王子様の矜持




「なんだ……これ……」

 愕然と、アランサスは村の有様を見渡した。朝あったはずの光景が火の手に飲まれ、黒い煙と消えていた。生徒と騎士たちを迎えた村役場の面々も、その向こうの道で小屋から羊たちを追い立てていた村人も、薪割りをしていた青年も、駆けまわっていた子どもとその母の姿も――どこにもない。本当に、誰の姿もないのだ。倒れ伏す影すらなく、あるのはただ、ひび割れ、隆起した歪な地面。そしてそれを紅蓮に照らし出す、崩れ倒れた家々を飲む炎だけだ。


「……いない。みんな……この火事から逃げたの、か?」

「違う……と思う」

 祈りを込めた楽観視に否定が落ちる。炎の煽る熱風に薄紅の髪を翻しながら、アイトーンが亀裂の走った地面をじっとうかがっていた。

「煙が上がってからここに来るまで、たいして時間はかかってない。逃げ出したにしては、首尾も思いきりも良すぎる。老人や子供の逃げ遅れや、家財を持ち出そうと慌てる者が残ってすらいない。……――呑まれたんだ」

 予想というには確信めいた口調だった。嫌なひっかかりと聞き捨てならない単語に、「それってどういう」と、アランサスが尋ねかけた――瞬間。


 再び地鳴りの音が轟いて、地面の亀裂がいっきに深まった。激しい揺れとともにばっくりと裂け、地の底から黒い影が地上へと吹き上げる。その影と対照的に、揺れに跳ね上げられたアランサスの身体は体勢を崩し、風を切って割れ目へと落ちていった。


「アランサス……!」

 叫ぶとともに細い腕が、アランサスの手を掴んだ。見上げたアランサスの視界に、薄紅色の羽根が広がる。アイトーンの背には鳥のごとき大きな一対の翼があった。

 だが、それで懸命にアランサスを引き上げようとするも、淡い花びらのような翼には、人ふたり分は重すぎたようだ。飛翔しきれずにゆるやかに沈みゆく。それに彼女が歯を食いしばった、瞬間。

 黒く迸った雷のようななにかが、アイトーンの両の翼を穿ち、貫いた。苦痛の悲鳴を上げ、アイトーンがアランサスともつれながら落ちていく。


「くそっ……!」

 アランサスがちらりと見やった地の底は、まだ遠く深い。このまま激突となれば無事ではすまない。

 アランサスは掴まれていた腕を逆に引くと、アイトーンを抱き寄せた。びゅんびゅんと風が耳を切る音に背筋を震わせながらも、落ちゆく先を見定め、間合いを測る。

 風を唸らせ落下する勢いのまま、身体が叩きつけられそうになった直前。アランサスは音高く指を弾いた。

 鏡の盾が地面とアランサスたちの間に幾重も現れ、勢いを殺す。そのままかっこよく着地――とはならず、ごろりと無様に転がる形になったが、怪我なくアランサスたちは地面に到達した。


「た、助かった……。アイトーン、羽根は? 平気か?」

 腕のうちに庇った身体を気づかいながら抱き起せば、苦しげに眉を寄せながら「大丈夫」とアイトーンは頷いた。その背からは花弁のようにはらはらと、桜色の羽根が散り落ちている。彼女たち〈獣人〉にとって、変じた部分はその身の一部だ。傷を負えば、それは身体に跳ね返る。その証拠に翼が生えていた付け根から、じわりと赤く血が滲みだしていた。どう贔屓目に見ても、大丈夫は大嘘だ。


「歩けるか? 嫌じゃないならおぶるし。あ、鳥の方の姿になれるなら、それで抱いていっても」

「人の姿で負った傷を鳥の身体にかけると、致命傷になることもある。怪我をしてる時は、鳥には変化できない。ごめん……」

「あ、いや、俺の方こそ。じゃ、やっぱりおぶってくよ。この割れ目、ずいぶん広い。歩いていけば上に出やすい場所があるかもしれないし、もしかしたら、あの村の人たちもここに落ちたのかもしれない。だとしたら、俺たちみたいに無事でいる可能性もある。途中で巡り逢えるかもしれない」


 地面に不自然に生まれた裂け目は閉じてはいないようで、見上げれば薄く細く、青い空を臨むことが出来た。洞穴のように続くこの裂け目の底は、右も左も果ては暗がりに消えていて、どこにどうつながっているかは分からない。だが、この世の果てでも、まして異世界に飛ばされたわけでもない。現在位置が学院からさほど遠くない村であることは変わりないはずだ。


 だがその時、アランサスの背後から、ずるずると鈍い音が響いてきた。何か重たく、長いものが引きずられているような――。暗がりに消えていた向こう。そちらから、動きよる気配がある。

 いやな汗がどっと押し寄せ、アランサスは本能的に振り返るのを恐れた。けれど、見えてしまった。ちょうど彼と向き合う形で座り込んでいたアイトーンの大きな瞳の中。そこに映る、巨大な黒い影が――。


「アランサス」

 静かに、アイトーンが言った。耳の羽根が、逆立っている。

「私を置いて、逃げていい。あれは……魔物じゃない。災獣だ。ヒロインがいない以上、いま相手どるのは無理がある」

「あのな、アイトーン……」

 どうやら彼女の提案は大真面目らしい。それでわずか、脳を凍りつかせた恐怖がほどけた。ため息をついて苦笑し、アランサスは細い肩に手を置いた。

「それで『はい、そうですか』って逃げられない程度には――俺も見栄が邪魔するんだよ」


 飾り程度に持っていた腰の剣を抜き放つ。アイトーンを背に振り向けば、見上げるほどの巨体は、長く太い蛇の胴を持っていた。腰から上は鈍色の肌の女の裸体。だがなまめかしさは縁遠く、その豊かな胸元の間にも、顔があるべきところにも、大きな口が縦に開いて牙を剥いていた。

「にしても、もうちょっと……緩めの難易度設定だったらなぁ」

 震える口端を引き上げて、アランサスは陽気に軽口を踊らせた。



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