黒いものも白と言わせろ
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そんな昨日のやり取りを受けての、今朝のこの騒ぎなのである。
リュデの最終手段、それは――
『地位と権力だよ、地位と権力。こういう時こそ、身分に物言わせんだよ』
悪辣極まりない笑顔で、昨日リュデはそう言い放った。
『明日の朝、学院の生徒のほとんどが入学式典礼のため、礼拝堂に集まる。その機を狙って、俺がヒロインのことを因縁つけてひっぱたく。で、注目を浴びたところで、俺とお前――公爵令嬢と第一王子がなんの疑いもなく聖女を女性だと思っているということを全力で印象づける』
この学院においてふたりはもっとも高貴な身分に位置する。そして学院の構成員は諸貴族の令息と令嬢、そして貴族諸家に取り立てられたい士官、政務官候補だ。そんな彼らが、アランサスたちに恥をかかせる疑惑を持ち出すことは難しい。
あなた方が女性と扱っているその聖女――男なのではないでしょうか、と言い出せる蛮勇を持つ者はそういないのだ。つまり――
『黒いものも白といわせる……これが身分を笠に着た最終手段だよ!』
『悪徳な手法!』
ふんぞり返るリュデにアランサスは渾身の力で突っ込んだものだが、他の良策も思いつかなかった。結局、生まれついての地位に頼ることにしたわけである。
そうしてさきほどの平手打ちに繋がってしまったわけだ。
(設定やり直せるなら、どこからやり直したらこうならなかったんだろうなぁ……)
周囲に気取られぬよう遠い目で、せんないことに思いを馳せる。そんなアランサスの腕をするりとからめとって、リュデがしなやかに身を寄せてきた。
「ねぇ、アランサス様。この女、身の程もわきまえず、わたくしが隣におりますのに迷うことなくあなた様の手を握りに駆けてきましたわ。恐ろしい女性ですこと。聖女様であらせられれば、わたくしどもの常識や作法を破り捨てて、望むままに王族と慣れ親しめるとでもおもっていらっしゃったのかしら。下賤な生まれの女性はこれだから……。アランサス様も、初めて顔を合わせたというのに、厚かましい女だとお思いになりません?」
甘えるようにすり寄って、小首を傾げて見上げる。白い肩に滑り落ちる銀糸の髪もなまめかしく、さすがあまたの男女を欺き続けているだけある。けれど、可憐にアランサスを見つめるようでいて、その紫の瞳の奥は剣呑に彼を脅しに来ていた。『ぼけっとしてねぇで抜かりなくやれ』――と。
(こっわ……!)
アランサスはこっそりと身震いした。だが、ここでそれをおくびにでも出し、計画を破綻させた方がもっと怖い。
アランサスは平静を装い、しなだれかかるリュデの腕をほどくと、うずくまるヒロインの前に跪いた。
「彼女と俺は初めて顔を合わせたわけではないよ、リュデリーナ」
不自然にならないように、けれど確実に聞こえるように『彼女』の部分を立てて、アランサスは口を開く。
(どうか、みなみな様、世間ずれしてて、権力と身分と地位に弱くて、保身に走ってください……!)
そんな最低の願いを必死にかけていることを微塵も顕さず、アランサスはヒロインへそっと手を差し伸べた。
「彼女とは昨日、裏庭のそばで出会ったんだ。妙な騒ぎがあっただろう? 気になって足を運んだところで出くわしてね。騒動で怪我をしたらしい小鳥を抱えて困った様子だったんで、声をかけたんだよ。そこでいくぶん、話し込んでしまってね。とても心優しい女性だよ、さすが聖女さまだ」
微笑みをつくって、アランサスはヒロインの大きな手をなるべく見比べられないような形で包み込み、そっと口元に寄せた。甘い、優しい雰囲気の動きになっている――と思う。一応これでも、王族としてそれなりの作法教育を受けてきたのだ。口調も仕草も王子らしく。リュデほどではないが、アランサスも演じられているだろう。これがいやなのもあって王位放棄したいのだが。
「聖女さまは少し恥ずかしがり屋のようで、話すことが苦手らしい。だから俺に話しかけられず、思わず手を伸ばしてしまったんじゃないかな。いじらしいけれど、厚かましいとは思わないさ、リュデリーナ。だからさきの無礼はきちんとお詫びして、君も彼女と仲良くさせてもらうといい。とても素敵な女性だから」
リュデとヒロインの間。ヒロインを己の背に庇うように気をつけて、アランサスはリュデを振り仰ぐ。最後の一言の言い回しは我ながら上出来だった。『どうだ、俺は言われたとおりにちゃんとやったぞ』という気持ちを込めて――
(あれ……?)
そこには、アランサスの視線を受け止めて、リュデ――リュデリーナ嬢が、美しい顔を怒りにゆがめてわなないていた。少し、打ち合わせと違う。確かここで、悪役令嬢リュデリーナは、ふんと鼻をならして立ち去ってくれることになっていたのだが……
(なんか、続いてない? リュデさん?)
「……そのような仰りよう……やはり、あの噂は本当でしたのね」
アランサスを置いてけぼりに、ぼそり、と。けれど、周囲も聞き逃しようのない絶妙の大きさで、震える赤い唇がこぼす。
「お父様が仰っておりましたわ。ローゼサスは、聖女との結びつきを強めたいのだと。だからそのために、よりにもよってアランサス様と聖女の婚姻を画策している向きがあると……!」
(初耳ですけどーー!)
声高らかな怒りの告発に、アランサスはこぼれかけた絶叫を辛うじて飲み込んだ。
(こいつ、やりやがった……!自分のために婚約破棄の布石まで撒き始めやがった!)
油断した、と彼の傲岸不遜さを忘れていた己に歯噛みする。婚姻の件は一時保留にしようと昨日はまとまったはずなのに、とんだ裏切り者である。だがいまこの場で話が違うとは言いだせない。ヒロインを女性で押し通す作戦まで駄目になってしまう。
(これだから宰相家は嫌いなんだよ……!)
なんでも己のために利用していく貪欲さ。さすがローゼサス国筆頭貴族の一員。十八年間あまたを欺き続けていた男公爵令嬢。
悔しさを押し殺すアランサスに気づいているのだろう。紫の瞳に彼にだけわかる愉悦を溶かし込んで、リュデはリュデリーナとして怒りに身悶えした様でまくし立てた。
「前々からともに遠駆けをし、狩りを楽しめるような凛々しい女性がお好きとおしゃっておりましたから、わたくし、苦手な乗馬も稽古を積んでおりましたのに……そう、そうですわね。確かに聖女様は、まさにあなた様の理想通りの頼りがいのある素敵な女性のようですわね」
(俺も聞いたことないよ、そんな俺の好み!)
おまけに幼少期から人目を忍んで抜け出しては、馬で所領を駆けまわり、アランサスを振り回しまくっていた男がどの口でなにが苦手といったのか。
「けれど! まだあなたの婚約者はこのわたくしです! たとえどれほどその女があなた様のお好みの女性であろうと、同じ女としてもわたくしも劣っているとは思いませんの! 絶対に、アランサス様の婚約者の座は、このような女に渡しませんわ!」
だんだんと上手い具合に瞳を潤ませながら、最後は癇癪交じりに泣き出して、リュデリーナは礼拝堂の外へと駆け出していった。苛烈に刺々しく、嫉妬の叫びを叩きつけて。
(あいつ、やりたい放題やっていきやがった……)
ざわめきの収まらない周りに、取り残されたアランサスは冷や汗が止まらなかった。
けれどここまでやられては、ヒロインが男かもしれないなどと言い出すことはますます困難になっただろう。なにせ聖女であるというだけでなく、第一王子の婚約者候補にされており、〈彼の好みの女性〉で、公爵令嬢が涙を見せるほど〈同じ女〉として嫉妬に狂った相手なのだ。――どちらも男だが。
とはいえ、女だと疑ってもいない言動をこれでもかと衆目に晒した彼らに、『男では』などと指摘しようものなら、相当な赤っ恥をかかせることになってしまう。聖女の性別の疑義は、たいそう触れにくい話題になったことだけは請け合いだ。
(自分の利益のためとはいえ、打ち合わせ以上にきっちり仕事していったな、あいつ……)
ならば、アランサスも最後までこの茶番をそれらしく演じ切るしかないではないか。
こっそりとため息をついて、アランサスはヒロインの手を取ったまま立ち上がった。
「聖女さま、大変失礼いたしました。我が国のご無礼をお許しください」
声があまりに低く渋いので、そうそうしゃべることができないヒロインに変わって、事態を収束へと持っていく。
「頬の傷を診てもらいましょう。俺が医務室までご一緒しますよ。凛々しく綺麗なお顔に傷が残っても大変だ。さ、どうぞお立ち下さい」
王子の笑みと対応で、会ったばかりにしては相当に仲睦まじげに聖女に寄り添って。アランサスは驚き騒ぐ人々の視線を一身に集めながら、礼拝堂を後にした。
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