第1章
3話 奇妙な黒い鏡
「ふう――」
あちきはお仙。水茶屋"鍵屋"で奉公する二十歳。この店の看板娘。
九つの歳まで、草加で宿を営んでたおとっちゃんとおかっちゃんと暮らしてたけど
二人が死んじゃって、江戸に移り住むことに。
慣れない土地は怖かったけど、江戸で商いをしてる親戚の五兵衛おじちゃんの養子として育てられて、もうすっかり江戸っ子の娘になっちまった。
そして今はこの人があちきのおとっちゃんだと思ってる。
寡黙な人だけど、優しくてあったかくてあちきの大切なおとっちゃん。
もちろん亡くなった本当のおとっちゃんとおかっちゃんも、あちきの大切な家族。
二人が生きてた頃、いつもあちきにこう言ってくれた――。
『お前は、人を笑顔にする才能がある。 その才能を生かしなさい』って――。
「(――二人とも見てる? あちき、江戸で一番になれたよ)」
「(今じゃもう、江戸であちきを知らない人はいないよ)」
「(みんな、ここにくる人は笑顔で楽しそうでしょ? )」
「お仙ちゃーん!」
「ん?」
「はいはい どうしたのー?」
「いつものあれやっておくれよ〜」
「あ、おいらにも!おいらにも!」
「あー、いつものね!あいよ!」
あちきは茶を汲んでお客さんを笑顔にする他に、もう一つ特技がある......らしい。
これをやったげると、病に効くだとか怪我が治ったとか近頃噂になってる。
お客さんはそれをこう呼ぶ――。『お仙*手振り』って。
*手振り:ポーズのようなもの
「ありがたや、ありがたや......!」
「これで、おいらの怪我もすぐ治るよね?」
『お仙手振り』は、あちきが両手で『仙』の字を作るだけの簡単なやつなんだけど
おふざけでやったつもりが、これがまあ流行っちまってあちきも驚いてる。
「ええ、すぐ治るよ!あちきに任せとくれよ!」
「(喜んでくれてるし まあいいか......)」
ここ『御休所 鍵屋』は平癒の神が祀られる笠森稲荷の境内にあることから
無病息災を願って参拝しに来るお客さんが多いんだけど、それにかけてあちきの存在が余計にご利益があると広まってるらしい。
「(誰が言い出したかわかんないけど、ここまで求められると断りにくい......)」
「――お仙!」
お仙手振りをしながらお客さんと話したら、聞き覚えのある声に呼ばれた。
「すまねえ、ちょっといいか?」
「あ、国倫(くにとも)さん――と次郎兵衛さんも!」
国倫さんは時々店に来る馴染みのお客さんで、いつも変なものを作って江戸の人を驚かせてる変わりもんの蘭学者さん。
その隣にいる次郎兵衛さんは、あちきの錦絵を描いて江戸に広めてくれたすごい絵師さん。あちきのおかげで名を上げたってことで、よく茶を飲みに来てくれる。筆名は鈴木晴信。二人は仲良しさんらしい。
「二人ともどうしたの?」
「ああ、お仙、今日はおめえに聞きたいことがあって来たんだ」
「ちょいと話せるかい?」
「え......ええ?」
いつもは調子のいい雰囲気だけど、なんだか真面目な表情の国倫さん。
そのまま国倫さんはあちきに訊ねてきた。
「――浅草の甘味処、松葉屋の小春という娘は知ってるかい?」
「ええ、もちろん 小春餅がとっても評判の......」
当然知ってる。小春ちゃんはここ一年で江戸の美人番付でも常連組。
前に三度ほど会っていて、少し変わった風貌の子だけど、傾きかけてた松葉屋を建て直した頑張り屋さん。
松葉屋の小春餅は、小春ちゃんの白くて綺麗な肌を見立てて作られたもので、お店の名物になっててあちきの好物でもある。
「それで、小春ちゃんがどうかしたの......?」
「ああ、実はよ――――」
今度は国倫さんの隣にいた次郎兵衛さんが口を開いてこう言った。
「――――小春はひと月前に失踪したんだ」
「え............?」
「小春ちゃん いなく......なったの?どうして......?」
いきなりそんなことを言われて、あちきは言葉が出なかった。
「ああ......噂が広まって、今浅草で騒ぎになってんだ 神隠じゃねえかってな」
「いやあな、小春の錦絵を描く用事で松葉屋に行ったらよ いねえっつうから驚いたよ」
次郎兵衛さんはその時の話を説明してくれた。
「そ、それで何か手がかりはないの!?」
「ないこともない......おい、あれ 見せてやろう」
「ああ」
次郎兵衛さんは、国倫さんに目線を配って何かを出してもらうように示す。
「こいつなんだがよ......」
国倫さんは白い布に包まれた何かを取り出し、ゆっくりとあちきに見せてきた。
「なに......これ?」
それは見たこともない......薄くて、黒いもの?
「小春の部屋にこいつが残されてたんだってよ 」
「松葉屋夫婦が譲ってくれたんだが、何が何だかわからなくてな」
「それで、こういう不思議なもんに明るい国倫に見てもらったってわけだ」
「年若い娘の流行りもんかとも思ったんでおめえに聞きにきたんだ」
「どうだお仙、見たことはあるかい?」
次郎兵衛さんはあちきを当てにして来てくれたみたいだったけど
あいにく初めて見たものだった。
「うーん、あちきもわかんないけど 黒い鏡のようにも見えるわね」
「近くで見るとあちきの顔が映るのね 鏡みたいに――――」
その瞬間――――
「けっ!?」
"黒い鏡"は白く輝き出した。
あちきは驚いて、思わずそれを投げた。
「ちょいと......それ!!なんなの......??」
「おっとすまねえ、まだ伝えていなかったな」
国倫さんは、あちきの投げた"黒い鏡"を拾い上げて言った。
「そいつさ、どうやらただの黒い鏡じゃねえみたいなんだ」
「へ......?」
そう言うもんは先に言ってほしい。それでどうして国倫さんは平然としてるんだろ。やっぱり変わり者だ。
「ちょいと国倫さん、あちきをからかっているのかい?」
「すまんすまん、違うんだ。詳しいことを話しても難しいだろうがよ」
「俺も初めはただの黒い鏡だと思ったさ――」
「でもな、雷様がひでえ日に一瞬だが光出した気がしたんだよ」
「それでひと月の間、そいつを家で細工してみたらその有様だ」
「いやあ驚いたぜ、もしかすると、この世のもんじゃねえのかもな ハハハハ!」
さっきまでの真面目な雰囲気からいつものふざけた国倫さんに戻った。
「もう......」
確かに、とてもこの世のものとは思えない、すごく気味の悪い鏡。
でもなぜだか、あちきはそれに呼ばれてる気がした。
だから――――
「国倫さん!も、もう一度あちきにそれを見せておくれ!」
「おう、好きなだけ見な それで小春のことで何か思い出したら教えてくれ」
国倫さんはそう言って、もう一度それをあちきに渡してくれた。
鏡はあちきの顔を近づけると白く光る。
よく見ると、何か絵が描いているみたい。それが何かあちきにはわからなかった。
「小春ちゃん......こんなもの残して、神様か何かだったのかしら......」
「一体どこ行っちまったのかな......」
「えっ......?」
あちきが鏡の光ってるところを触ると――――
「こ、これ......透けてる?」
鏡だったそれが、今度は向こう側が透けて見えるようになった。
「く、国倫さん!次郎兵衛さん! ちょいとこれ見てよ!」
「なんだどうした......?」
「おお!これは驚いたな お仙、一体どうやったんだ?」
「わ、わからないわ! ちょいと触っただけで......!」
「すげえぞ!お仙、おめえはやっぱり神の力を受けているのかも知らんな」
国倫さんと次郎兵衛さんは感心したように覗き込む。
「何だ何がどうした!?」
「やっぱりお仙ちゃんは神のご加護を受けてるってことかい?」
「よく見えねえよ、押すなよあんた!」
気がづくと、縁台に座っていたお客さんたちも物珍しげに集まってきた。
「み、みんな落ち着いて...... そんなんじゃないから 多分......」
『カシャ――――』
――――突然、聴いたこともない音が突然鳴った。
「お?何だ今の音は......?」
「おめえが、屁こいたんじゃねえのか?」
「馬鹿野郎......!ちげえよ!お仙ちゃんの前で何言ってんだ!」
お客さんが騒いでるけど、今の音がどこから鳴ったのかはすぐにわかった。
「――――う、嘘......」
だってそれは――――。
鏡から、お客さんの姿をそのまま切り取った絵に姿を変えたのだから。
「み、みんなの姿が......鏡の中で絵になっちゃった どうなってるの?」
「このような精巧な絵を一瞬で......?ありえぬ 次郎兵衛が泣くぞ」
「泣かんわい!しかし本当にこの鏡は何なんだ、妖術かい?」
国倫さんと次郎兵衛さんもひどく驚いているようだった。
「な、なあ、俺らにも見せてくれ!」
「わ、わっちにも!」
「お仙ちゃん、わしにも見せとくれ!」
見ているだけじゃ我慢できなくなったお客さんたちは、その妖術の如く不思議な鏡を見たさに、次々に押しかけてきた。まるでお祭り騒ぎみたいに――。
(わいわい ざわざわ)
「ちょいとみんな落ち着いて! 押さないの!」
「あ......!」
『カシャ!――――』
『1770(明和7)年 旧暦2月13日 江戸 谷中』
『この日 人類は初めてスマホを見てシャッターを押した――――』
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