4話 鶴姉

 夕刻になって、お客さんたちが帰っていく。

「お仙ちゃーんまた来るよー!」

「あいよ! ありがとうねみんな 気をつけて帰りなさいな」


 鍵屋がある笠森稲荷は谷中の中でも高い所にあるから、ここから見える寺院の庭と農村の景色がすごく綺麗。


 春は桜、夏は緑。秋は紅葉に冬は雪景色。

一年を通して日が暮れるのを忘れるくらい美しい場所ってことで、いつしかみんなはこの地を"日暮らしの里"って言うようになったらしい。


 あちきは店じまいしながらここで夕日を見るのが大好き。

今日も一日みんなを笑顔にしたぞ〜ってね。


「(あ、そういえば......)」


 結局、国倫さんと次郎兵衛さんから渡された不思議な"黒い鏡"を受け取ってしまった。


「小春ちゃん、ほんとにどこ行っちまったんだろう......」

こんなものをもらっても、あちきにどうにかできるかなんてわかんない。

小春ちゃんはこの"黒い鏡"のこと、何か知ってたのかな――。


「お仙!」

社殿の方からあちきを呼ぶ声がする。


「――――?」


「お仙、大丈夫か?」


「あ、鶴姉(つるねえ)!!」



 この人はお鶴。あちきが店でお茶汲みを始めた十二の頃に、おとっちゃんが連れてきてくれた世話役兼護衛の人。


 女ながら男顔負けの武術で、神田の剣道場では師範を完封させたこともあるらしい。歳はあちきの一つ上だから、普段は鶴姉って呼んでる。


 鶴姉はどうやら異国の血が入ってるらしくて、*紅毛碧眼で*五尺八寸の長身。

性格も男勝りなところもあって、江戸の人から異国の大女って怖がられてる。

*紅毛碧眼:赤い髪と青い目をした西洋人のこと

*五尺八寸:175cmくらい


 みんな勘違いしてるけど、鶴姉は全然怖い人なんかじゃない。

いつもあちきのことを気にかけてくれるから、あちきにとっては姉のような存在で、鶴姉もあちきのことを妹のように可愛がってくれる。


 商い中だって、悪目立ちしてお店に迷惑をかけたくないって気を使って、社殿の隅っこでお団子を食べながらあちきを見守ってくれる。

そんなことしなくていいのに、これが鶴姉なりの優しさなんだろうな。


「どうしたお仙?難しい顔して......その鏡のことでも考えてたのか?」

「うん、そうなの......鶴姉はどう思う?」


「そうだな......気味が悪いとしか......」

「小春って子はかわいそうだけどさ、あたしらがどうにかできる話じゃないよ」


「そ、そうだよね......」


「で、その不思議な鏡はおまえが預かることにしたのか?」

「うん、とりあえずね これも何かの縁だと思うし」


「そうか......」

「って、そんなことよりお仙」


「なあに?」


「今日の客たち、その黒鏡の騒ぎに紛れてお仙に触ってたよな? 他に変なことされたりしてねえか?」


「ううん、大丈夫だよあちきは全然!」


「そうか、それならいいけどよ......」

「クソっ!!あいつら、次あんなことしようとしたらぶん殴ってやる......!」


「ちょっ......鶴姉だめだよ殴ったりしたら!お客さんもわざとじゃないからさ、きっと!」

「はあ......全く優しすぎんだよ...... おまえにもしものことがあったら親父さんに顔向けできねえだろうが」

「その変な鏡だって、預っちまって本当に大丈夫なのか?」

鶴姉はあちきのことになるといつもこんな感じ。でもそういうところが大好き。


「ごめんね鶴姉 大丈夫だよ あちきも気をつけるからさ」

「いやいいんだ、いざとなったらおまえを守るのがあたしの仕事だからな」


「まあでも......その」


「そんなことももうすぐ必要なくなっちまうのか......」



「つ、鶴姉......」



 そう、あちきはあとひと月で鍵屋を辞めるのだ――――。



 先月、笠森稲荷の領主で旗本の"倉地様"のお家に嫁ぐことが決まったから......。


「......」


 お嫁に行くのが嫌なわけじゃない。いつかはそういう日が来ると思ってたし、あちきのような市井の女がお偉いお武家の方の妻になれるなんて、とっても幸せだなことだと思う。


 でも顔馴染みのお客さんたち、この綺麗な夕日、そして何よりこのあちきと家族同然に暮らしてきたおとっちゃん、鶴姉とも離れてしまうのが寂しくてたまらない。

実感もまだ湧かない。だけど――。


「――あれ......。」

涙が出てきてしまった。


「お、お仙......!?」


「あれれ、おかしいな......」


「すまん...そんなつもりじゃなかったんだ!」


あちきが突然泣き出したりしたせいで鶴姉を困らせてしまった。


「鶴姉のせいじゃないよ へへ、考えないようにしてたけどやっぱり寂しいね」

「お仙......」


「あのね鶴姉、あちき思うんだ」

「ん、何がだ....?」


「鶴姉はいつもあちきのことばっかり最優先で考えくれてるでしょ?」

「当たり前だろ!それがあたしの役目なんだから」

相変わらず鶴姉は仕事だの役目だの、取ってつけたように言う。変に真面目なんだから。


「うん、だからね 鶴姉が男の人だったら、鶴姉のお嫁さんになりたかったなって」


「は、はぇ......!?」


「おまえなあ、嫁入り前のくせに何言って......なれるわけねえだろ馬鹿野郎」

「あとそういうこと、客に言ってないだろうな? おまえはもう少し自分の破壊力を理解して、考えてから発言しろって...... 本気にされたらどうすんだよ全く ブツブツ......」


「もう冗談だって!気をつけてるから大丈夫だよ〜」

あちきは涙を拭きながら言った。


ていうか鶴姉、あちきに説教しようとしてるみたいけど、照れてて全然怖くない。普段は隙がなくてみんなから怖がられてるけど、あちきだけに見せてくれるこういう一面が嬉しかったりする。


鶴姉にとってのあちきはきっと、いつまでたっても目の離せない妹のような存在なんだろうけど、あちきは意外と策士だ。


この人にはこう言えば喜ぶかなとか、相手を気持ちよくさせる言葉を考えながら発言してるし、その才能は正直あると思う。


もちろん自分の容姿にだって自信はあるし、それを武器にここまで伸し上がってきた自負はある。


つくづくあちきも生粋の商売人の娘なんだなって思うことがある。


だけどあちきの言葉は決して偽りなんかじゃない。

お客さんのことは大好きだし、何より今目の前であちきの言葉に照れてる鶴姉のことだって心の底から幸せになって欲しい大切な存在。


だから相手を喜ばせる言葉をかける。それだけ。


「鶴姉――」

「なんだよどした」


「何が言いたいかっていうとね」

「これからはもっと自分の幸せを考えてほしいんだ」


「んなっ......」


「何言ってんだよ......無理だって この見た目だぞ?みんなあたしのことを大女だの妖怪だの馬鹿にしてくるんだ 別に慣れたけどよ......」


お鶴は自分の話になるといつも否定的なことを言う。お鶴のことは大好きだけど、自分を皮肉りながら、諦めたような悲しそうな顔をするお鶴は見たくない。


「鶴姉!!」


「――な、なんだよ......?」


「そういうの、やめなよ」

あちきは鶴姉に説教してやりたくなった。


「鶴姉はいっつもそうやって自分を下げるよね」

「い、いや......その......」


「その紅い髪も碧い目も、あちきは綺麗だと思うし、背が高いのもかっこいいじゃん!」

「それに見た目なんか関係ないでしょ!」


「お仙......嬉しいけどな、そう言ってくれるのはお前だけなんだって......」

「うるさい――」


――ガバッ!


 

「お仙......?」


 悲しそうに自分を卑下する鶴姉を見てられなくて、あちきは思わず自分の胸に抱き寄せた。


「誰がなんと言おうとあちきにとって鶴姉は――」

「魅力的で一番大好きな女性だよ」

「!!」


「だからもう......そんな悲しいこと言わないで......わかった?」



「はあ......わかったよ、悪かったって」

「全くおまえには敵わねえな......お仙、ありがとな」

鶴姉は照れた顔を見せないように言った。



「――わーい、あちきの勝ち〜」

「......うっせえよ 」



 抱きしめられてる鶴姉はなんだかとっても小さく見えて、今まで一番可愛かった。


 あと半月しかいることのできないこの場所で、鶴姉に感謝の気持ちを伝えられてとっても嬉しい気持ちになった。


 

このあと、あんな悲劇が起こることも知らないで――――。

































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れいわのお仙! ちゃんおく @chanok0201

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