋肉集団が詰めかけているので、実態は美女とかけ離れているが。
鉄門の両端には若い番人が立っている。2人とも、キアラが馬車を降りた際は敬礼をくれたけれど、早々に遠方を睨んでしまった。息をしているのか心配になるくらい、動かない。
ぴりぴりとした空気が伝わってくるようで、キアラは肩をすくめた。落ち着きなく手を揉む。
『待つ』という行為が、ひたすら苦痛だ。
どうしよう。心臓がバクバク胸を殴る。秘書の採用面接でだって、こんなに身が縮む思いは覚えなかった。
門番に
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