第5話
「さあ、【直言の占者】。大事な友人の命が惜しくば、【決議】を解くがよい」
「……人ごときを脅さなければいけないほどに落ちぶれたのかしら」
会長は毅然と言葉を返す。その手には微弱に光を湛えたストラップが残っていた。
「人ごとき、とは見積もりが甘い。儂はおぬしら人を高く買っておる。儂らはおぬしらを正しく評価する。それゆえ、貴様ら人間がそうしたように、最も合理的な手を取るだけにすぎぬ」
噛まれている彼女の首に、一筋の血が、彼女の首から流れる。
誰もが、動くに動けなかった。少しの時間さえあったなら、彼女の首が狼のように胴から離れることは想像に難くなかった。言葉を発せたのは、やはり会長だった。
「……わかった。交渉ね、何をお望み?」
「聞こえなかったか。【決議】を解け」
「あなたの命と引き換えなら呑んでもいいでしょう」
「愚かな。どちらが優位か、わからんほど人は弱くなかろう」
「優位? それは私でしょう。貴方が手にしているそのユイは、絶対に殺すことができないカードよ、わからない?」
「ほう? 虚勢も大概にするといい」
「あなたが簡単に殺せるようなものを、私の近くに置くと思う? 私が、私の周りがどれほど危険かを判らないほど愚かだと思う? 無対策だとでも信じているの?」
「その賢さは身に染みておる。が。お主はその力で周りを守る方が潔しとする類の人間だろう。お主がいないとて、狙われるのはお主のそばの者であることはかわるまい。なれば近くにいる方が安全と判断した……おおかたそんなところであろう?
それに、すべての人間にまで【忘れ形見】を配ることはできまい。ここの皆までが持っていないことはすでにわかっておるよ」
どちらもがあくまで自分が優勢であることを主張してやまなかった。決議が何を意味するのか、忘れ形見が何を意味するのか正確には判別できないけれど、決議と忘れ形見がその狼にとって致命的であることは察せられた。
けれど、それを差し引いたとしても、首だけで動き回り、あまつさえ人語を解する狼は脅威でしかなかった。いったい、何をしたらそれは動きをとめるのだろう。
「よくわかっているじゃない。なら、私がユイを殺したものを許さないこともわかっていいわ。例えばユイが亡くなったのなら、私には決議なんて解く必要もなければ、占者総連にまで決議を展開したっていい。その前に、あなたがこの国からでていけるかしら。命は大事にした方がいいと思うわよ」
「たかだか決議ひとつで大きく出たものだ。決議があって、日中でもあって、なおこれだけ脆いというに」
「決議があってなおこれだけ脆い? まだ、わからない? あなたがユイを問答無用で殺さないのは、あなたが窮地にいるからに他ならないでしょう? それをあなた自身がわかっている。この場に本体で来ないのも、それが原因でしょう。」
一歩、会長がゆらりと踏み出した。その手は、かすかに震えているように見えた。
「近寄るな。その【忘れ形見】をおけ」
「私は、その使い魔の命ひとつで、貴方がこの学校から逃げることを見逃してやってもいいと言っているの。そんな使い走りの狼を使わねばいけないほど弱った『髑髏』さん?」
「……お見通しとは怖いものだな。これは、人質になどならぬか」
言うや否や、ばきり、と首をかむ力が増した。それに呼応してか、「だと思ったッ」と会長の回し蹴りが炸裂する。それも見越していたのか、狼は蹴られた勢いそのままに正面の窓ガラスを突き破り、影へと沈んでいく。
「『髑髏』ッ」
長躯の副会長がその影を追って窓に飛び込むも、裏庭の影へと身を潜めた飛び回ったその灰色の塊はもはや正確にとらえることはできない。
どこからか、声が響き続ける
「守らねばならぬものを抱えると大変よなぁ、そうしてまたわしらを追い詰めきれず取りこぼす」
その言葉に答えたのもやはり会長だった。
「残念ね、でも、貴方たちは私たちがいる限り安心しきれないでしょう? また会いましょう。どちらかが果てるまで」
「楽しみにしておるよ、ではな」
その言葉ののち、草木をかき分けて走り去る様な音が、いくつかあたりに響いた。
ふっと緊張感がゆるんで、動き出したのはミナトと会長だった。
「ユイさん、傷が」
「ユイ、大丈夫?」
ハンカチを出血箇所に当てようと動いてして、僕は目を見張る。
傷の箇所だけが時の流れが違うように、どんどんと治っていくのが見えた。
「そんな心配しなくてもだいじょうぶですよ。騎士の役を拝命しているので、だいじょうぶです。狼の使い魔程度には負けませんよ」
ユイと呼ばれる少女はそう健気に微笑んでいた。疲労はあるのか、余裕のない笑顔のようにも見えた。会長がそっとユイに肩を貸す。その背中に、声をかけるべきか悩んでいるうちに、背中越しに会長が語る。
「さて、本筋からはだいぶズレましたが、これで危ないのは伝わったでしょう」
一拍置いて、会長は続けた。
「命には順番をつけなくてはなりません。私が守れるのはほんの一握り。そしてそれが順番に危険になって行くのです。ユイはうちの手のものだから、対策もいくつか仕込んでいるのだけれど、丸腰で首を突っ込んでくるものを守り切れるだけの力はない。だから、漫然と祝福されていてください」
ユイに肩を貸しながら、二人は出ていった。
倉庫には、ただ、僕らだけが残されていた。
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