異世界転生


 ◇


 いつも悪夢を見る。

 ふわりと夜空を風が撫でる。涼やかな夏風は廊下の窓を通り抜け、そこを歩むハバリの金糸の髪と戯れていった。

 今日の天空の城は、地上のローゼサスのそれと似た石造り。ハバリにとっては普通に生きて死んでいれば、知る由もなかった建造物だ。

(もういくど、繰り返した事か……)

 この世界は生まれ変わりを繰り返す。あまねく命を飲み込んで、まるで異なる世界へと転生する。ハバリが願えば、何度でも。でもいつも、思い描いた通りの世界にはなってくれなかった。


 ハバリが異世界転生を操る力を得ることになったのは、偶然だった。いまのローゼサスがある世界から数世代前に遡った、別の世界の時のことだ。

 アランサス王子が前世に住んでいた国。そこの昔の姿に似ているの世界だった。世界的に山や川が多く、木造の平屋が主だった建築の形で、着物を幾重も重ね合わせる文化を持っていた。人々の姿はみな似通っていて、金髪に、白い肌、尖った耳は誰もが同じ。瞳に多少色の差異がある程度だった。いまの世界の魔力に似たものを霊力と呼び、神に授けられた力として尊んでいた。

 そのため、強い霊力を持った者たちが集まって、〈大宮〉と呼ばれる統治機構が作られていた。神に愛された者たちが神官として、あまた国々を信仰と権威で支え、治めていたのだ。


 ハバリは、物心がついた時にはその〈大宮〉で育っていた。霊力が強い幼子がいると連れてこられたのだ。だから、親は知らない。ただ、姉弟がいた。

 姉は〈太陽の愛し子〉として育てられ、宮城たる大社おおやしろの玉座に君臨していた。賢君だった。弟は武に秀でた霊力を見出され、〈嵐の勇者〉と讃えられて、この世に蔓延る妖魔を退治し名を馳せていた。


 ハバリは、〈夜の神子〉という役目を負わされた。その力は少し、いまの世界の聖女に似ていたかもしれない。彼の役目は霊力を注ぎ、世界を豊かにすることだった。動植物や土地の恵みを増やし、人々から病を遠ざけ、日々を営む活力を与える。ただ聖女と違うところは、そうやって顔も知らない民を守るため、大社の最奥に幽閉されて過ごしたことだ。


(俺はちょうど具合のいい、世界に喰わせる餌だった)

 ただ単に彼の霊力の質が、〈大宮〉の術式に噛み合った。それだけの理由で、彼の人生は鎖に繋がれて始まった。

 〈大宮〉が彼に格子窓の向こうの空を仰がせることは、ついぞなかった。仮にも神子と崇め奉る呼び名を与えながら、その身が優しく顧みられることがなかったのは、焦りがあったからだろう。


 ハバリが生まれる以前から、〈大宮〉への信仰は薄れ、権威は落ち目となっていた。傘下にある諸国は独自に力をつけ、その統治の手から離れ、各々自国の支配を行おうと画策し始めていたのだ。だがハバリが生を受けた頃、運よくその独立の動きを遅滞させる事態が生じた。

 妖帝ようていと呼ばれる禍々しき霊力を持った人ならざる者が、世を滅ぼそうと現れたのだ。妖帝は、妖魔を増やして人心を騒がせ、各地に天変地異を引き起こした。そのため多くの国や民は、再び〈大宮〉に縋るようになっていた。その取り戻したかけた権威と信仰を失うまいと、〈大宮〉のものたちは躍起になっていたのである。


 その重圧はおそらく、玉座の姉にも注がれていたし、妖帝を倒す責を負わされた弟にも圧しかかっていただろう。けれどそれでも、ハバリ以外の姉弟きょうだいは日の当たる場所を知れた。広がる果てない空を仰げた。人々の目にその活躍が輝かしく映り、愛された。

(いや――愛されていたと、俺が勝手に思っていた、かな)

 薄く口端に笑みがもれた。自嘲だったかもしれない。


 世の滅亡を企む人ならざる妖帝を倒すため、長年多くの国が軍を、武人を差し向け、そして為せずに倒されていっていた。だが、ハバリたちの生まれる前から続いていたその戦いを、彼の弟が終わらせた。ハバリの姉たる太陽の愛し子に祝福を受け、嵐の勇者が悪しき妖帝を打ち倒したのだ。

 世界は歓喜に震え、祝祭の空気に包まれた。これでまた穏やかに、平和に暮らせると言祝いだ。妖帝がいようといなかろうと、この世を富み栄えさせるため、社の奥で鎖に繋がれていたハバリには関係のないことだったが。


 嵐の勇者は、仲間とともに玉座にいます姉の元へ誉れ高く帰還した。手に、妖帝の残した霊具れいぐを持って。

 それは開閉部のない、小さな漆塗りの開かずの小箱だった。特に力は感じられなかったが、妖帝の力の源であったというそれは、ハバリの閉じ込められていたのと同じ、社の奥に厳重に封印された。

 そうしてこの世の厄災は払われた。世界は再び〈大宮〉の権威の元、平和になる――はずだった。


 だがほどなくして世には疫病が流行りだした。治す術もなく、広まる速度も速かった。身が爛れ、多くが苦しみ、そして死んだ。その腐肉を漁り、元からいた妖魔の類がまた増えていき、ますます世は乱れた。

 女王は治安の回復に努め、病を治す様々な方法を模索し、試みた。嵐の勇者は、休む間もなく、再び増長した妖魔を討伐に赴いた。ハバリの姉弟は、人々を、国々を、この世界を守ろうと腐心し、戦い続けたのだ。


(けど、そんなものぜ~んぶ、無駄だった)

 夜風を受けながら、ハバリは今度は確かに唇を笑みに歪めた。


 そう、すべては無駄だったのだ。姉王が守るために尽力し、勇者と仰がれた弟が守った人々は、その手で彼らの住まう大社に火をつけた。病を流行らせたのは〈大宮〉のものたちだと噂が立ったのだ。妖帝が倒れてしまっては、それから国々を守るという名目で、あまたの国を配下に置けなくなる。だから今度は病を流行らせ、〈大宮〉の影響力を維持しようとしたのだと。皮肉にも、妖帝の出現を好機とし、権威の回復を図ろうとしたその考え方を見透かされたようにして、〈大宮〉は人心を失ったのだ。


(本当に、民のために心砕いた王や勇者までも巻き込んで――……)

 姉は真実、民のためにとその力をふるい、知恵を絞っていたのに。弟はまがうことなく、人々を守るため、剣を携え戦っていたのに。災禍に疲弊した心は容易く荒み、悪意に飲まれ、まことを見極めることなく、最期まで人々を守ろうとした者たちまでもその手で火にかけた。


 別に姉を愛したわけではないけれど。弟をいつくしんだわけではないけれど。

(いつもどうして俺が――俺だけが、この役目に捧げられたんだと憎んですらいたけれど……)

 けれど、姉も弟も、あんな風に死んでいい相手ではないと、知っていた。


 〈大宮〉の高官に潰され、届くことはなかったが、姉が閉じ込められたままの弟を案じて、その束縛を解こうと無駄な努力をしていたのは耳に入っていた。相まみえられないと分かりながら、健気で愚かな弟が、戦いの疲弊を押してまで、いくども足しげく様子を見に来てくれたことも、知っていた。

(俺がどんなに、お前たちの立場と優しさを妬み恨んでるか、ちゃんとは理解できはしてなかったろうに)


 お人よしに、心配だけ押し付けてくる。だから、ハバリは思っていたのだ。あの格子窓の中。鎖に繋がれた先で。そんな愚直な善人どもが必死に守ろうとしている民とやらなら、多少は守る価値があるのだろうと。国々のためにと、人々のためにと、社の奥で霊力を餌として喰われ奪われるだけの日々も、だからこそ、なんとか生きてこられたのに――。


 大社に放たれた炎は姉弟を呑み、すべてを焼き焦がし、ハバリの幽閉先をも紅蓮に焼いた。彼を閉じ込める扉の鍵は閉められたままで、逃げ出すことも叶わずに、ハバリは炎に巻かれた。熱風に肌が焦げる感覚がし、吸い込む息で肺が燃えそうだった。そうして為すすべもなく、彼は死を待つだけだと思っていた。


 けれど、姉が鍵を開いた。見る影もない殴られ腫れた顔で、逃げなさいと微笑んで、そのまま事切れた。閉じ込められた弟を案じて、暴徒の手をかいくぐり、助けに来たのだ。逃げ出しもしないで、こんなくだらないことに命を張って、姉は彼の目の前で無様に死んだ。

 炎が柱を舐めて幽閉部屋の屋根を焼き、瓦礫が崩れて空がのぞいた。姉の躯を抱いて、初めてハバリが仰いだ空は、なにかにぼやけて滲んでいた。黒煙に染められた灰色だった。


(姉さんも、俺と同じ。弟も、俺と同じ)

 物心ついた時はもう〈大宮〉にいて、それぞれ与えられた役割を生かされた。

(くだらない設定から逃げられずに、嬲り殺された)


 炎の爆ぜる音が耳を焦がし、煙が喉を焼いていた。王の姿を探して叫ぶ暴徒の声が遠くに聞こえ、その切れ切れの醜い会話で、弟はすでに姉を守って彼らに首をとられたのだとハバリは知った。

 じゃらりと、その手で鎖が鳴った。腕の中の姉の掌には、それを外す鍵も握られていた。どうしようもなく笑えてきて、ただ、ハバリは動かぬ身体を抱きしめた。


(俺があんな鎖に繋がれて、すべてを奪われ、喰われて、苦しまされて……そこまでされて守っていたのが、あんなクズばかりだったなんて、くだらない)

 こんなことでいいわけあるかと、思ったのだ。


 こんな結末間違っている。姉も弟も、あんなクズばかりを守って死んだなんて、許されない。始まりがいけなかったのだ。姉が王にならなければ。弟が勇者と担ぎ上げられなければ。己がこんなところに閉じ込められなければ。優れた霊力なんて持って生れなければ。

(あんな悪逆の塊みたいな奴らのために、すべてを奪われることもなかったろうに)


 そもそもあんな人間どもがいなければ、世界には平和が訪れたはずだろう。妖帝は弟によって倒されたのだから、その武力の庇護の元、賢君たる姉の手に大人しく生殺与奪を預けていればよかったのだ。そうすれば、この世は平らかであったはずだから。

(そんなことも分からないクズのために、俺は縛られていたわけじゃない)

 もっと、平和を甘受するに相応しい、善き人々だけがある世界であればよかったのだ。

(あんな奴らが、この世にいたことが間違いだった)

 そう、あの燃える社で思った時。ざわりと耳の奥に嫌な感覚が走った。呼ばれた気がした。

(――……違う世界を見てみたいのか、と……)

 願うなら叶えてあげようと、声なき声にささやかれた気がした。 

(確かに俺はあの日、望んだんだ。違う世界を。善き人々しかいない、美しい世界を――)


 炎の熱に頬を焦がされながら、姉の躯から顔をあげた。遠くから徐々に歩み寄る、反逆に浮かされた獣たちの吠え声に耳を汚しながら、ハバリはあたりを見回した。その時にようやく彼は気づいたのだ。

 小箱が、転がっていた。開閉部のない、小さな漆塗りの開かずの小箱。妖帝の力の源として、社の奥に封じられていたはずの、それ。


 声はそこからしたに違いなかった。すぐに腕を伸ばすのを、ハバリは躊躇った。彼と同じように社の奥に封じられていたのは確かだが、そこはこの部屋ではなかった。炎に建物が焼き崩されてまろびでたにせよ、ここにある理由にはならない。


 けれどその時、獣たちの足音が明瞭に響いた。粗暴な言葉が次々に叫び騒ぐので、逃げた王を探しているだけでなく、社のうちで安穏と豊かな暮らし送っていただろう神子を、嬲ろうとしていることも伝わってきた。群れをなして、息まいて近づいてくる。


 気づけばハバリは、小箱を手に取っていた。開閉部がないと聞いていたのに、確かにそこには蓋があった。足音はもうそこまで。燃え崩れた戸口にさしかかり、ここに隠れていたと仲間を呼んで口汚く吠えたてる。ハバリにはもう、箱を開く躊躇いはなくなっていた。


 蓋を開け放った途端、黒い光がいく筋も迸って流れ出た。迫る暴徒を貫き殺し、断末魔を飲み込んで、あとからあとから溢れる光は、大地を割り、煙の染めた灰色の空を砕いた。世界が崩れ、壊れていく。それを悟って、ハバリは慌てて蓋を閉めようとした。けれど――囁かれたのだ。聞いたわけではないのに、そう思った。

(違う世界を、望まないのか……と)

 見れば、箱の底に虹色の光があった。

(もっとより良い人々を。もっとより良い世界を。もっとより良い運命を。そして、その先の幸せな結末を――)

 願うのだろう。望むのだろう。希望するのだろう。そう、誘われるように、ハバリは虹色の光に魅入られた。だから、蓋を閉めることも忘れ、光に手を伸ばしたのだ。


 瞬間、虹色の光は箱から飛び出して、ハバリの右手のひらを穿ち抜いて消えた。溶けるように、彼の身体のうちに。右手から全身へ走り抜ける痛みに悶えながら、それによりハバリは知ったのだ。転生を繰り返す、この世の仕組みを。そして、異世界へと転生する、この世界のことわりに関与する力を手に入れた。

 空の箱はハバリのかたわらに転がったまま、崩れ滅びる世界とともに消えていった。


 そうしてハバリは――ハバリだけが、新たに生まれ変わった次の世界に、すべて前の世界と同じままで立っていた。







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