それは物語の始まりか
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「無理だ……。どうあがいても漢気が消せねぇ」
魔物を退治したあと逃げ込んだ、寄宿寮のリュデの部屋。そこで彼は紅筆を持ったままもろ手をあげた。目の前の椅子に腰かけるのは、彼に化粧を施されていたヒロインだ。
「魅力的には仕上がったと思うんだけどな? 女性には見えねぇ」
「だってお前、途中から女性に見えるというより、どれだけ似合うように出来るかに趣旨変わってたじゃん……」
とはいえ、リュデが目的を見失っていなくても、ヒロインを疑惑なく女性に見えるように仕立てることは不可能だったろう。顔立ちも、骨格も、筋肉のつき方も、彼は男性的特徴の見本市なのだから。少年期の終わりのリュデが見たら、羨ましさで歯噛みしていたかもしれない。もう少し男らしく成長していたら親父たちも女装継続を諦めていたろうと悔しがっていたから。
けれど、その羨望を誘う特徴が、ことごとく女に化けるには邪魔なのだ。リュデが自画自賛したとおり、施された化粧も、結い直された髪形も、とても似合ってはいる。唇や目元を彩る濃い色合いは褐色の肌に鮮やかに映え、すべて結ばず肩に流したゆるやかに癖のある金糸もきらきらと目を引く。身に纏うドレスも、さきほどまでの窮屈そうな感じが薄れ、陽の光を織り込んだような黄色をすっきりと着こなして見えた。だがそれを差し置いてまず、筋骨隆々の肉体と、雄々しく整った顔に判断のすべてを持っていかれる。
「仕方ねぇ。いさぎよく諦めよう」
「手を煩わせただけで申し訳ない」
生真面目に頭を下げるヒロインに、気にするな、楽しかったから、とリュデは注がれた紅茶をすすめる。さきほど彼が学院に伴った従者が支度していったものだ。化粧に精出す
イデュリュア学院は王侯貴族であっても自主自立が旨とされ、側仕えなく、自分のことは自分で行って生活することになっている。が、当然のようにお目こぼしがある。ひとりふたりの従者は黙認なのだ。おまけに王族や貴族にあてがわれる寄宿寮の個室は広い上、寝室と居室に小部屋のついた三部屋造りになっており、従者を控えさせる場に困らない。さらにいえば、近くに置くことにこだわらなければ、寄宿寮の外にも付き人のための宿泊棟があった。
アランサスも無理やり従者ひとりと、護衛の騎士を三人ほどつけられた。彼らはみな宿泊棟にいるが、なにか不測のことがあればアランサスの元に駆けつけることになっていた。
ゆえに、逃げる先がアランサスの部屋ではなく、リュデの部屋になったのだ。裏庭で何事か騒動があったことは、じきに学院中に知れ渡る。そうなった時、アランサスの元へ駆けつけた従者たちに、彼ら三人が仲良くしているところを見られるわけにはいかなかったのである。リュデいわく、『お前の従者は親父の息がかかってるから駄目』ということらしい。聖女とアランサスをくっつけて婚約破棄を企んでいるなど、宰相にばれたら一大事ということだ。
『ちゃんと側の奴らは厳選して躾けておけよな』
そう、リュデに実に貴族らしい偉ぶった説教を垂れられたが、つまりはリュデの従者たちは、彼が厳選して父親の目を盗み味方に引き込んだ者ばかり、というわけだ。
(こいつ、そういうところ、ちゃんと貴族してるっつうか、父親に似てるからな……)
リュデは宰相を嫌っているので、口が裂けても言えないが。
アランサスは思い浮かんだ言葉ごと、熱い紅茶を喉の奥に流し込んだ。その耳に、遠く、けれどはっきりと喧噪の音が聞こえてくる。
「裏庭の騒ぎ、大きくなってきてるみたいだな」
「魔物の姿は、幸い見かけた奴はいなかったろうが、あのあたり一帯荒れまくっちまったからな。何があったんだって話にはなるだろうぜ。とはいえ、学院も入学式典前に事を大きくしたくはないはずだ。じきに適当に治めんだろ」
「しかし、あの魔物はいったいなんであったのだろうな」
太い腕を組み、ヒロインが深く眉間に皺寄せ思案する。
「昨今、魔物の数が増え、見慣れぬ種も出没しだしていると聞くが……」
「そうだな。ローゼサス周りじゃまだ聞かねぇが、隣国ではだいぶやられた村や町があるって話だし、西大陸の方はなかなか厳しい状況みてぇだしな……」
彼らの言葉通り、ここ十数年来、この世の状況はあまり芳しくない。こと、ローゼサスと海を隔てた南西の大陸の有様はひどく、数を増やした魔物や新種の魔物の対処に苦慮するどころか、それを発端に人と人、国と国の争いが激化し、耳を覆いたくなるような惨状の報告が入ることもあった。魔獣により奪われた土地や減った労働力を、補い合うでなく奪い合いだしているのだ。
それに比べれば、アランサスたちの住まう北東大陸はまだ安定している方ではあったが、平和かといわれると首を捻らねばならない。
魔物の増大は、こちらでも喫緊の課題であった。ディロアがローゼサスと争いの矛を収め、和平交渉へ舵を切ったのもその影響が大きい。魔物へ対抗するため、ローゼサスの庇護を必要としたのだ。
この世の生き物には大小すべからく魔力と呼ばれる力があるが、多寡の差が激しい。『動物』と人が括る生き物にはほとんどなく、人間たちも、個々の間で大きな差異があった。
それに対し魔物は、動物に近しい形をしながらそうではなく、小さな個体でもみな等しく大量の魔力を備えている。攻撃性が高く、魔力を宿す生物全般を食すため、同種のほかに人を襲うことが多かった。そのため人の歴史は、魔物との闘いの歴史でもあり、だからこそ魔力の強い人間が集う国は強大になったのだ。
ローゼサスはまさしくそうした魔の力に優れた国で、だからこそディロアは魔物を前に、ローゼサスにくだったわけである。
「けど、あれは明らかにいままでの魔物じゃねぇだろ。なにせ、アランサスの乙女ゲーの魔物だったんだぜ?」
「そこなぁ……それがなんとも微妙な感じなんだよなぁ……」
話を向けるリュデへ、焼き菓子をかじりながらアランサスは頼りなく頬をかいた。
「少なくとも俺の記憶にある乙女ゲーにはあんな魔物は出てきてないんだよ。もっと猫とか兎を模した、可愛いデザインだった気がする……。でも違うっていうには特徴がおかしいんだよなぁ。俺の前世にしかないような出で立ちに、武器、それに――あの石な」
「そう、そこだよ。結局あの魔物はお前の記憶にある乙女ゲーそのままのやり方で封じられたわけなんだから、無関係っつうことはねぇだろうよ」
秀麗な顔が物思わしげにしかめられた。その胸元がいまだざっくり破れたままで凛々しい胸板がのぞいていなければ、憂い顔の美女で通るのがアランサスはいまだ納得がいかない。
「一応参考で聞くけどよ、ゲームの中ではあの魔物はどんな存在だったんだ?」
「確か……ゲームでは、
「元は動物なぁ……。確かにあれにはそんな可愛げはなかったけどよ。っつうか、そもそもをいえば、なんであの魔物はいきなり俺たちの前に姿を見せたんだろうな? これまでにこの国や近隣諸国で、あの手の魔物の出現は報告されてない。つまり、俺たちが遭遇したのが初めてだ。それに本来、この学院は魔物が入り込みにくいよう術が施されてるはずだぜ?」
「……あれが乙女ゲーの災獣だというなら、その答えはひとつではなかろうか?」
黙って考え込んでいたヒロインが、重たい口調で口を開いた。
「そのゲームは、聖女がローゼサスの学術院に来るところから幕が開けるのであろう? ならば、今日、私がここに来たことにより、そのゲームが始まったということになる。そこへ、災獣が現れた。辻褄はあう話であろう」
眉間にくっきりと深いしわを刻み、ヒロインは深いため息をついた。
「私が来たがゆえに、災獣が現れたというなら、問題だ……。またかようなことが起こり得るなら、のん気に学院に腰を落ち着けてはいられぬ……」
「だからって、出てくなんていうなよ」
悩ましげに腕組みするヒロインへ、リュデが釘を刺した。
「そいつはローゼサス的にも俺たち的にも、認めがたい話だぜ。一度聖女として話を受けておきながら戻ったら、ディロアとの折り合いも悪くなんだろ? それに俺たちとしても、ぜひともアランサスと結婚までこぎつけてもらわないとならねぇ」
「まあ、俺とヒロインの結婚はともかくな? それは置いといてな? 確かにいまさらディロアに戻るってなると、色々政治面が面倒そうだし、第一、戻った先であの災獣に襲われても、ヒロインだけじゃ対処できないだろ? あれを倒すための〈祝福〉は、攻略対象キャラが必要になるんだからさ」
「本当にあの災獣がヒロインにつられて現れたっていうなら、その厄災を故国に持って帰ることになっちまうわけだ。攻略対象という対抗手段もなくな」
「む……確かに、それは私としても望むところではない、が……」
困り顔で言葉を濁すヒロインに、にんまりと唇を引き上げ、リュデはその広い肩を抱いた。
「な? だから最善策はやっぱ、ここに残ることだぜ? あんま頼りにならねぇけど、アランサスは一応攻略対象キャラだし、前世知識もある。どう転ぼうと、ヒロインひとりでディロアに戻るより、まともな対処が出来そうだろ?」
「頼りにならないはよけいだろうが」
合いの手よろしく入ってきた文句は聞き流し、リュデは得意げに続けた。
「ともかく、ヒロインはここにいろよ。で、災獣が出てきたらとりあえず俺たちでぶっ倒してさ、うまい具合にアランサスとの婚姻を成立させようぜ?」
「災獣対策に一緒にいた方がいいのは賛成なんだけど、その目的ちょっと待たない?」
控えめに、けれど譲れなくて、アランサスは口を差し挟んだ。ふたりの婚姻で希望が十全に叶うのはリュデだけなのだ。結局女装男子と偽装夫婦生活を強いられるアランサスはもちろん、ヒロインだって、一生を女のふりで生きていくより、違う道があった方がいいはずだ。
「話は戻るけど、まずはヒロインが、女として学院生活を送れなきゃだろ? そこが破綻すると、結婚うんぬんはもちろんのこと、あらゆることが進まないっていうか……」
「安心しろよ。そこはもう最終手段をとることにした」
「……最終手段、って……なんだ?」
にやりと引き上がった赤い唇に、いやな予感しかしなくてアランサスの新緑の瞳は震えた。しかしそんなものは歯牙にもかけず、リュデの口元はさらに不敵な笑みを色濃くする。
「決まってんだろ? 俺は、『悪役令嬢』だぜ?」
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