2話 お仙 登場
「お〜確かこの近くだ!」
「兄さん、待ってくだせえ〜」
二人は日本橋から*半刻以上かけて谷中の感応寺まで歩いてきた。
だんだんと春らしい季節にもなり、自然豊かな谷中の景色は繁華街の日本橋とは違った風情を感じられる。
目の前には大きく目立つ五重塔と、あたりには参拝客に声掛けをする屋台や休憩所が見えてきた。
*半刻:約1時間
「あ、兄さん!」
「どうした辰吉」
「あれじゃねえすか?行ってみましょう」
辰吉はひときわ出入りの激しい通りを見つけ、その先へ行ってみることに。
二人が先を進んでみると、『笠森稲荷』と書かれた鳥居が見えてくる。
鳥居の向こうにはたくさんの人が縁台やその周りで茶を飲んでいるようで、建物には『御休所 かきや(鍵屋)』とある。
「ここで間違いなさそうだな 縁台に人が収まらねえほどの繁盛っぷりだ」
「ええ――てか、兄さんもここは初めてだったんでごぜえすね......」
「なんだよ、悪いかよ......」
二人が目の前の人の多さに感心していると、綺麗な縞模様の着物の女性が店の奥から出てくる。
「――――――――!!」
厚底の黒い下駄の音が鳴り響き、一瞬でその場の空気が変わる。
ついに二人が待ち焦がれた、実物のお仙が目の前に現れたのだ。
綺麗でツヤのある*島田髷の髪型に、すらりとした細身の体型と小さな顔。
化粧っ気はないのに華やかで整った顔立ちに、色気と愛嬌が共存した唯一無二の雰囲気。
誰が見ても美しいと思うであろうその姿は、明らかに異質のオーラを放っていた。
*島田髷:日本髪で最もスタンダードな髪型。
「お、俺......あんな美人 初めて見ました......」
「ああ、俺もだ......」
二人はお仙に見惚れたままその場に立ち止まってしまった。
「あら、お二人ははじめてさん?こちらへどうぞ」
「!!―――――」
気さくに話しかけてくれたお仙に思わずびっくりしてしまう二人。
「ささ、お座りなって 何を差し上げましょう?」
「茶と、その......こ、米団子を二つもらおうか......」
「あいよ ちょいとお待ちになってね」
「へへへ、兄さん緊張してるんでごぜえすか?」
「う、うるせえんだよ!」
仕事では頼れる兄貴分の与市だが、お仙を前にしてしまえばその威厳も皆無である。
「お仙ちゃーん、またくるよー!」
「お仙こっち向いておくれよ〜」
水茶屋鍵屋は、まるで歌舞伎の立ち役を応援するような客の声があちこちで上がる異様な光景。
お仙は持ち前の対応力で、器用に接客をこなしながら笑顔を振りまいている。
「辰吉、周りを見てみろ」
「え?」
「ここじゃあ 女子供、お武家さんも商人も、関係ねえ」
「ええ、みんながお仙の虜になってますね...ほんとにすげえや」
「こんな芸当 誰も真似できねえよ」
「きっと100年先も そのまた先も世に語られる娘さ―――――」
まさに天下を取る勢いのお仙の人気は、社会現象を起こしていた。
与市と辰吉をはじめここにいる客全員が、明日もそのまた明日も店で彼女に会えることを楽しみにしていた。
しかしこの日、 1770(明和7)年 旧暦2月13日―――――。
江戸の人々がお仙を見る最後の日となった。
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