第2話

 時折呻くように、そのユメを見る。今となってはユメか本当かもわからない。

 幼いころの記憶であって、半分くらいは幻覚も混じっているのだろうと思う。

 狼だなんて、作り話もいいところだろうとは思う。近頃、狼なんて出くわすこともない。絶滅が噂されるくらいにはもういなくなっているはずだ。

 でも、あの日、夕日が沈む前に瞬いた極光だけが、嫌に瞼にしみ込んでいて、すべてが作り物だったと信じることもできない。

 それ以来、ミツキには出会えないままでいる。

 

「おい、サク。遅刻するぜ」

 

 その声に、目を開ける。少し人ごみのある電車の中、慣れ親しんだ発車のメロディ。春の大型連休明けで車内はどこか疲れているような気がする。

 高校の最寄り駅で声をかけてきたのはミナトだった。慌てて電車を降り、ミナトのそばまで駆け寄る。


「ありがとう、助かった」

 

 折り過ごしたら始業時間ギリギリになってしまうところだった。

 

「寝不足か? それとも、電車でいい夢でもみてたか?」

 

 軽口をたたきながら、慣れた通学路を消化する。


「いい夢なんて、ちっとも」

「そうだよな、お前なら狼が出る夢でもないといい夢なんて言えないよな」

「……さすがに前ほど狼ばかり追いかけてるわけじゃないよ」

「そうか? 俺からしたら大差ないぜ。狼のこと、まだ好きなんだろ」

 

 山の上に作られた高校には、歩いて15分ほど。じりじりと上がっていく坂道に自然と口数は少なくなる。

 

「好きってわけでもないんだよ、気になるだけで」

「これがなあ。好きなひとの話であればまだ健全な男子高校生らしいんだけどなあ」

 

 これ見よがしなため息に、ひとことモノ申したくて、「ミナトがひとのこと言えるか?」と返す。


「なにをいうか、ついこの前玉砕したばっかりだぜ」

「三年の先輩の話か?」

 

 クラスが違って部活も違えば、幼馴染でも知らないことも多い。

 風の噂で、隣のクラスのやつが、三年の生徒会長に無謀な告白と玉砕をしたらしいと聞いたから、そうなのかもしれないと思っただけだったが。


「そ、真壁生徒会長」

 

 まごうことなき、ミナトのことだった。

 

「そりゃ進路が控えている中じゃ他のことに割ける時間もないだろうし、難しいか」


「帰宅部だしそんなに時間に追われているような感じでもないけどな。何が駄目だったんだろうなあ。まあ、まだこれからではあるんだけどよ」


 慰めを口にしたつもりが、ミナトにとっては特段玉砕が気になることではなかったようだ。諦めるつもりどころか、平然とこれからまだまだ近寄っていくことすら考えているようで、少しだけ釘を刺す。

 

「それじゃ、今はあんまり仲良くなかったってことだろ。距離詰めすぎるとアレだぞ」

「面識はあったさ。生徒会だって一緒だしな……。というより、より深い仲に踏み込むための告白だろ」

「ある程度の信頼度があってからそうなるんじゃないか……いや、わからないけどさ」

「なんだ、立派に人のこというじゃねえか。じゃあ、科学部の後輩はどうなんだ、素敵なひとがはいったって聞いたぞ」

「後輩、あぁ。入っていたな。よくはわからないけれど」

 

 今年、科学部に入ってきた唯一の一年生のことだ。

 なんだか鋭い物言いで切り込んでくるものだから、少しだけ苦手な意識もある。


「結局狼以外にそれほど興味ねえな、ブレなくていいけどよ」

「それほどでもないよ。最近はまともに進学だって考えているし。今日だって予備校があった」

 予備校があったから寝不足なんだ、と言おうとして

「予備校があるから寝不足なんだなんて言わせねえぞ」


「どうせ、これだろ」

 鞄の外ポケットから、新聞の切り抜きを突き出してくる。

【遺体に不審な噛み痕、オオカミの仕業か】

 一昨日の日付の新聞の地方ニュースの一部。僕らの住むまちのすぐ近くでの不審な死体についての小さな記事。

 

「なんだ、ミナトも知ってるんじゃあ、僕がことさらに調べているというわけじゃあないな」

「お前が調べてるから目に留まったんだよ。それに、その腕の傷、どうせここまで行ってきたんだろ」


 ミナトは、目ざとく僕の腕の擦り傷を指して言う。


「ばれてるなら仕方ない。ちょっと様子を見てみようと思ったんだけどね、なかなか入り込めなくて」


「そりゃそうだろ、おまえ。事件か事故かわからねえけど、人が死んでるんだぜ。規制されて狼が絡むと常識を失うのか?」

「近くだから見に行っただけだよ。近所で不思議なことがあったら見に行くだろ」

「それで、なんかわかったのか」

「ある程度話は聞いたけれどね。求めていたものじゃあなさそうだ。やっぱり狼なんていないんだろうしね」

「ここらで本物を見つけてお前の狼執念も一段落したらいいと思うんだけどな……あ、ちょうどいい」

 

 言うや否や、ミナトは通学路を歩く前の生徒に、唐突にも話しかけ始める。短くそろえられた髪と、僕らと同じくらいの背。襟につけた校章の色は上級生であることを示していた。


「おはようございます。先輩、狼っていると思いますか?」


「おはようございます。ミナトさん。……狼、ですか?」


 静かに告げたのは、噂の真壁先輩だった。

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