3話 帰路

「おとっちゃん、お疲れさん」

お店の締め作業も終わり、鶴姉と一緒におとっちゃんに声をかける。


「おう......お疲れさん二人とも、日が暮れる前に帰りなさい」

「わしはこのあと会合があるから行かにゃならんが」

「お鶴、残り半月お仙をしっかり頼むぞ」

おとっちゃんは背を向けながら言う。


「ああ、任しといてよ親父さん!お仙、行くぞ」

「あ、うん! おとっちゃんも、夜道に気をつけてね」




「お仙――」



おとっちゃんは背を向けたまま、帰ろうとするあちきを呼び止めた。

いつも寡黙なおとっちゃんが、珍しい......。


「――どうしたのおとっちゃん?」


 

「おまえが江戸に来て、十一年経つか」



「え......?うん、もうそんなに経つんだよね」



「*草加宿で、小さな旅籠の一人娘として可愛がられていたおまえが」

「今では江戸で一番の娘と言われるまでになるとはな」

*草加宿そうかしゅく:現在の埼玉県草加市にかつて存在した宿場町



「よくここまで頑張ったな おまえはわしの自慢の娘だ」

「亡くなった両親もあの世できっと喜んでるはずだぞ」


「おとっちゃん......」

突然そんなことを言うおとっちゃんが珍しくて、あちきはびっくりしてまた泣きそうになってしまう。


「親父さんいいこと言うじゃん〜」

「でも今のお仙にそんなこと言っちゃうと、また寂しくなって結婚辞めたいとか駄々こねちまうぞ〜」


「ハハ、それは困るな」


「ちょっからかわないでよ、鶴姉だって寂しいくせに......!」


「うるせえよ!湿っぽいのが嫌いなだけだっての」



すると、あちきと鶴姉のやりとりを見ていたおとっちゃんが言ってきた。

「――おまえたち、明日から三日ほど休んでこい 」


「え......三日も?お店は大丈夫?」

「い、いいのかい、親父さん?」


「ああ、心配すんな しばらく働き詰めだったろ ゆっくり羽を伸ばしてこい」

「それに銭だって使わねえと意味がねえ」


「わーい、おとっちゃんありがとう! 」

「すまねえな親父さん、それじゃあお言葉に甘えるよ」

思い返せば、最近は店が繁盛しすぎて、連日休むなんてのはしばらくしてなかった。



――ザッザッザッ


 鶴姉と一緒に感応寺を出て、夜道の帰路につく。

あちきらは2年前から、商売繋がりで根津にある旅籠に住まわせてもらってる。

根津までは歩いてすぐだけど、ちょいと遠回りしながら鶴姉と喋って帰るのが好き。


「お仙、休みの間どっか行きたい場所とかあるのか?」


「んー、あちき市村座の*『仮名手本忠臣蔵』観に行きたい!」

*歌舞伎の演目


「おーいいね!舞台装置がすげえって話だよな」

「でもかなり人気らしいから早めに行かねえとな......」


「あ、お客さんの中に劇場前の店を商いしてる人がいて、いつでも席取ってあげるって言われてるの!」

「おいおいマジかよ......さすがだな」



「他には何か行きたいところはないのか?」



それを言われてあちきは思い出した――。

「――鶴姉、あちき浅草も行きたい」



「浅草......?もしかして松葉屋のことか?」



「うん、何でかわからないけど」

「この鏡のことだけは解決しないといけない気がしてさ」


「そうか......まあ、いいんじゃねえの?あたしも付き合うよ」



「ありがとう鶴姉!」

「な、なんだよ......」

あちきは鶴姉の腕に抱きつく。



「何でもないよ〜帰ろっか!」

「お、おう......」


 

 久しぶりの連日休暇。行きたい場所の話をしながら旅籠へ向かっていく。

明日からの三日間、鶴姉との時間がすごく楽しみになった――



――――はずだった......。



ドサッ......



――――鶴姉は突然、持っていた提灯を地面に落とし、足で踏んで火を消した。



「......鶴......姉......?」


「............」



 鶴姉は黙ったまま足を止める。



「鶴姉!? どうしたの......?ねえ!」



「おいお仙、静かにしろ......」

「チッ.....やっぱりだ」

黙っていた鶴姉が、小さな声で言う。




「え、なに......?どうして?」

「......」

鶴姉は着物の裾を捲って結びだす。



「ごめんお仙ちょっっといいか? あと落ち着いて聞け......」

「うん」



 ついでにあちきの裾も上に捲りながら鶴姉は言う。




「あたしら今......」




「誰かに......つけられてる――――」

「よし、逃げるぞ」



 そう言って鶴姉はあちきの手を引っ張って走り出した。




















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