死者の器




「仲良くなり過ぎそうで、お父さんは心配か?」

 背後からかかったからかい声に、イジェスはため息を落とした。振り返れば、月明かりに浮かぶ長い黒髪と褐色の肌。笑う赤い瞳には意地悪な彩りが添えられている。

 イジュスが座していたのは、ぐるりと円柱に囲まれたまるい池の縁。すらりとしつつもしっかりとした体躯は、イジュスの向かい側へ滑り込むと、彼と同じように柱に背をもたせかけた。

 室内ではあるが屋根はなく、中庭のような作りで空が仰げた。しかし、水面には夜空は映っていない。それどころか、すぐそばに座るイジュスとレーテの影さえ映らずにいる。透明な水面に浮かぶのは、アイトーンとアランサスの姿だった。この池は、遠くを映し見る水鏡なのだ。


 何心なくアランサスに寄り添うアイトーンの姿を流し見て、レーテがからからと笑う。

「もう少し男関係さぁ、仕込んどいてた方が良かったんじゃねぇの?」

「おい……品のない言い方をするな」

「ああ、わりぃわりぃ。そちらと違って、薄汚く生きてきたもんで」

 年長者然とした叱責の音色もどこ吹く風で、レーテは肩を揺らした。

「でも、だからこそ思うんだよ。そんなお優しくしない方がいいんじゃねぇのって。生きるってこの程度のもんかって思わせてやった方が、あとあとイジュスも楽だろ?」

「……私が楽だと?」

 問いながら、不服げな表情はうっすら答えが分かっているようだった。そんな見ないふりをいじらしいとばかりに笑って、レーテは優しくいう。

「生きるってそんなにいいもんかって、あの王子様に尋ねた時。あれ怒ったの、アイトーンも聞いてたからだろ? 優しいねぇ、お父さま。でも、そんなに気遣ってやることもないんじゃね?」

 笑顔ばかりは屈託なく、レーテはイジュスへ首を傾げた。

「もう死んでるって、本人だって知ってんだからさ」

 イジュスの眼光がにわかに冷たく鋭くなったのに、レーテはただただ愉快げに笑い声をあげた。


 レーテがイジュスを父と呼ぶのは、ちょっとした嫌がらせだ。アイトーンの父母はもういない。彼女はイジュスが救えなかった〈獣人〉の子なのだ。

 ローゼサスから海を越えた西方大陸は、砂漠と草原が大半を占める暮らしづらい土地だ。戦はもちろんのこと、内乱や紛争も絶えず、平穏に暮らすのは難しい。イジュスもアイトーンも、その西の地に生れ落ちた。アイトーンは〈獣人〉の集落の子として。そしてイジュスは、そこに近接する国の内務卿の子息として生を受けた。


 何も起きなければ交わるはずのなかった彼らが出会ったのは四年前。アイトーンの住む集落が焼かれ、そこに住む者たちが虐殺された時。〈西の大殺たいさつ〉と呼ばれる出来事が起こった時だ。

 アイトーンの村は、彼女が生まれるずっと前までは、〈獣人〉の集う顧みられぬ辺境の地だった。それが周辺国の領土争いの結果、戦の要地となってしまった。アイトーンたちの村をいち早く手中に収めた方が、戦に利が働く。国々は、土地を簒奪するための画策を始めた。


 内務卿の息子としてそれなりの地位にあったイジュスも、その画策をするひとりだった。だが彼はあくまで平和裏に土地の接収を行おうと、交渉を手段に選んだ。それはうまく進んではいたはずだった。けれどその結果を待てない者の方が多かったのだ。イジュスが協力関係にあると思っていた辺境伯もそうだった。アイトーンの村は、イジュスの裏をかいた辺境伯によって一夜のうちに炎にのまれ、人々はことごとく殺し尽くされた。


「あの時のあんたのひっどい顔は、いまも覚えてるけどさ。だからハバリについて来たんだろ?」

 ハバリとともにレーテがイジュスに出会ったのは、まさしくその村が炎にのまれた日だった。少女の躯を抱いて、瓦礫が赤く燃える渦の中、イジュスは座り込んでいた。争いの内で傷ついたのだろう。潰れた右目から流れる血が、涙のように彼の頬を伝っていた。

 腕の躯は懇意にしていた少女なのかと問うたハバリに、イジュスは首を振った。ただ、比較的無事な姿で見つけられた唯一の相手だったと、虚ろに告げた。

 交渉を進めた努力が徒労に終わり、最悪の結末が目の前に広がっていることに、心底疲れ切った顔だった。それゆえに、ハバリはイジュスへ束の間の希望を見せたのに違いない。それはハバリからイジュスへの対価でもあった。


 ハバリは、近々訪れるこの世の滅びの瞬間のために、希虹石きこうせきを集めている。その収集にイジュスの助力が必要だったので、彼の元を訪れたのだ。

 イジュスからの協力を得るため、ハバリはアイトーンにかりそめの命を与えた。災獣さいじゅうが持ち、彼が求める希虹石。そこに秘められた力を注ぎこむことによって、生前と同じように動ける死者としたのだ。


「ハバリに手を貸してる時点でさ、あんたも思ってるわけだろ? どうせろくでもないことしか起きないから、こんな世界終わらせた方がいいって。アイトーンだって、いつまでもまがい物の命で生きてるわけにもいかねぇしな。本人だって、いまが束の間の夢だって分かってる」

 彼女は偽りの命を与えられてからも、生者と遜色なく動けるようになるまでしばらく時間がかかった。四年の大半を眠ったまま過ごし、身体だけが死してなお成長した。だから見た目の年のわりに、情緒がどこかぎこちない。不自然な生かされ方をされてしまっているのだ。


「この世も、アイトーン自身の命も、時が来たら終わる歪なもんだ。だから下手な優しさで、アイトーンに世界をいいもんに見せかけるのやめとけよ。その目隠しのせいで、この世や人生を手放しがたくさせちまったらさ。今わの際に悲しむだろ? 早く死んでも別にいいぐらいの気持ちにさせといてやった方が、アイトーンが死ぬ時、あんたの罪悪感も減っていいんじゃねぇの?」

 水鏡には満点の星明かり。いつの間にか遠見の姿は消えていた。一点の悪気も見せない爽やかさで、レーテは明るくイジュスへ笑いかけた。

「あいつはもう死んでんのに、あんたの無力感を癒すためだけに生かされてるんだぜ? これ以上、可哀想なことしないでやったら?」


 ばちり、とイジュスの表情に憤怒が走った。伸びた太い腕がレーテの胸倉を掴む。睨み下すイジュスへ、レーテの口端はただ楽しげに弧を描いていた。そこへ――

「なに揉めてるわけ?」

 張り詰めた静謐を破って、不機嫌な声がかかった。歩み寄ってくるのは月明かりに溶ける金色の髪と尖った耳。真白の衣を纏ったほっそりと綺麗な青年。切れ長の瞳の虹色が、湖面の弾く月光を受け、さざめいている。


「あ~聞いてくれよ、ハバリ様」

「なるほど。君が悪い。謝れ、レーテ」

「処断が早ぇ」

「日ごろの行いだな。悔い改めるがいい」

 毒気を抜かれてイジュスはレーテを掴んでいた手を離した。見下ろすハバリに、ばつが悪そうに眉を寄せる。

「すまない。年甲斐もなかった」

「それなりのことをこいつが言ったんでしょ? 分かる」

「信用がねぇな」

「だって君、性根が歪んでるし」

 傷心風にすくめられた肩をハバリはすげなく一瞥した。


「それで、アイトーンの身体に不具合はなさそうなの?」

「ああ……傷を負ったが支障なく聖女の魔法で回復できたようだ。だから……死者ともばれていない」

「それはよかった。アイトーンにはもう少し、彼らの手元にいてもらわないと困るから」

 素っ気ないハバリの声音に、イジュスは黙り込んだ。彼にとってアイトーンの無事はついで。重要なのは、その正体が露見していないことだ。だからのその実、彼の心配はレーテと程度の違いはない。だが、それを責められる立場にイジュスがいないのも確かだ。一番彼女を利用しているのは、己なのだ。それは先のレーテの指摘がなくともわかっていた。


「でも、怪我は大事なくても、妙な情は出てきちまったようだぜ?」

 にこにこと朗らかにレーテが続けた。

「いい子ちゃんが、悪いことを秘密にしたままにしていられるかは、疑問だな」

 アイトーンの役目は、聖女の力を奪うことだ。死者である彼女は、希虹石とハバリの力を宿すことで生きている。つまり彼女の身体は、ハバリの力の一部が入った器でもあるのだ。


 ハバリには、この世のことわりに干渉できる力があった。彼はそれを使い、この世が聖女に与えた奇跡の力を奪おうとしているのだ。が、干渉能力は万能ではない。ゆえに、簡単にひょいっと奪取することは出来なかった。少しずつ少しずつ、毒を含ませるようにハバリの力を聖女の内に溶かし込み、蜘蛛の網のように絡めとっていく必要があった。

 蜘蛛の網をかけるのは、聖女がその力を使う瞬間。外に聖なる力が発露する時に、ハバリの力を侵食させていく。そのためアイトーンはヒロインたちの側に赴かされたし、封印を行わせるために、彼らの前には人目を避けて災獣さいじゅうが現れるのだ。


 希虹石は災獣の核。それとハバリの力を使えば、封じた災獣を蘇らせることもできた。そうやって、聖女たちの手に負える程度の災獣を、戦いやすい頃合いを見計らって差し向けていたのである。ただ、今回ばかりは事情が違った。


「にしても、あの王子様は運がねぇよな。ゲーム風にいえば野生の災獣と遭遇しちまったんだからよ」

「なるべく私たちで始末をしてはいたのだがな……。近ごろこの大陸でも出現頻度と数が増えた。強いものから片付けていたら、取り逃したな」

「まあ、俺たちがご用意したチュートリアル戦闘だけじゃ、彼らも飽きるだろうから。たまにはああいうリアルな戦いも良かったんじゃないの?」

「へぇ、寛容。あいつらにばっちり名乗りまでしてきたからさ。もっとこそこそ対処しとけって、怒られるかと思ったぜ?」

「彼らの場合、俺たちのことを吹聴しないだろ。あっちも秘密の事情をたくさん抱えてるわけだし。それに――」

 ハバリは静かに己が手に視線を落とした。なにかをたぐるように、しなやかな指先を動かす。

「もうじき、奪えそうだから」


「へぇ、もうぶち壊しちまうから、世を憚る必要もないってことか。いいな。最後は派手に暴れようぜ」

 口笛交じりに、レーテは赤い瞳を細めてハバリを見上げた。

「全部終わった暁には、来世で俺たちの希望も叶えてくれるんだろ? ハバリ様」

「君たちがきちんと願うならね」

 つれない声音は、けれど形のいい唇に薄く弧を描いた。

「望み願ったとおりの世界になるように、変わってくれるよ」


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