悪役令嬢と聖女様

 


 ◇



 ばちぃん、と響きわたった音に、アランサスは心の中で頭を抱えた。

 ざわめく空間。遠巻きに囲む人々の視線が背中に、腕に、横顔に痛い。冷や汗を押さえ込んでいることを褒めてもらいたいぐらいだが、彼の目の前で注目を集めるふたりにはそんな甘えた寝言は通用しないだろう。


「聖女などともてはやされて、調子に乗るのもいい加減にされては? あなたのような下賤な女に、アランサス様が目をかけてくださるとでも思ってらっしゃるの!」

 声高に、神経質そうに叫ぶ声は、聞き慣れたちょっと低めの女性の声。さすが慣れたものだと感心しながら、アランサスは幼馴染の演技に聞き入る。


 そんな怒り心頭らしいご令嬢――リュデリーナの前には、うずくまり、頬を押さえ込む聖女の姿があった。なるべく身体を小さく見せようと、縮こまっている努力が涙ぐましい。が、いかんせんやはり、体格が良すぎる。広い背中のたくましさは、隠しようがないヒロインだ。


 場所は学院内の礼拝堂。入学式典があったため、そこに生徒たちが集っていた時間帯だった。リュデが衆目の中、力いっぱいヒロインの頬をはたいたのだ。その平手打ちの音が広い天井にこだまし、鳴り響かんばかりの勢いで。

(そりゃ、驚くよなぁ……。でも――)

 目を瞠る周りの視線をひっそりと観察しながら、アランサスはそこに漂う空気の色を目聡く読み取る。

(意外性はわりとないって感じか……)


 リュデの外面は、才色兼備の宰相家のご令嬢で通っているが、頭に『気難しい』がつくのだ。美しく優れた資質はあるが、高貴過ぎるがゆえに、少々扱いづらい気性の令嬢。ゆえ常に婚約者のアランサスの側に寄り添い、他者とあまり会話を交わさない。――というのが、リュデリーナの設定だった。そうやって彼は、いままでの社交界で、周囲との接触を最小限にしていたのだ。父親によってそう仕向けられていたと言い換えてもいい。彼が現状に不満を抱いているのは、宰相も薄々察するところであった。そのため、彼が味方を増やすのは、不都合が多いと思われていた節があるのだ。


 だから、いまも周りの者たちは驚きに満ちた眼差しで、彼ら――彼女たちを見ているが、まさかリュデリーナ様が、という様子はあまりない。それがリュデリーナとしていいのか悪いのかは疑義があるが、この場の空気としては正解だ。ちゃんと可哀想にも横っ面を張り倒された聖女と、それほどまでに怒り狂っている令嬢に見えているようなのだから。

 アランサスが睦まじくヒロインと礼拝堂の扉をくぐったのを見せつけたのも効果的だったのだろう。追いすがってきたリュデのいつにない気が立った様子も見事なものであったから、多少の違和はその勢いで飲み込めたようだ。周りの反応をうかがう限りでは、これが茶番だと見抜かれてはいないようである。


(でもなぁ……)

 アランサスは目撃してしまっていたのだ。リュデがヒロインの頬へ手を振りかぶったまさにその時。目と目で合図し合うふたりが、『本気で行くぜ』『任されよ』みたいな会話をしていた瞬間を。力いっぱいはたいたあと、一瞬交わした瞳と瞳が『よく吹っ飛ばされなかったな、さすがだぜ』『いや、見事な一撃であった』みたいな称賛を送り合っていたことを――なんとなく、感じ取れてしまった。


(こっそり脳筋コミュニケーションをとるな、お前ら……!)

 もう一度、心の中だけで深く深くため息を落として、アランサスは赤髪を抱えた。

 そもそも、いま目の前でこんな修羅場寸劇が繰り広げられているのはそれなりの訳がある。話は昨日、例の魔物を倒した後に遡った。









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