第三章 転生の記憶
『破天のエルピス』
◇
振り向くと、無駄に顔のいい、長髪赤目で褐色肌の青年が、テレビ画面いっぱいに映っていた。
『もう逃げられねぇからな? 死ぬまであんたはオレのモノ。この手を離そうとするならオレが優しく殺してやるよ。オレの心を奪った、あんたが悪いんだからな? 邪魔する奴はみんな殺して、オレとずっと一緒にいようぜ。オレの愛を絶対忘れんなよ。もちろん、忘れようもないように、あんたに刻みつけてやるけどな』
いい声で何やらひどく物騒なことを言っているが、たぶんテレビ前の満足げな姉の様子を見るに、これは愛の言葉なのだろう。
『なにこれ、ストーカーの殺人狂なの?』
『違うわよ、彼は暗殺者』
『なにが違うのか分かんねぇけど、これ姉貴のしてた乙女ゲーだよな? 破天のなんとかっていう。そんな物騒な奴が出てくる話だったっけ?』
そう首を捻る。彼の記憶にあるのは、魔法学院で王子様と学園生活を楽しみながらたまに子猫みたいな魔物を退治しているぐらいだったのだが。
『乙女ゲーよ? ひとりふたりはヒロインの命狙ってくる奴がいないと燃えないでしょ? 彼は悪役令嬢の依頼を受けて、転校生のふりして学院に来て、聖女の命を狙ってくる暗殺者なのよ。バッドエンドはガチでヒロイン死ぬの。でも、トゥルールート入った場合、悪役令嬢を殺して、ヒロインさらって逃亡エンドしてくれるのよね~。選択肢の難易度高かったから後回しにしてたんだけど、良かったわ!』
『はぁ……』
姉は充足感に満たされているようだが、彼には何がいいのかさっぱり分からない。逃亡エンドというのはハッピーエンドなのかも怪しいし、先ほどの愛の囁きも犯罪者の戯言のような気がした。が、それを姉には言わないでおくのが賢明だろう。
『乙女ゲーって、思ったよりも物騒なのな』
冷蔵庫のドアを閉め、注いだオレンジジュースを両手に彼は姉の隣に座り込んだ。片方は姉へ、片方は自分で口をつける。
『あとイケメン以外も攻略対象なの意外だったな。なんかこの前は姉貴、おっさん攻略してなかった?』
『ああ、イジュスさんね。乙女ゲーはイケオジ枠も結構需要あんのよ? 隣の国の内務卿。権力者のいい年した男が、恋に余裕をなくして小娘に縋ってくるのを見るのは最高よね!』
『へぇ……』
『うっすい反応ね。このゲーム結構楽しいのよ?』
『俺別に、男キャラに興味ないし』
『じゃ、悪役令嬢ルートやってみれば?』
『そんなルートもあんの?』
『あるわよ、友情ルート。乙女ゲーはライバルの女の子キャラにほれ込むプレイヤーも多いから、そこの需要拾ってくれんの。男キャラルートよりは簡易だけどね。デレてくると可愛いわよ。私は悪役貫いて、死んじゃう方がデレるより好みだけど』
『はぁ……そんなもんなんだ』
『んとに、気のない返事ねぇ』
変わらず生返事の弟を不満げ睨むと、彼女はジュースをごくごくと飲みほし、再びコントローラーを握った。
『さてと、これでメインキャラ全員真エンド見たから、隠しキャラ攻略出来るわ! 王子の次に本命だったのよね!』
『次に本命とは?』
『うっさいわね。乙女ゲーではよくあることよ』
一途と浮気が並立するのが乙女ゲーの世界らしい。ぼんやりと彼が眺めたロード画面では、ピンクの小鳥が飛んでいた。マスコットのお助けキャラだったと記憶している。
瞬間、ぎゅっと胸を強くつかまれたような心地がして、彼は手を伸ばしかけていたジュースのコップを危うく落としかけた。
(あ、れ……?)
不可思議に首を捻る。いま確かに自分は、ピンクの小鳥を見て愛しいと胸を痛めた。その羽ばたきを、守りたいと願った。
(え……? こわ)
戸惑う彼を置いてけぼりに、ロード画面は切り替わり、図書室の背景と赤毛緑目のキャラクターが映し出された。自信満々のふてぶてしい表情。確か第一王子だった気がする。ちょっと高圧的な王子然とした態度で、なにやらヒロインに話しかけているようだ。
(……実物はこんなんじゃないけどな)
はっと乾いた自嘲がこぼれ、また彼は首を捻った。なにかがおかしい。
(俺は……? っていうか、これ、あれ……? もしかして――)
夢ではと認識するより先に、姉の声が響いた。
『苦労したわ~。全員攻略してから、アランサスと図書室に行くと裏ルートが開けるのよ。アランサス、好感度マックスにしとかないと図書室案内してくれないって攻略見て知ったの最近だったんだけどね。好感度マックスのデータ残しといたから助かったわ~』
『……裏ルートの隠しキャラってどんな奴なの?』
尋ねなければいけない気がして、彼は口にしていた。これは本当にいつかどこかであった会話なのか、それとも
『ん~、一言でいえば魔王キャラね。昔、人間に迫害されて滅ぼされたエルフの生き残りで、ヒロインたちが倒してた
『そんな唐突に重たい過去持ちエルフが出てきていい世界観のゲームだったの、これ?』
『まあ、その辺はファンタジー世界だから、エルフがいてもいいんじゃない?』
淡々とした弟のコメントをけらけらと姉は笑って流した。
テレビ画面はいつしか夜の図書室の背景だ。どうやらそこに、魔王の住む城と繋がる道があるらしい。なんで図書室と問うた彼に、姉は『昔からある学院の魔法知識が詰まった場所だから』と答えにならない答えをくれた。納得いかずに黙り込む弟へ、彼女は笑う。
『まあまあ、細かいことは置いといて、覚えておきなさいな』
明るい声に引かれるように画面から目を向けた姉の顔は、変にぼやけてはっきりとは見えなかった。昨日も今日も顔を合わせているはずなのに、思い出せない。
『覚えておけば、来世で役立つこともあるかもよ』
『姉、――』
思わず張り上げた声は、姉を呼ばわる前に真っ白な光にのまれて消えた。
+
はっとあたりを見渡せば、そこは姉といた家のリビングではなく、本に囲まれた図書室だった。だが、ゲーム画面の荘厳なそことは違う。小さくありきたりな高校の図書室だ。開け放たれた窓辺では、明るい午後の日差しにカーテンが揺れている。少し、明るすぎるくらいだ。
『ここ、は……。これ、は?』
『あっれ? お前が図書室なんて珍しいじゃねぇか』
聞き慣れた声に慌てて彼が振り向けば、ふたり連れの人影があった。本を肩にした男が瞠る目元には、泣きぼくろ。色素の薄い髪と女性的な綺麗な顔立ちが目を引く彼の友人だ。制服を着崩しているというのに品がある。その傍らには大柄なもう一人の友人。ラグビー部主将として鍛え抜かれた体躯は見惚れるものがあり、日に焼けた褐色の肌も隣の色白の男と比べると際立って見えた。
『おま、えら……は、なにしにここへ?』
『あ? 勉強だよ、勉強。俺が休んでた分、ふたりでやる課題が遅れちまってさ。わりぃけど付き合ってもらってんだ』
『体調不良ならば仕方ない。元気になったなら何よりだ。もう部活も引退して、放課後も空いているしな』
『受験ない推薦枠は羨ましいよなぁ』
軽口を叩きながら、友人たちは彼の隣の椅子をひいた。
『課題ってなにやるんだ?』
『ああ、古典だよ。選択クラスで、訳文と考察発表するガチめの授業取っちまったから』
『まあ、内容は『源氏物語』の桐壺巻だから資料は山ほどある。さして時間は取られまい』
『あり過ぎるもの面倒だけどなぁ』
ぐちぐち文句を言いながら、彼らは辞書や参考図書のページを捲る。
『ここさ、夫婦の場合、前世か来世にも縁があるってことみてぇだけど、DVとかだったらどうすんだろうな。今生で終わりならまだしも、来世も縁があるとか絶望的じゃね?』
『この場合、
『お前ら、夢のない来世論だなぁ。愛し合った者同士が次の人生でも会えるなんてロマンチックでいいんじゃないの?』
『ロマンチックだとしてもさ、その手のやつって、恋人や夫婦ばっか優先されんだろ? 俺、別に今の彼女とは来世一緒じゃなくてもいいけどさ、お前らとならまた友だちやっててもいいんだよな。そういう友だち枠に対して、言及ある生まれ変わり論なくね?』
『お前、それ彼女が聞いたら泣くぞ』
『こういう奴だと分かってつきあっているのならば、いいのではないか?』
『どうだかなぁ? お前らみたいに長い付き合いじゃないから、分かってないかもしれねぇぜ?』
人が悪く肩を揺らす。顔はいいのに性格に難のある友人へ、残り二人は呆れた苦笑で顔を合わせた。
『まあ、でも、お前が言うとおり、来世がもしあるんなら、そこでまたお前たちと友達できるのはいいかもな』
そう笑った瞬間。頭の片端に、こんなこと本当にあったのか、と思考が翻る。
なにかが混ざり合っていないだろうか。本当にこれは確かな記憶なのだろうか。現世に引きずられた、前世の夢ではないだろうか。
(……夢? ああ、そうだ、これは――)
夢だ、と意識しかけたその視界に、眩い光が走った。
図書室の窓の外。真昼の空になお赤く輝く流星のような閃光が――
そこで、彼の意識は光に飲まれて闇に途切れた。
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