深夜の誓い


 ◇


 学院に戻ってから、なにをどう処理して過ごしたのか、目まぐるしすぎて正直思い出せないほどだった。さすがに何もなかったことに出来ず、事態の流れは、たまたま村を通りかかったアランサスが魔物を退治し、アランサスを案じてリュデの目を盗んで追ってきたヒロインが怪我人を回復した、ということで処理をした。冷静に考えれば、「どうやって」や「どうして」が溢れてくる雑な筋書きだったが、目の前の緊急性にその粗を気に留める者は幸いにもいなかった。


 その後アランサスは、身体の安全を再三確認され、巻いた護衛たちに泣きながら叱られたのち、王都の魔物討伐管轄部署へ今回の経緯や災獣さいじゅうの特徴をしたため送る書状を作っているうちに日が暮れた。

 助かった村人たちの元には、これから調査もかねて王立の調査団が赴く。なので、多少はそちらで予後を看てくれるだろう。生徒たちと騎士については、学院が手厚く請け負った。だからひとまず安心してよいはずだった。それに、怪我人は出たが死人は出なかったのだ。それは喜ぶべきことのはずだ。だが――


(足、ない奴いたな……)

 ヒロインの治癒魔法は、傷は癒せても、失ったものは戻せなかったのだ。足を失くした彼は、まだ少年だった。あの村は農耕と牧畜が生活のすべてだ。そこに携われなくなる将来を彼はどう生きていくことになるのだろう。いまは可哀想な少年でも、いずれ爪弾きにされないだろうか。村のお荷物と疎まれないだろうか。


 ごろりとアランサスは、少し狭い長椅子の上で寝がえりをうった。寝室はアイトーンが正体を現した日から、彼女に明け渡している。最初は上質とはいえ長椅子で眠れるだろうかと危惧したものだが、その日のうちに安眠と仲良く出来た。どこまで前世の影響にしていいのかは分からないが、きっとアランサスは、王族然とした振る舞いも生活も、生まれつき馴染まなかったのだ。


(ただ、伯父上が上手い具合に、王子っぽく俺を飾り立てるのが上手かっただけで……)

 王に相応しい教育と教養を、確かにアランサスは母からも伯父からも惜しみなく与えられた。応えようとする誠実さも併せ持っていたから、きちんとそれを吸収してもいた。でもだからこそ、上手に上手に、決断力を削がれてしまってもいたのだ。

 判断を下す覚悟を育ませてもらえなかった。言われたとおりにしていれば、すべて伯父が良いように取り計らってくれる――。決断の責を引き取ってくれることに、いつしか慣らされていた。大きくなるにつれ、それが手足をもぐものだと気づけたのは幸いであったけれど、染みついた思考方法からは簡単には抜け出せなかった。


(伯父上の影響から逃れるのは俺には無理だ。王位に就いたら、傀儡一直線。リュデが側にいてくれても、きっと俺は、長く傀儡にされてたら、その易きに流れてしまう……)

 だから、王位に就く前に逃げようとしたのだ。婚約を破棄し、安全に王位継承権を放り出し、自由に自分らしく息を吸いたかった。

(でも――)

 いまさらにして思う。その先で、己が何をしたいのかまでは、さして考えていなかったのだ。自分らしくなんて息巻いても、王位を放棄して目指す先などまるで決まっていなかった。

(俺、結局、目先のことしか考えられてないんだなぁ……)


 過ぎるのは、今日の出来事。蛇の腹の中の人々を助けだした時のこと。

 生きているのなら、救うのは当たり前だと思った。生きてさえいればいいと思った。だから、腹ごと焼く暴挙に出ようとしたあの男を思わず止めた。それは正しかったはずだ。

 けれど――足を失った少年の姿が、暗い天井を見上げる視界にちらついた。


 生きてさえいればいいと思ったが、アランサスの考えはそこで終わりだった。生き残ったその先にまで寄り添う気概もなければ、それができる器量もありはしなかった。

 レーテを「待て」と制した瞬間は、助けられればいいと疑いもなく思っていた。でも、いまになってどんどん不安になる。

(後悔のない結果……)

 助かった後――彼らは前と違う身体で、心に染みついた恐怖と向き合って、どう生きていくのだろう。

 目が冴えてしまってしかたなく、水でも飲もうかと身を起こした。その時。


「――起こしたか?」

 小さな声が聞こえた。アイトーンだ。寝室のドアのところ、夜になれた瞳にうすぼんやりと、夜桜のように薄紅の長い髪を流した姿が見えた。

 どうしたと問う前に、ちょこちょこと歩み寄ってきた細い身体は、無防備に無遠慮に、アランサスの隣に腰かけた。そのまま身をもたせられかけて、アランサスは固まる。いまは初夏。薄手の寝間着ごしにほんのりと伝わる体温があたたかくて、やけどしそうだ。


「あ、あの……アイトーン、さん……?」

「……今日、助けてくれてありがとうを、いい忘れてた」

「ああ、なんだ……そんなことか」

 なにを妙な緊張をしたのかと、気恥ずかしさとともに安堵する。

「俺の方こそ助けてもらったよ。ありがとう」

 当たり障りなく笑って、アランサスはアイトーンを覗き込んだ。が、顔をそらされた。


「ありがたい、けど……――もうしなくていい……」

「え?」

 視線が交わらない。顔色も分からない。ぽつりと続いた言葉に、だから余計にアランサスはまた固まった。さきほどの浮ついた緊張ではなく、腹の底に氷の塊を滑り込ませられたような心地。余計なことをしたのかと、自分の考えなさにぐるぐるしていた思考もあいまって、アランサスはただアイトーンを見つめることしかできなかった。

 日なかの空を映しとった瞳は、まだアランサスを見てはくれない。


「――アランサスはいい奴だから、とっさに目の前の人間を助けようとしてしまうんだと、思う。でも、私のことはもう、助けてくれなくて、いい」

「それは――……なんで?」

 勢い込んで尋ねそうになって、小さく深呼吸してからアランサスは尋ねた。ちらちらと脳裏に翻る焦りは、自分の不甲斐なさを突き付けられる身勝手な恐れからだ。それぐらいは分かるから、アイトーンに押し付けないよう極力穏やかに紡ぐ。

「頼りにならないっていうなら、分かりはするけどさ。今回も、助けようとはしたくせに、助けられはしなかったし」

「アランサスが頼りないのは確かだけど、違う」

「あらためて言われると効くな、それ……」

 もぞもぞと否定のない言葉に、明るく苦笑する。けれど、アイトーンの顔はなお重く俯いたままだった。


「アランサスは……助けようとしてくれるから。身分も顧みずに、迷わず、助けようとしてくれるから――。今日だって、リュデとヒロインが来る直前、私をかばっただろう? あれ、とても危なかった。あと一瞬リュデの攻撃が遅ければ、私は助かっていても、アランサスは背中、割られてた」

 薄紅の髪の隙間から、アイトーンが唇を噛んだのがわずか見えた。情の彩りが削ぎ落されていたはずの声に、かすか涙の色が混じる。

「ローゼサスの第一王子が、〈獣人〉なんてかばって死んでどうする? だからせめて、私は、いい。私はもう……その手を伸ばす先にいなくていい。だって、そもそも私は――」

「そんな悲しいこと言わないでほしい」


 どんどんと、俯く顔が上がるどころか、抱え上げた膝のうちに沈みこんでゆくのに、思わずアランサスは口走っていた。また考えるより先に動いた。けれど――空色の瞳が驚きで彼を振り仰いだから、これでよかったと思った。自覚すらなくその瞳は潤んでいたから、あのまま膝に顔を埋めていては、それはこぼれていたに違いない。

 それにこれはきっと、どんなに考えたって同じことを告げただろう。


「俺はまた、今日みたいなことがあった時、アイトーンを助けたい。守らせてほしい。だから、さ。そんな風に、言わないでほしい」

 一時の感情で動いて助けた先――本当にそれは救いとなるのかと、あの赤い瞳の男は笑った。己が行動の先、どんな結末が待ち受けているのか、冷静に合理的に考える。確かにそれも大事だろう。けれども、あの一瞬。思考よりも瞬間の思いで動いてしまった一瞬が、必ず間違いとも言い切れまい。やはりきっと何度考えたって、あそこでアイトーンや村の人々を助けられないのは、いやだろうから。


『後悔のない結果になるといいな』

 そんな冷笑交じりの皮肉に囚われて、賢く考えたふりをして、目の前の一時すら助けられなくなるのは口惜しい。いまは素直にそう思えた。

 もちろん、その場しのぎばかりがいいわけではないけれど。いい結末をと望むなら、とっさの一歩だって、捨てたものではないだろう。


「俺はまた、アイトーンを助けるよ」

 今度はしっかりと意思を持って、言葉を紡いだ。いまだ呆けたように彼を見上げる、大きな空色の瞳に、笑いかける。

「なんどでも助ける。次こそきっと守る。だからもういいなんて、言わないでくれないか?」

「……――ならせめてもう少し、頼りがいを持ってほしい」

「手厳しいなぁ」

 容赦ない苦情は、それでも柔らかく笑みほぐれた唇からこぼれたから、アランサスはありがたく受け止めた。


「アランサス」

 彼の肩にそっと薄紅の頭がもたせられた。腕をくすぐる羽根耳がこそばゆい。空色の瞳は、ゆっくりとアランサスを振り仰いだ。

「――ありがとう」

「俺こそ、ありがとう」

 妙なさかしらさに囚われかけた思考を、助けてくれて。それはうまく言葉には出来なかったので、アイトーンには伝わりはしなかっただろうが、それでよかった。


 なんとはなしにそのまま見つめ合っていると、自然と互いの口元には笑みが灯った。ふわりと心地よい温かさが身体を満たす。きっとそれは、アイトーンも同じだったのだろう。ふっとこわばりの緩んだ彼女の口から、あくびがこぼれでた。

「アイトーン、もう寝た方がいいんじゃないか?」

「うん……でも、なんだか……離れがたい」

「え?」

 いただきます、おやすみなさいと同じような日常会話のトーンだったが、アランサスの口からはなんとも言えない妙な音がもれた。それはいまこの時間に、この体勢で、この距離で、言うべきことではないのではないだろうか。が――

「一緒に寝ようか、アランサス」

「寝ないよ⁉」

 続いた一言に、もっとどうしようもない大声でアランサスは叫んでいた。初めて鳥の姿を解いた時もそうだが、彼女はどうも、一般的男女間の危機感に欠けるところがある。


(〈西の大殺たいさつ〉のあと、あんまり人と関わらないでいたから学ぶ機会がなかったのか?)

 〈西の大殺〉が起きたのは四年前。アイトーンはまだ十二、三歳の子どもだったはずだ。そこから逃げのび、各地を転々としながらひとりでて生きてきたということは、筆舌しがたい労苦があったに違いない。


(ああ、でも俺……知らない、な……)

 アランサスは、逃げ延びたアイトーンの生活が実際にどんなものだったのかを聞いたことはない。いまは息も通うほど近くに身を寄せているのに、アランサスが知るアイトーンのことなど、片手で数えられる程度しかないのだ。

(……そっか。俺、アイトーンのこと、ほとんど知らないわけか……)

 ふいに気づいたその事実に、じくりと胸の奥に鈍い痛みがしみた気がした。


 が、それをはっきりと自覚する前に、「なぜ寝ない」と不服げな空色の双眸が、アランサスを睨みあげ迫ってきた。身体の柔らかさが近い。夜の中なお鮮やかな薄紅の唇も近い。ともかく、いまはこの無防備すぎる相手を、なんとかひとりで寝室へ押し戻すことが最優先だ。

(助けて、リュデ! ヒロイン……!)

 情けなくもアランサスは、心の奥で友を求めて悲鳴をあげた。





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