真白の空の城


 ◇



 白いいらかに陽光が反射する。こぼれるその輝きに、青年は赤い瞳を細めた。背が高く、すらりとしながらも鍛えられた体躯の持ち主だった。耳元で光を受ける金の耳環が、しっとりと黒い肌に映えている。首筋まで覆う衣服は、艶やかな夜の色。その長い裾をたなびかせて歩く背に、腰元まで伸ばした黒髪がひとつに結わえられて揺れていた。


 青年の姿は軽やかな影のようで、だからこそ、ゆったりと進む廊のうちでは浮いて見えた。甍の屋根も、床も、柱も――この広々とした宮城のごとき建造物は、ありとあらゆるものが白でつくられているのだ。しかもここは、地上のどこかではない。

 青年が歩む廊は、間仕切りのない広い部屋の一番外側。そこからところどころ、庭に通じる階段が伸びているが、その先は白い雲の中へと消えていた。少し首を巡らせれば、眩い青空と白銀の雲海が広がっている。ここは、空の上なのだ。


 壮観で、そして、慣れると飽きてくる光景である。青年も、初めてここに足を踏み入れた時は見惚れたものだが、今は城を見守る方が面白い。

 この城は日々形を変えるのだ。今日は見慣れぬ平べったい木製の建物で、それがいくつも橋で繋がり広がっている。昨日は丸い屋根がついた高い塔が立ち並び、延々と連なっていた気がする。城の姿は雲のように捉えどころがなく、変わらないのは白という色だけだ。


 明日はどんな形になっているかと、緩慢に思いを馳せながら青年はあくびをひとつ零した。

 そんな白に彩られた彼の視界に黒が飛びこむ。対岸の建物から橋を渡りくる大柄の人影だ。それにへらりと口端を引き上げ、青年はゆったり手を振った。

「よぉ、イジュス。あんたもご報告か?」

「お前もか、レーテ」


 じとりと、レーテの目の前に現れた人影は彼を見下ろした。

 重苦しい雰囲気を纏った男だった。レーテ以上に大柄で上背があり、恰幅もいいのが重々しさに拍車をかけている。年のころも二十代そこそこのレーテに対し、四十に届こうかという落ち着きがあった。


「そんなに邪険にすんなよなぁ。同じ主様に仕える仲間だろ?」

 おどける声でレーテはイジュスの分厚い背をぽんっと叩く。精悍な顔には、人好きのする――だけど薄っぺらい笑顔が飾られていた。それにますます眉間の皺を深くし、イジュスはすっきりと整えられた顎髭をなぜる。髪と同じ鈍い灰色。黒い服もあいまって暗く沈んだ色彩の中、ただ眼帯により片目となった瞳だけが、澄んだ氷のような薄青で浮かび上がっていた。


「俺はぶっ倒した獲物の報告だけど、あんたは聖女のことか?」

「ああ、あと、第一王子のこともな。やはり、転生者なのは疑いがないようだ」

 話しながら、イジュスはさっさと足を進めた。それをのんびりレーテも追う。イジュスが彼を鬱陶しがろうと、目指す先は同じなのだ。

「転生者ねぇ。ほんとにいるんだな。頭おかしくなんねぇのかな。前の世界のことなんか覚えちまってたらさ。――なぁ、ハバリ?」

 ふっとレーテの口端に笑みがのり、彼の視線がイジュスではない、その背の向こうに投げられた。瞬間、彼らの歩んでいた廊の先の風景がぐにゃりと歪み、一瞬で見慣れぬ広間があたりに広がる。レーテの投げた視線の先には、一段高く設えらた床面の上、白銀の倚子いしに腰かける青年がいた。組まれた足先が不機嫌に揺れている。


「さあ、どうだろうね。そんなことより、様だよ、様。様ぐらいつけたらどうなの? ご報告相手の主様に、敬意が薄くない?」

 甘やかな中低音は、どうにも刺々しかった。レーテの馴れ馴れしさに顰められたかんばせは、凍えるほどに冷たい美しさを湛えている。ほっそりとした輪郭に、白皙の肌。その頬に添えられた掌の先では、人差し指が苛立たしげに小刻み動いていた。陶器のように滑らかな甲に、穿たれた傷を縫い塞いだような痕があるのが目を引く。纏うのは真白の服。そこに淡い金色の髪が肩口まで流れかかっていた。髪の間からのぞく耳もまた、ただ人と違い細長く尖っていた。そしてその凛と切れ長な双眸は――たったひとりしか現れないはずの、聖女の虹色に彩られていた。


「おやおや、わたくしめ相手に、いまさらな仰りようでございますねぇ、ハバリ様」

「やっぱイラっとするから、いままでどおりでいいや。イジュス、君から報告どうぞ」

 大仰に肩をすくめるレーテをひと睨みし、虹色の瞳はイジュスを振り返った。緩慢に顎髭を撫でやり、イジュスは深い吐息をこぼす。この主と同僚のやりとりは、もはや彼にとっては目新しくもなんともないのだ。飽きないものだと呆れもする。


「事の大筋は把握していようから、気になる点だけ、で、いいな? ……あの王子、確かに転生者ではあったが、前世の記憶はさほど強くはないようだ。曖昧な部分が多いとみえる。現に、災獣さいじゅうのことも、その内の希虹石きこうせきのことも、すぐには思い至っていなかった。そこはゲームと相違なかったにも関わらず、な」

「だとしても、転生者には変わりねえんだろ?」

 そうイジュスの報告へ、レーテが横やりをいれる。

「おまけに幸か不幸か、ゲームの知識がある。となると、ゲームと現実のズレに気づけるってわけだ。『なんでゲームの世界に転生したようなのに、こんなに現実はゲームの設定と違ってるんだろう』ってな。そこを突き詰められると面倒になるんじゃねぇか? 聖女様も男になっちまったんだ。ここまでのズレが出てきたってことは、もうこの世は終わりだろ? 邪魔になりそうな芽は摘んどいたほうがいいんじゃねぇの?」


「いや……彼は転生者である前に攻略対象者だから。聖女のそばにいてもらわないと困る」

 レーテの提案をすげなく返してハバリはいった。

「それに、ローゼサスは比較的平和な国だからね。そこの庶民平民ならいざしらず、まだ王位継承争いの蹴りもついていない第一王子を、不審がないよう葬り去るのは面倒だよ。下手に警戒されるのは避けたい。俺たちには、もう少しだけ時間が必要だ。聖女から力を奪う下準備の時間がね。性別は、まあ……様々な因果で聖〈女〉ってのからはズレたようだけど……宿った力は本物だから。きちんと取り込んでおきたい」

「それについては、アイトーンがすでに動き出している」

「ふーん……なら、いいんだけどよ」

 ハバリのあとを継いだイジュスに、興味薄くレーテはぼやいた。が、ふっとその暗い赤の双眸に、挑発的な色を灯して主を見やる。


「悠長に構えすぎて、足元掬われないといいな、ハバリ様」

「誰に向かって言ってんの?」

 からかうように踊る声をあしらって、ハバリは唇を引き上げた。

「俺が何度……繰り返してきたと思ってるのさ」








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