第二章 君が選んだ選択肢
異変
◇
抜けるように晴れ渡る青空が広がっていた。真白の大きな雲が、心地よさそうに泳いでいる。馬の進む土の道は都の石畳とはほど遠いが、それでも太くしっかりと平野を貫き、彼方の森まで伸びていた。いまはまばらな雑木と草地が広がるばかりだが、もうしばし馬の足を急がせれば、麦畑と小さな集落の影が望めるはずだ。
「のどかだなぁ~……」
ぼんやりとアランサスは馬に揺られながら蒼穹を眺めやった。ここしばらくの雨不足で砂埃が舞い、葉擦れの音がかさかさと乾燥しているが、おおむね実に平和な田舎道だ。眩い陽射しも心地いい。
季節は春の盛りを越え、夏に移ろった。あの裏庭での出逢いの日から、何事もなく――とはいかないまでも、なんとかうまく学院生活を送れてはいる。
聖女様は、リュデリーナ公爵令嬢にまるで侍女のように従えられ、こき使われていた。『次期王妃のわたくしの元で、王侯貴族に交わる意味を学ばせて差し上げますわ』と宣言を受けたからだ。そのため交流は広がらず、他の学友も作れず、すっかり学院では孤立してしまっている。
だが一方で公爵令嬢様も、ご学友の輪を広げ、充実した学院生活を送っているわけではなかった。賢い生徒たちは、己が将来をよくよく考えているらしい。いまは公爵令嬢が次期王妃であるが、彼女は不穏な話題を持ち出していた。聖女と第一王子の婚姻の話だ。場合によっては、聖女が次期王妃。そもそも聖女の時点で、国の重鎮と納まるのは決まっている。そんな聖女いじめに加担したと、この先咎を負わせられるのを恐れているのだ。そのせいで、公爵令嬢に取り入ろうとする者も思った以上に少ない。
結果、リュデとヒロインにとっては、想定以上に過ごしやすい環境が手に入ってしまった。薄っすら疑義の残る聖女の性別問題に触れる者はおろか、周囲の空気は触れがたく遠巻きに聖女と令嬢を包んでいる。下手に女生徒に交わることも、男子生徒と関わることも、彼らは最小限で済んでいるのだ。
それをいいことに、ふたりはかなり悠々自適に学院生活を謳歌していた。おまけに一緒に過ごす時間が長いせいで、親密度はぐんぐん上昇しまくり、『おい、今度夜中にこっそり遠駆けしようぜ! そこで槍術や体術の稽古つけようぜ!』とリュデがヒロインを誘っているのを、アランサスはいくども聞いた。あれは誰がどう見ても、相当なついている。
(ヒロイン、まじで猛獣使い)
令嬢モードの反動で溜まりに溜まったリュデの暴れん坊気質に、楽しげに付き合ってやっているのだから懐が深い。だがそのおかげもあってか、彼らの戦闘時の連携の質も目に見えて上がっており、あのあといくどかあった
(しかし、やっぱ災獣って、ヒロイン狙って出てきてんのかな……)
裏庭での遭遇も含めて、今日までのどの戦闘でも、彼らのほかに人がいたことはなかった。それこそ、リュデたちの遠駆けにアランサスまで付き合わされた時だったり、屋外実習の自由行動時であったりと、他に人目がない時に限って、災獣は彼らの前に現れた。人目を気にせずに戦えたのは助かったが、それも数度重なると、不思議に思えてくる。
(まるで他の人間から隠れているようなんだよな……)
その挙動は、薄っすらと記憶にあるゲームの災獣たちの出現の仕方とも違う気がした。
(そのあたり、リュデもヒロインも気にしてたから、調べるっていってたけど……)
リュデは自分の従者たちに、魔物の出現傾向や動向の情報について、かなり広範かつ詳細な情報の収取を命じているらしい。最近彼の部屋にいっても従者連中がおらず、ヒロインが紅茶を入れてもてなしてくれるのはそのせいのようだ。
(ゲーム通りなら、魔力量の高い石を偶然取り込んだ動物が凶暴化しちまっただけの存在だけど――あれはそうじゃなさそうだもんなぁ……)
記憶にあるゲームのようで、ゲームではない。アランサスはいま間違いなく、この世界で生きているので当たり前ではあるのだが。
(生まれ変わってみたら、姉のやっていた乙女ゲーの世界でした――ってわけじゃ、ないみたいだもんな。それなら分かりやすかったのに)
災獣を最終的にどう失くすかも、聖女とのハッピーエンドへの道筋も、ぼんやり眺めていたゲーム画面で履修済みだ。多少朧なところはあれど、辿れる自信はあった。
(でも、どうしたってこの世界、ゲームと違うもんなぁ~。配役ミスが甚だしいしさ)
ちらつく女装男子たちの影に、アランサスはため息を落とした。しかし、まったく違うというには似通い過ぎている。
(そう思うとむしろ……なんであのゲーム、この世界に似てたんだ……?)
はたと逆の思考がアランサスの脳裏をひるがえった。いままではゲームと違う、ズレているとばかり思ってきたのだが、それはゲームを真とする姿勢だ。こちらの世界から見れば、不可思議なほど似ている創作物がある方がおかしい。
が、その思索を深める前に、アランサスは気を取られて手綱の握りを誤った。うっかり馬の足元を揺らがせてしまい、ぐらりと馬上の姿勢が崩れかける。
「っと……! 悪い、アイトーン、大丈夫だったか?」
慌てて手綱を引き直し、体勢を整えて、アランサスは前に腰かける桜色の頭を気遣った。
「平気」
ピクリと羽根のある耳を動かしたものの、空色の大きな瞳は淡々と無表情のまま、彼の腕の中からアランサスを振り仰いだ。
「でも、気を抜き過ぎだと思う。そもそも、一国の王子が無警戒にたった一人で、こんな狙いやすそうなところをのん気にだらだらと進んでいていいのか? 死にたいのか?」
アランサスの視界の下、薄桃色の髪が小首を傾げた。身分の違いなどなんのその。抑揚のない可憐な音色に感情の綾はないが、言葉選びが突き刺さる。一瞬ぐうの音も出せなくなって――しかし、「いや、でも」とアランサスは小さく弁明した。
「学院のさ、課題だから。自主自立を目指してる学校だから。俺は今回、ひとり課題だったからさ。ひとりでこなすためには、しょうがないだろ?」
学業の一環として、生徒は学院から様々な奉仕活動を割り当てられる。各種施設への慰労訪問、農作業から土木工事、果ては魔物討伐まで。活動は多岐にわたり、生徒の適正のみを考慮して割り当てられる。そのわりには貴族子女に魔物討伐や土木工事業務が当たらないのだが、色々な事情があるのだろう。その代わり――なのかは定かではないが、魔物討伐などは複数人で行われるが、慰労訪問などは単独、または少数行動となる場合が多い。案件の軽重の差を一応は埋めようとしているようだ。
今回のアランサスもその例にもれず、単身、遠方の孤児院への慰労訪問を課せられた。むろん、公然の秘密として護衛の騎士がついて来ようとしたが、巻いた。アイトーンがいたからだ。
彼女はあのあと、本人の希望でアランサスの部屋に身を置くこととなった。だが、第一王子が謎の女を連れ込んでいては大問題となる。なので学院内ではどうしても、小鳥の姿で部屋に閉じこもりきりの生活を強いることになった。そのため、せめてもの羽伸ばしとして、アランサスの外出時は彼の護衛兼見張りを巻いて、人の姿でのんびり過ごしてもらうことにしているのだ。
「確かに、お前がひとりで出かけてくれるから、私もこうして人の姿に戻れる。それに色々と、楽しみもあるしな。それは、感謝している。前の時のあれも、可愛くて美味しかった。あの市の、蜜漬けの花……」
わずか、それはほんのわずか、常よりもうっとりとした口調だった。
晩春の頃だ。課外活動で赴いた先の街で祭りを開いていた。そこをお忍びでアイトーンとともに歩き回ったのだが、その時見つけた菓子を彼女は気に入ったらしい。菓子にしてはいささか値が張ったが、それに見合った良品だったのだろう。確か店の者も希少な輸入品と言っていた。
「あれ、そんなに気に入ったなら、こんどもっと取り寄せようか?」
着る物にも食べる物にも頓着を見せない彼女には珍しい発言。それに妙に心躍って、アランサスは提案した。
それを、なんとも言えない顔でアイトーンが見つめ上げる。
「……――そういえば、アランサスは王子だったな……。あの額を、たくさん取り寄せられるのか。そうか……そうだったな。普段はそのあたりに転がる小石のように平凡で特徴のない奴だから、忘れてしまっていた」
「あの……その言葉、俺はどんな気持ちで受け止めればいいの?」
相変わらずの遠慮会釈ない攻撃力に、アランサスはしょんぼり苦笑する。
(まあ、このあたりはゲーム準拠だってことで……いいのかな?)
姉が焼き鳥にしたがっていた辛辣な口の悪さとは違う気もするが、そうアランサスは己を納得させるしかなかった。
しかし、その釈然としなさがこぼれてしまったようだ。手綱を握るアランサスの腕の間からアイトーンは彼を見上げたまま、困ったらしくわずか眉根を寄せた。羽根耳も心なしかしぼんでいる。
「また、伝え方を間違っただろうか? 褒めたつもりだったんだが……。アランサスの――その……そうだ。普通で飾り気のないところ、悪くないと思う」
「そっか」
「うん。私は好きだ」
「そ、それは、ありがとう……」
ふわり、と――アランサスの見間違えでなければ、アイトーンの目元はかすか笑みに和らいだ。それは初めてといえる彼女の笑顔で、花のつぼみのように控えめでささやかだったが――妙にアランサスの胸を波立たせた。
その鼓動を、馬の歩調と合わせてなだめながら進みゆく。やがて気づけば、あたりの風景は人の気配を帯びたものに変わっていっていた。しおれた牧草地と少しさびしい収穫前の青い麦畑。雨が少ないからだ。このままでは、麦が色づくころになっても、寄せる金色のさざ波は期待できないだろう。
「最近、雨が降らないよな……。振ったかと思えば局地的に集中して、土砂崩れや洪水をもたらすだけでたいした恵みにならないし……。治水にはだいぶ力をいれてはいるんだが」
「……確かに近ごろ、天気はおかしい」
「天気じゃないけど、この前地震もあったしな。結構揺れただろ? あれ、南の方じゃ被害が甚大らしくって。でも、よく考えればおかしな話だよな。地震ってこの国じゃめったに、」
その時だ。言霊に応えるかのように地鳴りが響いた。驚きいななく馬を慌てて鎮め、アランサスはあたりを見渡す。
地鳴り、ではあった。けれど、地震のそれとは揺れが違う。
「なんだ? いまの変な揺れ……」
妙な感覚に周囲を見渡す。その瞬間、アランサスの顔色が変わった。左手側の林の向こう。遠くはないところで黒い煙が上がっていた。尋常な量ではない。林の先にはそれなりの大きさの村がある。ロゲイン村だ。今朝方アランサスも通り過ぎてきた。魔物討伐の課題を受けた生徒の一団とそこまで道を共にした。煙が上がっているのは、その村だった。
「アイトーン……ちょっと、寄り道していいか?」
聞きながらも、アランサスはすでに馬の鼻先を村へと変えていた。
魔物討伐の課題には、必ず学院の直轄する騎士団の精鋭がつく。普通に考えれば、多少の魔物相手に後れをとることはない。討伐とはいえ安全は保障されているはずだった。
けれど――あの黒煙はなんだというのだろう。
「アランサス、私、それは奨めない」
「とはいえ、見なかったことにもできないから……。アイトーン。もしなんなら、ここで降りて、」
「行く」
予想もしていなかった強い語調に遮られ、アランサスは目を見開いた。まっすぐに、大きな瞳が睨むようにアランサスを射抜いてきていた。
「私も――……行く。アランサス一人は、心配だ」
「……ありがとう」
危険に伴うのもいかがなものかとは思ったが、残るのが安全とも限らない。一時逡巡した手綱を握り直し、アランサスは馬の腹を蹴りつけた。
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