第4話

「何の音だよ……」


 ミナトの言葉に答えたのは、気弱そうな生徒会の彼女だった。


「倉庫から、でしょうか」

「倉庫って言ったって別になんも不思議なものはなくないか? なんかあったかな」

「いえ、さっき、倉庫に、何かがいるんじゃないかって話をしたんです。

 それでお二人が様子を見に行くと……」

 

 何かいる、と言われて顔を見合わせる。


「!!」

 

 「ついていこうとしたんですけど、危ないかもしれないから待っているように」と語る彼女の言葉を背景に、僕らは駆け出した。まさか、狼だろうか。こんなにタイミングよく? 期待と不安のような何かをない交ぜにしたまま、階段を何段も飛ばして駆け降りる。

 生徒会室倉庫と書かれた隅の教室の前、乱闘のような音はまだ響いていた。

 足早なノックを三回。ミナトが繰り広げたその音に、かえってきたのは鋭い警告だった。


「ッ!! 開けるな」


 しかし、すでにミナトは扉を開いていた。瞬間、襲い掛かるのは、灰色の獣。冷たい瞳。知っている。それは。


 まごうことなき、狼だった

 

 ミナトめがけて、とびかかって来る塊を、横から現れた長躯がふみつぶす。

 すんでのところでその足から逃れた狼が壁を蹴っては、棚の上へと姿を隠し、隠れた端から飛び出してくる。そのたびに長躯の副会長が蹴り落とそうとしているようだった。

 数秒のうちに何度の激突が行われたのか、音の数でしか把握できない。

 

 会長は、その横からチカリ、チカリと、何かが光らせて狼を追い立てていた。

 なんだか懐かしくも見えるその光に刺されるたび、狼が傷ついたようなひるんだような声を上げる。

 棚の奥、光の届かないところまでさがって、ひとときの膠着状態が生まれる。


「会長……? 何ですかこれ」

 

 ミナトが、一瞬の恐怖から安堵へと切り替わったのか呆然と声を上げる。


「下がって。出て、閉めて」

 

 会長が、背中越しに端的に指示を発する。開いたままになっているドアを覆うように、会長が構える。

 その圧は「逃がすものか」と語っているようだった。

 まるで言葉を解すかのように、狼が弾丸のように飛び出してくる。

 真正面から会長を。それから直線状には僕ら、と外の光。

 出口を守るかのように、会長が手元に何かをかざす。

 

 一閃が目を焼く。

 圧倒的な光量が発せられて、悲痛な

 

「お嬢、仕留めます」


 武骨な副会長の一言と、ともに、その右腕が振り下ろされ、

 莫大な光とともに、何かが爆ぜるような大きな音が響き渡る。

 視界が白く白く引き伸ばされて、きぃんとした耳鳴りも止まらず、思わず身を抱きしめる。

 そうでもしていないと、自分には五感があるのだと信じられなくなりそうだった。


 どれほど経ったかもわからないけれど、目と耳が順応したころには、ぐったりとした狼と、無表情な副会長だけが立っていた。


 彼の手前で、こちらを冷たく眺める会長は、淡々と述べ始めた。


「後でお見せしようと思いましたが。いらしてくださったのならそれでもかまいません。これが狼です。おそろしいものでしょう。ですから、この件には立ち入らないように、とお伝えしたかったまでです。

 よろしいですね」


 確かにおそろしい。淡々と、遺骸処理を進める副会長が、恐ろしかった。

 先ほどまで襲われていたことをものともしない会長が恐ろしかった。


「これが、普段なんですか」


 知らず言葉が零れ落ちた。喉が、震えていたのは、狼と対面した恐怖だけではない。

 慣れたように狼を屠り、何でもなかったかのように片付けるのが日常なのだと見せつけられ、

 その上に生きていることを突き付けられるという、自分の無知さが何よりも恐ろしかった。

 きっと、「あの人」のように、危ないからと遠ざけて、勝手にあぶないことを終わらせてしまう人がいる横で、それを知らずにいた自分がそこにいる感覚。

 それが恐ろしくてたまらなかった。


「……日常とは何を指すか難しいところですが」


「人類の姉も、こういうことをしていたのですか」


「……そうでしたね、貴方は彼女の何を知っているのです?」

 

「それは」


 少しだけためらう。口にして、それはすべて夢だと否定されるのに怯えているのだろうか?

 まさか、と自身に言い聞かせる。僕が、あの約束を信じなくて誰が守れるというのだ。

 口にして、何も知らないことを改めて思い知るのが怖いのか?

 まさか。ここで退いて、今後僕はいつ、何を知れる?

 話す覚悟を決め、彼女と交わした約束のことを、「ーーーのーーーー」について口にしようとしたとき。


 ぶちり。つながっていた皮膚がちぎれるような音がした。


 そちらを向けば、眼前に迫りくるのは狼の頭だった。


 躱す余裕は、ない。

 腕も、足も、迎撃には間に合わない。動かない。

 

 痛みを覚悟した。

 けれど、その狼の弾丸は、僕を掠めることもなく、横を通り過ぎる。

 思わずそれをめで追えば、その頭が向かう先は僕ではなくその先、ミナトすら超えて、開いたままのドアの向こう。

 


 追いかけてきた気弱そうな彼女の姿が、そこにあった。

 狼の首はするりと彼女の首に絡みつき、にたりと笑う。


 「さあ、【直言の占者】。大事な友人の命が惜しくば、【決議】を解くがよい」


 老獪な笑い声を含ませて、狼は流暢に語った。

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