2 ひらめき

「おい、死体はどういう状態なんだ」

 ブロウが興味本位で聞いてきているわけじゃないことは、緊張感漂う声で十分に分かる。聴覚しかなく生首状態のブロウからしてみれば、死体があるという物騒な事実は不安でしかないんだろう。

 五体満足の俺からしてみてもこの状況はとても心穏やかな出来事とはいえないが、幸いにも死体に対して酷く動揺することはなかった。聴覚と生首しかない相手に死体の状態を説明するため、死体を仰向けに転がす。中年ぐらいの男の死体だった。ざっと頭から靴の方までを観察していく。

「首にサーベルが刺さってます。血が出すぎて死んだんじゃないですかね」

「首以外に傷はあるか」

「無いです。服装もきっちり着込んだままの綺麗な状態ですね……あ」

「あ?どうしたよ」

「この人、俺と同じ格好してます」

 襟まで詰まった頑丈そうな生地装いで、デザインはほとんど俺が着ているものと一緒だった。こうして見てみると、今自分が着ているのは普通の洋服というよりかは何かの制服のように思える。

 そのことをブロウに伝えると、少し顔を顰めた。これはなにか嫌なことを思い出しているときの表情だが、五感を無くしていた頃を思い出している時よりかは悲惨な表情ではなかった。

「……死体の首に刺さってるのはサーベルだって言ったよな。紫の布が巻かれてないか」

「ええ、巻かれてますね」

 死体が装備しているサーベルの柄の部分に渋い色合いをした紫色の布が巻いてある。同様の装備は自分の腰にもぶら下がっているが、自分の布は死体のものより若干色鮮やかだった。

「お前も同じ格好か。じゃあ、多分お前は軍人だったんじゃないか?軍の奴らには街で何回か追いかけ回されたことがあるから分かるけどよ、たしかそんな武器を持ってたはずだ。嫌になるぐらい鬼ごっこしたから忘れられもしねえ」

「軍人……」

 そうは言われてもピンと来なかった。軍人にイメージといえば壁みたいに堂々と立って、何があっても動じないような人間を思い浮かべるが、俺はそれとはほど遠かったからだ。

 森で異形にあった時から今の今まで、漠然とした焦燥感をずっと感じている。このまま記憶を取り戻せなかったら一生ここで彷徨うことになるのかと思う一方で、記憶を取り戻して自分がどんな人間だったか思い出したとき、自分を見つめ直すことになるのが酷く恐ろしい。

 それでも俺は記憶を取り戻さなきゃいけない。そうでないとブロウは何も見えず、何も感じない音だけが聞こえる世界で月日を過ごすことになるからだ。

 脳裏に過ぎったのは出会った当初の、すすり泣きのような呻き声を上げる姿だった。あの喉が潰れたような酷く弱った声は、なにもない世界で必死に絞り出した懇願と悲鳴の意思表示だったんだろう。さっき出会ったばかりの赤の他人だが、ああいう姿はあまり見たくないと思った。


 物思いに耽っているうち、気付くと周囲には深い霧が立ちこめていた。手元に収まっていたはずの生首もなぜか見当たらず、慌てて駆けだそうとしたが霧はどんどん濃くなっていく。つま先ぐらいしか見ることができない程視界が悪くなってきた時、霧の中から声が聞こえてきた。

「訓練生一名気絶、養護室に搬送!」

 あまりにも突然号令のような大声が飛んできて体が跳ねる。場に不釣り合いな声量と内容は明らかにただごとでは無く、自然と視線は声がした方に向いた。

「これは……俺の記憶か?」

 気付くと目の前は薄暗い森ではなく、どこかの開けた運動場らしきところだった。数人の集団が厳つい装備をもって運動場を走って周回しており、一団の後方で倒れた一人が担がれて運ばれてる。

 突拍子のない風景に驚くと同時に、異形の言葉を思い出した。あの異形は俺の記憶がそこらに溶け込んでいると言っていたが、これがそうなんだろうか。


 走っている集団の額からは汗がしきりに落ちていて、この周回が始まってから大分時間が経っていることが分かる。集団の中に遅れているものがいると少し離れた所で立っていた人間から叱咤が飛んでいた。

「走り込みやめ、総員集まれ!」

 再び号令がかかり、一団は一糸乱れぬ動きで向きを変えて号令をかけた人間の方に向かって走っていく。その途中後列にいた一人がよろけて地面に膝をつく。しかしその場にいた全員、脱落した者に構う余裕はないようだ。

 よく見てみると、その集団は全員かなり若かった。まだ青年というよりは少年に近い背格好と顔つきをしている。

 突然、脳の中に何かが溶け込んでいくような気持ち悪い感覚がした。その場に蹲り頭を抑えてはみるものの、何かの侵入は止まらない。その変わり、脳に染みこむ妙な感覚に合わせてどうしてか達成感を感じた。

 視線を上げてみると、先程の集団の中から一人、前に出されて拍手を送られている男がいた。馴染みのある顔だった。先程走って周回をしていた時に先頭に立っていた者だが、それだけではない。そいつは俺だった。

 送られる拍手と教官の讃えてくれる言葉がすぐそこで聞こえた気がした。

 教官、ああ、そうだ。


「しっかりしろって、聞こえってるか?おいってば!」

「あ、あれ……」

 気が付くとまたあの薄暗い森だった。足元から聞こえてきたのは先程の号令ではなくブロウの声だ。視線を下げると少し先の所に生首が転がっているが、いつの間に落としてしまったんだろうか。

 慌てて拾い上げると傷のようなものは見当たらなかったが、髪に砂埃が付いている。元からブロウの髪には苔だの草だのが付いているので、更に荒れてしまった。

「すみません、汚さの度合いが上がってしまいました」

「おい、それよりも言うことあんだろ」

「え、ああ、落としてすみません」

「そうじゃなくて、お前なんか思い出したな?」

 そう言うブロウの目と、視線がはっきりと合った。色素の薄い目は虚空では無くはっきり俺の目を見ている。

 俺が記憶を取り戻すとブロウの感覚が戻るという異形の話は本当だった。


 死体がある場所で詳しい話をするのは少し躊躇われたので、場所を変えることにした。死体をそのまま放置していいか少し悩んでいると、ブロウが申し訳なさそうに、瞼を閉じさせてやってくれ、と頼んできたので、それで気を済ませることした。

 死体の瞼に触れたときの、人間の皮膚なのに全く血の巡りを感じない冷たさがしばらく指先に残っているような気がした。

 少し歩くと大きい倒木があり、そこに腰掛ける。抱えたブロウをこちらに向かせるとやはり視線が合った。

「視界が戻ったんですね」

「おかげさまでな。お前思ってたより若かったんだな、くたびれた声してるからもっと老けてるかと思ったよ」

 ブロウの言葉に苦笑を返しつつ、髪に付いた砂埃と苔を払う。粗方は手で取れそうだが、どうしてもこびり付いた細かい汚れは取れなさそうだ。

「で、お前の方はなに思い出したんだよ」

「俺、軍の訓練施設にいたみたいです」

「訓練施設?軍人のひよっこだったってことか」

 頷くと、ブロウは納得いかないような表情をした。

「お前のその服装は間違いなく現役の軍の奴らが着てるやつだ。さっきの死体が着てるのもそうだったろ。もう訓練生じゃないんじゃないか?」

 思い返して見れば、施設でこの制服を着ることはなかったかも知れない。先程記憶の中の映像を見て以来、訓練施設での生活は大体思い出せるようになっていた。

 しかし、やはりそれ以外のことはいくら考えても全く見当が付かない。

「すみません、なんで俺がこの格好なのかはまだ思い出せないです」

「そうか、まあそういうこともあんだろ。俺は目が見えるようになっただけで大分マシになったからな」

 ブロウは視線だけで当たりを見回した。どういう原理かは分からないが僅かに首の向きが変わる。しかし、それも本当に僅かでしかないので、首を持って色んな方向を見せてみた。

「どうですか、見えるようになってみて」

「ハイキングには向かなさそうな場所だな」


 軽口を聞いていると、ふと、水が流れる音が聞こえてきた。はっとひらめいたのは、ブロウの汚れを落としてやるための案だ。

「ブロウ、触覚が戻ってないうちに汚れ落としちゃいますか」

「ん?ああ?よく分かんねえがよろしく頼む」

 再び生首を抱え、水の音がした方に歩き出した。

 相変わらず、記憶が少しだけ戻っても胸の中には妙な焦燥感はあるが、それ以上に教官に褒め称えられた時の感覚が残っているような気がした。

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