アイトーン


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 アランサスは、正座させられていた。目の前には仁王立ちの青いドレス。リュデだ。助けのあてなど、彼にはこれぐらいしかなかった。

「お前さ、服着てない自分のところに、男が他の野郎も連れて戻ってきたら、普通は恐怖するに決まってんだろ。そんなことも頭回らなかったのかよ、馬鹿が」

「あいすみません……」

「まあ、当の本人が気にしてねぇみたいのなのが救いだけどよ……。それもどうかとは思うが」

 舌打ちして、リュデは身を小さくするアランサスからソファを振り向いた。


 ヒロインの前に、薄桃色の髪の少女がゆったりとした白い絹の寝間着を纏って腰かけている。アランサスのものだ。男物でずいぶんと大きく、肩が余ってずり落ちているが、ひとりで着られる。そこが利点だった。ドレスはひとりで着衣するのは難しい。『俺ほどの腕にならないと無理』とのリュデの言は説得力があった。

 場所も寝室のベッドの上から、隣の居室のソファへと移した。男三人に囲まれてベッドの上ではあまりに気まずいので、移動したわけである。とはいえ、少女の方には怯えや嫌悪の情が微塵もなく、凪いだ海のようにほぼ反応がないのは気になった。

 正座するアランサスが見上げた先では、やはり無表情のままの少女が、ヒロインのいれた香草茶へ口をつけていた。


「して、やはり貴女は西方大陸の……その、鳥獣への変容魔法を扱う一族、ということでいいのだろうか?」

「うん。間違いない。私は〈獣人〉の生き残りだ。〈西の大殺だいさつ〉から逃げて、あちこちうろついているうちに、ここまで流れ着いた」

 さらりと可憐な唇からこぼれた言葉に、彼らは顔を見合わせた。


 〈獣人〉は蔑称だ。だからヒロインはわざわざ変容魔法の使用者と言葉を濁したのだが、当人の口からなんのてらいもなく告げられてしまった。

 〈獣人〉といっても、アランサスたちと種族が違うわけではない。同じ人間だ。ただ持っている魔法特性が、動物に変容する、それに類した力を使う――というものなのだ。


 魔法の特性は、血と個性に依拠する。大まかな系統は血に、細かな特性や強さは個に依るところが多くなる。誰もが好きに様々な魔法を操れるわけではない。そんな例外は、聖女の力に目覚めたヒロインだけだ。


 例えば、リュデの家系は主に金属を生み出したり、作用したりする魔法を持つ者が多い。リュデは兄弟のうちでも魔力が強く、生まれ持った特徴も攻撃性が高く出るものだったので、次々魔力で無から金属を生み出し刃と変えるが、彼の兄弟誰しもがそんな大暴れをできるわけではない。実在する金属の形を変える程度であったり、金属を別の金属に変化させるものだったり――同じ血筋ゆえ金属に関連した力という点は共通しているが、細かい特徴は個性豊かだ。


 〈獣人〉と呼ばれる人々は、その血の特性が獣に変化するものであった。そしてもう一つ。彼らの血には目立った特性がある。魔法で変じる鳥獣に類する特徴が、身体のどこかに現れるのだ。目の前の彼女も、髪に隠れて見えづらいが、耳が鳥のような羽根に覆われていた。

 人でありながら鳥獣の部分を持つ〈獣人〉たちは、魔物に似ていると忌み嫌われた。

 人外の存在と侮蔑し、尊厳や命を奪われる時代がずいぶんと長いこと続いた。そうして多くの犠牲を出して、ほとんど鳥獣に変ずる魔法を持つ者の姿が見られなくなった今、ようやく一部の階層や国で、それが過ちと見られ、悲劇に変容され始めた。それが、〈獣人〉とされた者たちの歴史だった。


 とはいえ根付いた蔑視の情は強く、いまだに彼らは虐げられることが多い。こと西大陸は北より差別意識がいまだ根強いので、つい数年前にも〈西の大殺〉と呼ばれる大きな惨劇があった。彼女はその惨劇を逃げ延びてきたというわけだ。

 そしてそんな彼女の変じた姿がたまたま鳥で、たまたまアランサスの知っていた乙女ゲーのマスコットキャラに酷似していたというわけである。恐ろしい偶然ではあるが――。


「それで、君は西からこっちまで、なんというか……はるばるやってきたのか? ひとりで?」

「うん……まあ、たぶん、そういうことになると思う。西は住みにくいから、落ち着ける新しい場所を探してた。でも見つからなくて……。鳥の姿でいると、人の時より、寝る場所が探しやすかった。ただ、猫には困ったから、助けてくれて、ありがとう」

 アランサスからヒロインへと首を巡らせ、彼女はぺこりと頭を下げる。その声音は鈴を鳴らすように澄んで可愛らしいが、感情の起伏は見られなかった。


「あの山羊頭と俺たちがやりあってた時や、そのあと、どうして人に戻らなかったんだよ?」

「とても疲れていて、人に戻る魔力が足りなかった。私たちの魔法にとっては、変じた姿もまた自分の姿。魔力で変身を持続させているんじゃなくて、姿を切り替えるときに魔力を使う。だから……戻れなかった。そういうところが、魔物みたいだとも、言われるんだと思う」

 リュデに返す彼女に哀切はなかったが、彼は言葉に窮したらしい。渋い顔で頭をかいて――切り替えるように大きなため息をついた。


「……ともあれ、俺たちの正体をあの日に中庭で見て、聞いちまってるんだ。下手なところに吹聴されると面倒だからな。悪いが、いろいろ片付くまで側にいてもらう……いいよな?」

「いい。私もまだ回復が万全ではない。落ち着いて住める場所がないから、側にいる代わりにここで置いてもらえたら、嬉しい」

 有無を許さぬ問いかけにも、彼女は素直にうなずいた。あまりにあっさりとし過ぎていて、アランサスとしては逆に不安になる。とはいえ、住む場所の問題などは浅い関係で触れるには繊細な話題である上、彼女の様子があまりに頼りなくて、アランサスは踏み込みきれなかった。


「――じゃ、ひとまず一緒にいてもらうのは同意ってことにして……君の名前を、教えてもらっていいか?」

 結局無難な問いだけが口をついた。それにこくりと小さく頷いた空色の瞳が、まっすぐアランサスを仰ぎ見る。桜色の唇ははっきりとその名を告げた。


「アイトーン」







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