悪役令嬢とふたりの王子




 学院の図書室は、同じ図書室といっても夢で見た高校の図書室とは話が違う。図書館というべき広さに、荘厳な作りの壁や柱。立ち並ぶ重々しい書架にはびっしりと書籍が詰まっている。知恵と、そして富の象徴だ。これほどの紙の本を集められるのは、ここが王侯貴族の学び舎だからに他ならない。

 狙い通り人の気配のない早朝の図書室は、静謐な書物と埃の匂いに満ちていた。こっくりと重厚な黒茶色の木製書架は、品ある彫刻があしらわれた柱の間に立ち並び、かすか差し込む朝日の指先にまだまどろんでいるようだった。


(さて、しかし裏ルートを探すっていっても、どうしたものか……)

 アランサスはぐるりとあたりを見渡した。分厚い本の背表紙の圧は感じるが、裏ルートに繋がりそうな隠し通路的気配は微塵もない。困ったな、と腕を組みかけた、その時。

「兄上」

 突然、気配もなく背後から声をかけられ、無言の叫びでアランサスは飛び上がった。

 振り返れば、アランサスとよく似た緑の瞳。けれどずっと柔和で高貴な顔立ちの青年が微笑んでいた。耳元で切り揃えられた金色の髪が爽やかだ。背丈はアランサスと同じほどだが、少し体躯は細いだろうか。この学院どころか、この世でアランサスを兄と呼ぶ相手など一人しかいない。彼と三日違いで生まれた第二王子、メティスだ。

 そしてその隣には――


「なんでリュデがメティスと一緒に⁉」

 アランサスは混乱した。確かに夜会や社交の場で顔を合わせれば挨拶ぐらい交わし合う仲だろうが、彼らはいわば政敵だ。仲良く並んでいるところなど、幼い時以来見ることはなくなっていた。


 アランサスの動揺が分かったのだろう。ふたりは顔を見合わせると、唐突にリュデがメティスの腕に手を絡めた。

「わたくし、王位を継がないアランサス様になど、興味はございませんの」

「悪いですね、兄上。兄上の大事な婚約者はもう僕のものです」

「リュデ、お前いつの間に俺の弟を誑かしてそんな仲に⁉ というか、メティス……」

 寄り添いあい、彼を見下して笑むふたりに乗ってはみたものの、アランサスは堪らず苦笑に頬を緩めた。

「お前、そんなにノリが良かったんだな……」


 幼い時はどちらかというと、真面目ゆえにメティスの方がアランサスの立ち位置だった。それがいまは不遜な笑顔を作るのもお手のものときている。おろおろ惑うばかりだった生真面目な幼少期とは、いい意味で少し変わってきたようだ。


「悪役っぽい台詞って、思いっきり口にしてみるとちょっと気持ちいいですね」

「つーか、そこは婚約者の俺が誑かされてるべきだろ? なんで俺がお前の弟寝取ったみたいになってんだよ」

 抱き寄せたリュデの肩から手を離し、恥ずかしげにはにかむ可愛い弟の横で、不満げに悪役令嬢がふんぞり返っている。しかし、ふたりが並んでいた時点で薄々そんな気はしていたが――


「メティス、お前……リュデのこと知ってたのか……」

「ええ、伺っています」

「俺が知らない奴の前でボロ出すわけねぇだろ」

 すんなり頷く微笑みと、尊大な自負にアランサスの口からは勝手にため息が出た。

「……いつからなんだ?」

「三年ほど前ですかね」

 それはリュデがアランサスへ、婚約破棄をし、王位を放棄する気はあるかと、初めて尋ねてきた時期と重なっていた。


「実はお前に婚約破棄や王位放棄の話振る前に、ちょっと当てはつけといてたんだよ。俺たちがいくら悪習を廃そうと策を弄しても、次の王が真逆の考えじゃ面倒が増えるだろ。だから、メティスも抱き込めるんなら抱き込んどいたほうが、話が早ぇと思ってさ。ちょうど伝手もあったしな」

「伝手?」

「実は僕は僕で、宰相家の三番目のご子息と、密かに懇意にしていたんです。放蕩息子を演じていますが、さすがの血筋。相当の切れ者ですよ」

「いや、アレは切れ者っつうか、化け物寄りですよ……。よく手懐けてますよね……」

 ほがらかに笑うメティスにげんなりとリュデがぼやく。アランサスからすれば、彼の三番目の兄は軽佻浮薄を絵に描いたようないい加減な人物の印象だったが、この様子だとだいぶ本性を見誤っていたらしい。リュデがこれほど遠い目をするのは初めてではなかろうか。


「まあ、ともかく……うちも一枚岩じゃねぇからな。上手い汁が薄味になる下の方の兄弟は、親父や一番上の兄貴と同じ方を向いてるとは限らねぇんだよ。三番の兄貴は、メティス殿下に賭けることにしてたみたいでな。おかげで、俺も殿下の人となりをよく知れたから――手を組ませてもらったっつうわけ」

 アランサスの知らないところで、事はずいぶん進んでいたらしい。しかしそこまで手を回してなお、王位を継がない王子が生き延びるには、聖女の夫になるという決定打が必要とされているあたり、因習の力も根深いものではある。が、それにしても、だ。


「それ、なんで俺には言ってくれなかったんだよ……」

「だってお前嬉しくなっちゃうだろ」

 しょんぼりとすねるアランサスへ、リュデは肩をすくめた。確かに十二の時に半成人の儀式である『初冠しょかんの儀』を執り行って以降、メティスとの交流が減った。それからしばらく、めそめそ寂しがっていたのは事実である。


「そんな奴が、裏で仲良くしながらどっかの夜会で顔合わせてみろよ。ちょと挨拶した瞬間に、親父にばれる。んな目に見えた危険な橋かけてどうすんだよ」

「デスネ……」

「変わりない兄上で嬉しいです」

 どんなに上手く演じても、己が力量では宰相の目は誤魔化せまい。反論しようがなく頷くアランサスに、メティスはほがらかに笑った。


「リュデリエルとは、学院に入ってからは早朝や夜の人気のない時間に、寄宿棟の裏庭で今後の相談をしていたんです。学院は王城よりずっと身動きがとりやすいですから、この機を逃したくなくて」

「で、今朝もそれで裏庭にいたら、コソコソどこかに行くお前を見かけたんだよ。それで後を追ってきたっつうわけ。なにしようとしてたんだ? お前が図書室なんて珍しいじゃねぇか」

 そう銀糸の髪は首を傾げた。ついさきほど、同じ台詞を同じような相手から聞いたような気がする。夢と現実、前世と今生が混ざり合うような妙な感覚に、アランサスは居心地悪さを覚え頬をてかいた。


「あ~……なんというか……裏ルート、探しに来たんだよな」

「は?」

「裏ルート?」

 それぞれに傾げられた首に、アランサスは一瞬ちらりとメティスを伺い見た。彼にまで話していいものかとわずか迷ったのだ。だが彼は、リュデをして信用に値する男と見込まれているのだし、昔日に育んだ兄弟としての慕わしさも有り余るほどある。それが重なれば、おのずと躊躇いは霧散した。今朝の不可思議な前世の夢について、口火を切る。

 それはただの予感でしかなかったけれど――


「この図書室にはたぶん、災獣さいじゅうの謎……もしかしたら、それ以上の大事ななにかに繋がる、秘密があると思うんだ」








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