夜庭

こむぎこ

第1話

「ダメですよ、貴方は祝福される命だ」

 

 ついていこうとした僕に、連れて行けなどしないと、ミツキは言外に告げていた。

 夜の庭のなか、月の光を受けた彼女はどこかこわれもののようだった。

 一切合切すべてをひとりで背負って、どこかに消えてしまいそうなミツキの姿があった。艶のある長い黒髪を揺らして、ミツキは言葉を続ける。


「私は、私の命の使い方を知っている。あなたはまだそれを知らない。まだ、決めるべき立場にいない。だから、あなたはまだまだ漫然と祝福をされていていいのです」

 

 何を言っているのかは、全然わからなかった。どうしてミツキがこの家から出ていこうとするのかも、どこへ何をしに向かおうとしているのかも、何もわからなかった。何もわからなかったけれど、ミツキが穏やかにも力強く、何か危ないことをひとりでなしとげようと決めていることだけは伝わってきた。

 ミツキは前々からそうだった、時折家を飛び出しては、けがを作って帰って来る。何をしているかは教えてくれなくて、そのたびにやさしく、まるで大人みたいにはぐらかす。 

 僕はミツキの友だちでいたいのに、僕はまだまだミツキみたいに大人になれなくて。なんだか悔しくて、僕の口は勝手に言葉をこぼす。


「命の使い方なんてわからないよ、でも、だからって、独りであぶないことをするのは、よくないよ」

 

 苦笑して、ミツキは答えた。


「そうはいいましても。私がやらなくてはそれなりに困ることになるんですよ。

 もうじき夜になります。夜は狼たちの戦場ですから、サクは家に戻ってください」

 

「あぶない狼なら、俺がぶっとばしてやる」


 ミツキは苦笑するかのようにくすりと笑っていた。


「すこし、似合いませんね」


「……僕は弱くないよ」 

 

「ええ、わかっています。似合わないといったのは、あなたが暴力的な言葉を使うのが、です」

 

 人差し指を僕の口に当てて、ミツキは微笑んだ。


「まあ、私はサクよりもお姉さんですから。人類のお姉さんですから、そういうものなのです。末のきょうだいを、あぶないものから守るくらいさせてくださいよ。

 お姉さんらしくありたいんです」


「人類の、お姉さん?」

 

 初めて聞いた言葉だった。

 少しだけ、ミツキの抱えているものに近づけたような気がしてうれしかったけれど、 「おっと、少々おしゃべりが過ぎましたね。それはいずれわかることがあるでしょう」とのミツキの言葉で、うれしさは減ってしまう。


「教えてくれないの?」


「それは、きっと、どなたかがおいおい」


「そう、なんだね……」


 夕日は、姿を隠そうとしていて、夜の闇は刻一刻と迫っていた。

 まるで、つめたさの足音が忍び寄るような空気だった。

 沈んでしまった雰囲気を打ち破るように、ミツキが口を開いた。

 

「ああ、それより、こうして目ざとく見つけてくれたサクに頼みたいことがあるのです。聞いてくれますか」


 僕の両手を包んで、目と目を合わせて、真剣にミツキが語りかけてくる。

 ――いやだ。

 聞いたら最後、ミツキはもうこの家に帰ってこないのではないか、という気がした。

 思わず、目を背けてしまう。


「おや、聞いてくれませんか。悲しいなあ、いじけてしまいそうですよ?」


 おどけて話しているけれど、なんでか、やっぱりもう、かえって気はないんだろうと思える声だった。

 そう思うと、どうしようもなく目のあたりが熱くなってしまう。


「ああ、こまったな、サクを泣かせるつもりはなかったんですよ」

 だからひっそりでていこうとしたのになあ、とつぶやいているようにも聞こえた。


「では、順番は前後してしまいますが、これをさしあげましょう」


 そういって、なにかを、僕の首にかける。

 涙の合間から見えたそれは牙のような首飾りだった。

 

「私が大事にしてきた、お守りです。サクなら、これがだいじなものだとわかりますよね」


 それは、ミツキが肌身離さず持っていた首飾りだった。

 ミツキが「預けても壊さず大事にしてくれるとひとにしか触らせてはならない」といつも言っていた、首飾りだった。


「これ、を?」


「サクにあげましょう」


 力強い笑みで、また両目を見つめてくる。

 ずるいほどに、力強い。吸い込むような魔力が、その目にはあった。

 

「さて、では。次で最後です。おわかれです。

 たのみごと、ちゃんと聞いてくれますか?」

 

 さいご、をくちにしたらミツキはそれを破らない。夕日が沈んだらおしまいにすると約束したかくれんぼを、絶対に伸ばさないように、

 本当にこれで、ミツキの言葉は最後になってしまうのだろう。


「……うん」


 聞かなくてはならない。ミツキが信じてくれたのなら。

 せめて、最後のたのみごとは、この首飾りの信頼にかけて、聞かなくては嘘だろう。


「やっぱり、サクはそういう顔をしているのがいいです。似合っていますよ。

 では、お伝えします。よく覚えておいてくださいね。

 ―――の――――。それがなされることを、その首飾りとともに見届けてください。それはきっと私のようなまがいものにはできないことですから。

 約束してくれますか」


 意味は分からなかった。わかれなかった。

 涙を隠すようにうつむいて、うなずいた。  



 

 折りに触れて、呻くように、僕はこのユメを見る。

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夜庭 こむぎこ @komugikomugira

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