君を守るから




 雷のように空を裂く黒い弾丸を、アランサスは剣で叩き落し、鏡の盾で防ぎ払った。

(思った以上にまずいな……!)

 焦り交じりに歯噛みする。身を振るい、腕を薙ぐだけで、蛇の怪物の身体からは黒いタールのような液体が滑り落ち、弾丸となってアランサスたちを追い立てた。それが縦横無尽に谷間を駆けまわるせいで、身動きがとれない。


 真っ向から対峙する気は元よりなかった。災獣さいじゅうはヒロインがいなければいくらでも復元していく。おまけに、振り仰いでなお余る体格差を埋め、立ち回れる自信もなかった。ただ、逃げ道を――アイトーンを連れて逃げられればそれでよかったのに。

 けれど、その最低限すらままならない。黒い弾は際限なく降り注ぎ、太い尾がぐるりとあたりを囲んで、逃れることを許さない。


 怒涛の攻撃に、鏡の盾が花開くように次々と生み出され、弾丸を弾いて散っていく。いままでいくどか対峙した災獣に比べて、一撃一撃がひどく重かった。

(引きこもり作戦、取らないでよかった……!)

 逃げ道を探して動くため、攻撃に合わせて盾を展開する方法を選んだのが功を奏してくれた。瞬間的な盾の方が、強度は高く生成できる。防壁のうちに閉じこもる形にしていたら、黒い弾丸の重さと量で潰されていただろう。


 とはいえ、いまはなんとか無傷で済んでいるが、集中力が途切れて、防壁形成の機を逸したら、いっきに体制を崩されてしまう。いまだ逃げ道ひとつ、築き上げられていないというのに。

(攻撃の突破力が、どうしてもないからな……!)

 こんなに幼馴染みの高火力が羨ましくなることがあるとは思わなかった。性格譲りの高い攻撃性だと怯えていたが、いまはあの刃の嵐を操る力が欲しい。


「アランサス。やっぱり私、鳥になる」

 弾丸と盾のぶつかり合う音、鞭うつように動く蛇の尾の轟音に掠れながら、背中からか細い声がした。

「私を守りながら、戦って、逃げようとするには限界がある。一か八か、せめて鳥になればもう少し、動きやすくな、」

「それは、だめ」

 遮って、アランサスは荒い息で笑った。目の前に降り来た弾の嵐を、重なり流れる鏡の渦で防ぎとおす。背中は気づけば切り立つ地の底の岩の壁。逃げるどころか追い詰められているが、それでもアランサスは、足の震えを抑え込めた。唇を引き上げたまま、背後の少女を振り返る。

「そりゃ俺は、国ひとつ背負いきれずに逃げ出そうとしてる駄目王子だけどさ。それでも、たったひとりぐらいは守らせてほしい」

 一国の民なんて、多くの命を抱え込む王の器はないけれど。それでも、ここで彼女を見捨てて逃げ出すような道の踏み外し方はしたくなかった。その場しのぎのちっぽけな勇気だとしても、目の前の確かなひとりを守るために奮い立たせていたかった。

「アイトーンはきっとちゃんと、俺が守るから」

 アランサスが笑ってみせると、アイトーンの大きな瞳が、驚きをたたえて瞬いた。


 その時だ。災獣の頭が髪を振り乱し、ぐるりと上下を変えて半回転した。瞬間、首が伸びて、牙を剥いた口だけの頭部が襲いかかって来る。そのあまりに不気味な動きに悲鳴をあげながら、アランサスは剣で長い首を撥ね上げた。

 くうをかいた牙ごと、災獣の頭が弧を描き舞う。が、その首が散らす黒い血飛沫をくぐるように、今度は胸元に開いた口が迫ってきた。口の内から、ずらりと牙の並んだ別の口が次々と入れ子のように重なり合いながら現れ伸びてきて、まるでひとつの生き物ようにアランサスたちの頭上に迫る。


「気色わりぃ!」

 悪夢のような光景に、目じりに涙を浮かべて絶叫し、アランサスは蛇のように連なる口も断ち切った。

 が、その断面にまた同じ口が現れ出て、牙を剥く。アランサスの剣は次の瞬間、その新しい牙に噛みつかれ、勢いのままにへし折られた。

「うっそだろ……!」

 きらきらと、地の底へかすか注ぐ陽射しを弾いて、刃の破片が無残に落ちゆく。それをわき目にとっとと柄を手放すと、アランサスはアイトーンを抱き上げ駆け出した。鋼の剣さえ噛み砕く歯が、アイトーンの首筋へ食らいつきかけたのをぎりぎり交わしてひた走る。

 がちがちと嚙み合わせられる牙の音に、「も~いやだぁ!」と弱音が悲鳴とないまぜになって大音声で響き渡った。


「なにあれ、なにあれ! あの口なに! 生理的に無理! 俺には無理!」

 泣き喚きながら、蛇身に囲まれた狭い範囲を逃げ惑う。それでも次々花開く盾は降り注ぐ弾丸を的確にはじいて防ぎ、アイトーンを抱き上げる腕も、どんな体制で牙を避けようと決して緩むことはなかった。

 そんなアランサスの腕の内、彼を呆けて見上げていた桜色の唇がふと笑み崩れる。小さな笑い声が、アランサスの耳朶をくすぐった。

「余裕だな、アイトーン⁉」

「いや、ごめん。そんなことはない。ただ、アランサス、情けないけどすごい奴だなって」

「褒めきれてないからね、それ!」


 アイトーンの言葉を丁寧に咀嚼する余力はさすがになくて、アランサスは叫んで返すのが精一杯だった。けれど、状況と裏腹に、アイトーンの浮かべた笑みが柔らかで楽しげだったのには気づくことが出来た。それはいままでの凍りついていた無表情が雪解けしたようで、いまがこんな修羅場でなければ、見惚れていられただろう。

 惜しいことをした――と、ちらりとよぎった感想の意味に気づく間もないうちに、眼前にしなる尾が叩きつけられた。

 失った逃げ道に思考のすべてを奪われて、アランサスはあたりを見渡す。


(前、リュデの野郎が盾を突き刺せとか言ってたけど……)

 アランサスの魔法が生み出す鏡の盾は、優れた防壁となるが、その力は防ぐことで発揮される。相対する攻撃がないと、防御の力も生まれないのだ。たとえ刃のように投擲しても、そよぐ風や小川の水のようなもの。優しく触れる程度の感覚はするかもしれないが、とても傷つけることはできはしない。

(でも、なにかを防げば堅牢……)

 しかと触れられ、あらゆるものを硬く阻み――上手くすれば足場にもなるだろう。


「……アイトーン、ちょっとしっかり、掴まっててくれ」

 さらに近く抱き寄せながら、アランサスは桜色の髪にそう低く声を落とした。と同時に。

 迫りくる黒い弾丸に向かって、アランサスは駆け出した。ぎりぎり、寸前まで。足首が穿たれる直前に、その弾と足の間に白銀の盾が音高く現れでる。

 弾丸を押しとどめたその盾に足をかけ、アランサスは跳ね飛んだ。

 唸りをあげて叩きつけられる黒い弾の群れの上を泳ぐように。防いだ盾を足場に変えて空を駆ける。タイミングと見極めだ。どの弾をどの瞬間に防げば、巨大な蛇体を乗り越える、飛び石のような空中階段を描けるか。


 銀の粒子を散らして、鏡の盾が宙に道を造り出す。そこを飛んで伝い、駆けのぼって、アランサスは太く周りを囲む小山のような蛇の胴の上を飛び越えた。

「よっしゃ! 超えた! あとは三十六計逃げるに如かず!」

「なにそれ」

「前世の有名な戦い方!」

 着地の衝撃もここへ落下した時と同じように盾で殺せば、多少の足の痺れの感受のみで免れられた。もはや目の前には障害はない。切り立つ地層の間を伸びる道は、アランサスたちが災獣に襲われた空間より細く、狭く、あの巨体では素早く追いかけて来られないだろう。

 逃げ切れる。そう、アランサスの口端に笑みが浮かんだ。その時。


 耳をつんざく金切り声が空気を震わせた。地面が揺れ動く。不吉な轟きとともに左右の壁に亀裂が走り、いっきに崩れ落ちてきた。

 まずい、とアランサスが顔をあげた瞬間。

「アランサス!」

 アイトーンの叫び声が響くと同時に、目を離した大地を裂いて、黒い弾丸が吹き上がった。







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