2話 鶴姉

 夕刻になって、お客さんたちが帰っていく。

「お仙ちゃーんまた来るよー!」

「あいよ! ありがとうねみんな 気をつけて帰りなさいな」


 鍵屋がある笠森稲荷は、谷中の中でも高い所にあるから、ここから見える寺院の庭と農村の景色がすごく綺麗。


 春は桜、夏は緑。秋は紅葉に冬は雪景色。

一年を通して日が暮れるのを忘れるくらい美しい場所ってことで、いつしかみんなはこの地を"日暮らしの里"って言うようになったみたい。


 あちきは店じまいしながらここで夕日を見るのが大好き。

今日も一日みんなを笑顔にしたぞ〜ってね。


(あ、そういえば......)


 結局、国倫さんと次郎兵衛さんから渡された不思議なを受け取ってしまった。


「小春ちゃん、ほんとにどこ行っちまったんだろう......」

こんなものをもらっても、あちきにどうにかできるかなんてわかんない。

小春ちゃんはこの黒鏡のこと、何か知ってたのかな――。


「お仙!」

社殿しゃでんの方からあちきを呼ぶ声がする。


「――――?」


「お仙、大丈夫か?」


「あ、鶴姉つるねえ!」



 この人はおつる。あちきが店でお茶汲みを始めた十二の頃に、おとっちゃんが連れてきてくれた世話役兼護衛の人だ。


 女ながら男顔負けの武術で、神田無双館かんだむそうかんという荒くれ者が集まることで有名な剣道場では、師範の蒼海あおみ先生を完封させてしまって騒ぎになったことがある。歳はあちきの一つ上だから、普段は鶴姉って呼んでる。


 鶴姉はどうやら異国の血が入ってるらしくて、*紅毛碧眼で*五尺八寸の長身。

性格も男勝りで江戸の人から異国の大女って怖がられてる。

*紅毛碧眼こうもうへきがん:赤い髪と青い目をした西洋人のこと

*五尺八寸:175cmくらい


 でもみんな勘違いしてる。鶴姉は全然怖い人なんかじゃない。

いつもあちきのことを気にかけてくれるから、あちきにとっては姉のような存在で、鶴姉もあちきのことを妹のように可愛がってくれる。


 商い中だって、悪目立ちしてお店に迷惑をかけたくないって気を使って、社殿の隅っこでお団子を食べながらあちきを見守ってくれる。

そんなことしなくていいって言ってるのに、これが鶴姉なりの優しさなんだろうな。


「どうしたお仙?難しい顔して......その鏡のことでも考えてたのか?」

「うん、そうなの......鶴姉はどう思う?」


「そうだな......気味が悪いとしか......」

「小春って子はかわいそうだけどさ、あたしらがどうにかできる話じゃねえよ」


「そ、そうだよね......」


「で、その不思議な鏡はおまえが預かることにしたのか?」

「うん、とりあえずね これも何かの縁だと思うし」


「そうか......お前の身に何も無いならいいけどよ」

「って、そんなことよりお仙」


「なあに?」


「今日の客たち、その黒鏡の騒ぎに紛れてお仙に触ってたよな? 他に変なことされたりしてねえか?」


「へ......?だ、大丈夫だよあちきは全然!」


「そうか、それならいいけどよ......」

「クソっ!!あいつら、次あんなことしようとしたらぶん殴ってやる......!」


「ちょっ......鶴姉だめだよ殴ったりしたら!お客さんもわざとじゃないからさ、きっと!」


「はあ......全く優しすぎんだよ...... おまえにもしものことがあったら親父さんに顔向けできねえだろうが」

「その変な鏡だって、預っちまって本当に大丈夫なのか?」

鶴姉はあちきのことになるといつもこんな感じで過保護になる。


「ごめんね鶴姉 大丈夫だよ あちきも気をつけるからさ」

「いやいいんだ、いざとなったらおまえを守るのがあたしの仕事だからな」


「まあでも......その」


「こんなことももうすぐ必要なくなっちまうのか......」



「つ、鶴姉......」

しんみりした空気が流れる。



 そう、あちきはあとひと月で鍵屋を辞めるのだ――――。



 先月、笠森稲荷の領主で旗本はたもとの"倉地くらち様"のお家に嫁ぐことが決まったから......。



「......」


 いつかはそういう日が来ると思ってはいた。

江戸で名が広まってからというもの、これまで何人もの男の方から縁談があっては断ってきた。


 でも、あちきだってもう二十歳だ。そろそろ考えなければいけない。

それに市井の女がお偉いお武家の方の妻になれるなんて、女にとってはこれ以上ない幸せだなことだと、誰もが言うはずだ。


 それなのに――――


「――あれ......。」

涙が出てきてしまった。


「お、お仙......!?」



「あれれ、おかしいな......」

「おい、すまん...そんなつもりじゃなかったんだ!」


あちきが突然泣き出したりしたせいで鶴姉を困らせてしまった。


「鶴姉のせいじゃないよ へへ、考えないようにしてたけどやっぱり寂しいね」


「お仙、おまえもしかして......」


 そう。あちきはやっぱり、顔馴染みのお客さんたち、この綺麗な夕日、そして何よりこのあちきと家族同然に暮らしてきたおとっちゃん、鶴姉とも離れてしまうのが寂しくてたまらない。


 ううん、でもそれだけじゃない。


 一般市井の娘として生まれたあちきだったけど、これまで己の力を生かしてある意味普通でない日々を手に入れたと自負している。


 だからこそ思う。――女の人生って、誰かに貰われることだけが終着点なの?――そんなはずない。


 倉地様は素敵な方なのかもしれないけど、一度しかお会いしたことがないし、正直どんな方かあまり知らない。そんな方に成り行きだけで嫁いで本当に良いのだろうか――そんな感情が奥底で騒ぎ立てている。


「お仙、あたしだって寂しいよ」

「でも、おまえが幸せになってくれるならそれが一番嬉しいんだ」


 鶴姉が優しく励ましてくれる。本当にいつも自分の事はそっちのけであちきのことばっかり。


 でも――――


「あのね鶴姉」

「ん、何だ....?」


「幸せって、なんだと思う?」

「え? き、急になんだよ?」


 ――――あちきは鶴姉に聞いてみたかった。


「そ、それはおまえ――女なら稼ぎのいい男に嫁いで、食いもんに困らなくて、可愛いガキを授かってとかじゃねえのか?」


「うん、そうだね それも幸せなのかもしれない でもね――――」

「でも........?」


「あちきは幸せって人それぞれで、正解はないと思うんだ」

「ちょ、ちょっと待てって、一体なんの話を......?」


 鶴姉が困った顔をする。

 

「あちきはね、みたいなものなんか取っ払って、もっと広い世界を知りたいし、好きな人も自分で見つけたい 今までもそうやって生きてきたし、できることならこれからもそうしたい ――それがあちきにとっての幸せかなって」


「な、なるほど、確かにそうかもな......お仙、つまりおまえは倉地様に嫁ぐのは嫌ってことなのか?」


 鶴姉は鋭い。そうは言ってないし思ってはいないけど、痛いとこつくなあ。


「ごめん鶴姉、困らせちゃったね?そこまで言わないよ」

「おいおい、なんだよ〜驚かせんなよ」


「あちきはもう充分幸せな思いをさせてもらったよ?これ以上は望まない それにあちきが倉地家に嫁ぐことで、おとっちゃんや鶴姉の生活だって安定するんだから」


「そ、そんなこと考えなくていいんだよ!」


「考えるよ!だっえ――――」


「な、なんだよ?」


「鶴姉はいつもあちきのことばっかり最優先で考えくれてるでしょ?」

「あ、当たり前だろ!それがあたしの役目なんだから」


 相変わらず鶴姉は仕事だの役目だの、取ってつけたように言う。変に真面目なんだから。


「はぁ〜そんなこと言うんだったら、結婚なんかやめて鶴姉と遠くにいっちゃいたいなあ」


「は、はぇ......!?」


「......あ、おまえなあ、できるわけねえだろ馬鹿野郎」

「あとそういうこと、男の客に言ってないだろうな? おまえはもう少し自分の破壊力を理解して、考えてから発言しろって...... 本気にされたらどうすんだよ全く ブツブツ......」

また始まった。鶴姉の過保護。


「もう冗談だって!気をつけてるから大丈夫だよ〜」

あちきは涙を拭きながら言った。


ていうか鶴姉、あちきに説教しようとしてるみたいけど、照れてて全然怖くない。普段は隙がなくてみんなから怖がられてるけど、あちきだけに見せてくれるこういう一面が嬉しかったりする。


鶴姉にとってのあちきはきっと、いつまでたっても目の離せない妹のような存在なんだろうな。


 でも目の前であちきの言葉に照れてる鶴姉を見ると、身体は大きいのに子犬みたいな弱さを感じてしまって心配になる。



「鶴姉――」

「なんだよどした」


「まあとりあえず、何が言いたいかっていうとね」

「これからはもっと自分の幸せを考えてほしいんだ」


「んなっ......!」


「何言ってんだよ......無理だって この見た目だぞ?みんなあたしのことを大女だの妖怪だの馬鹿にしてくるんだ 別に慣れたけどよ......」


 また始まった。鶴姉は自分の話になるといつも否定的なことを言う。鶴姉のことは大好きだけど、自分を皮肉りながら、諦めたような悲しそうな顔をする姿は見たくない。


「鶴姉!!」


「――な、なんだよ......?」


「そういうの、やめて!」

あちきは鶴姉に説教してやりたくなった。


「鶴姉はいっつもそうやって自分を下げるよね」

「い、いや......その......」


「その紅い髪も碧い目も、あちきは綺麗だと思うし、背が高いのもかっこいいじゃん!」

「それに見た目なんか関係ないでしょ!」


「お仙......嬉しいけどな、そう言ってくれるのはお前だけなんだって......」

「うるさい――」


――ガバッ!



「お仙......?」


 悲しそうに自分を卑下する鶴姉を見てられなくて、あちきは思わず自分の胸に抱き寄せた。


「誰がなんと言おうとあちきにとって鶴姉は――」

「魅力的で一番大好きな女性だよ」

「!!」


「だからもう......そんな悲しいこと言わないで......わかった?」



「はあ......わかったよ、悪かったって」

「全くおまえには敵わねえな......お仙、ありがとな」

鶴姉は恥ずかしそうにしながら、あちきの胸に顔を押し付けて言った。



「――わーい、あちきの勝ち〜」

「......うっせえよ 」



 抱きしめられてる鶴姉はなんだかとっても小さく見えて、今まで一番可愛かった。


「あちきと離れても幸せになるって約束してくれる?」

「ああ、わかったよ......」


 あと半月しかいることのできないこの場所で、鶴姉に感謝の気持ちを伝えられてとっても嬉しい気持ちになった。


 

このあと、あんな悲劇が起こることも知らないで――――。

































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