虹色の石


 大声を上げたアランサスを、ふたつのドレス姿が何事かと振り返る。アランサスは、抱えた小鳥と一緒に、『守ってくださいよろしくお願いいたします』の姿勢でいたのだが、耳に流れてきた荒ぶるご令嬢たちの会話に、記憶の蓋を叩き開けられたのだ。


「魔物の石を聖女の力で封印! それだ! あのゲーム、それがあった! リュデが見た石、たぶんそれだ!」

「てめっ! 重要情報じゃねぇか! なにがゲームと違いますだ! 馬鹿野郎!」

 一瞬の沈黙のあと、リュデが吠えかかった。その怒りももっともだが、アランサスとしても思い通りにならない記憶なのだから、勘弁してやってほしい。


「いやだって! ゲームで倒す魔物は、もっとデザイン可愛くて、こんな禍々しいのじゃなかったんだよ! あと少なくともこんな序盤では出てこなかったし!」

「知るか! 序盤もくそねぇんだよ! 下手すりゃいまが人生終盤になってたぞ! 今度出し惜しみしたら承知しねぇからな!」

「ともかく、アランサス殿の記憶によれば、リュデリエル殿が見たという光る石は確かに奴の弱点であり、それを私の力で封じることが出来るはず……という理解で問題ないか?」

 魔物より先にアランサスをはっ倒しかねないリュデを手の動きでなだめつつ、ヒロインが冷静に問う。おかげで大きく舌打ちを残したものの、リュデも憤りを飲み込んでくれたらしい。ほっと息をつきつつ、アランサスは頷いた。

「ああ、それで間違いない。で、その封印の仕方なんだけど……」

 ちらりとアランサスは魔物の様子を伺い見た。

 頭部にはまだヒロインの砂の槍が突き刺さっている。おかげでいまはそれを抜こうと頭をふりながら悶えているが、じきにそれも外されよう。呑気に説明にかまけている暇はなさそうだ。


「ゲームの中の封印は、『ヒロイン』が直接するんじゃなく、他者に力を与えることで為されるんだ。〈祝福〉って呼ばれてたな。聖女の祈りによって、パートナーの魔法に封印の力を付与するんだ。で、聖女の力を受けたパートナーが魔法で石を攻撃すると、魔物を封じることが出来る」

「じゃ、たとえば、俺がヒロインから祝福してもらって魔法を叩きこめばいいってわけか?」

「それが……ヒロインから祝福されて力を得られるのは、攻略対象キャラだけみたいなんだよな……。細かい設定はよく知らんけど、なんかそんなだった記憶」

「っつうことはゲームどおりだとすると――」

「いまここで私の攻略対象キャラとなるのは……」

「俺、です……」


 若干の受け入れがたさを感じつつ、アランサスはそっと手を挙げた。その弱々しい挙手を見上げ、小鳥がピィと小さく囀る。次の瞬間。一見白魚のようなリュデリーナご令嬢の腕が、たくましい筋肉の憤りをみなぎらせて、アランサスの胸倉を引っ掴んだ。


「だったら後ろに引っ込んでないでとっととぶちかませよ!」

「いやー! だって俺の魔法特性、防御なんだもん! お前みたいにばりばり攻撃魔法っつうような野蛮なやつじゃないんだもん!」

「ごたごた言ってる間にやれ! なんでもいい! 盾でも突き刺しとけ!」

「しかし、その祝福とは、どう与えるものなのだ?」

 脇からの冷静な疑問に、がくがくアランサスを揺さぶっていたリュデが手を止める。無言で、答えろよ、と突き刺してくる冷たい紫の視線と目を合わせられないまま、アランサスはか細く喉を震わせた。


「カーソルを対象に合わせて、Aボタン連打で祈りの力をチャージ。タイミングよくYボタンです……」

「……てめぇの頭にそのカーソルとやらを合わせて連打してやろうか?」

「リュデさん、落ち着いて」

 美しく微笑する赤い唇と一見淑やかそうな長い指先が、アランサスの顎を鷲掴んで引き寄せる。頬の肉が圧迫されてとっても痛い。そうなるだろうと分かりきっていた暴挙に、慣れた様でアランサスは嘆願した。


 と、その時だ。風切る音が彼らの鼓膜をつんざいた。砂の槍が引き抜かれたのだ。振り下ろされる拳の影に、リュデがなかば体当たりする勢いでアランサスとともに退避し、勢いで宙に彫り出されてしまった小鳥をヒロインが回収する。

 抉られた大地から土煙が舞い上がり、視界が濁り澱んだ。が、それでもはっきりとわかる影が、息つく間もなく三人の頭上から降り注ぐ。いくつもの丸い球体――手榴弾だ。間違いなく、すべてがさく裂すればみんな一緒に粉々になれる。


 アランサスが絶叫した。それに「うるせぇ」と噛みつくリュデに重ねて、砂嵐が彼らの足元から立ち昇った。渦巻き、吹き荒れた砂塵の嵐は、手榴弾の雨を空ごと覆って包み込み、塞ぎ込んだ。堅牢なる砂の囲いのうちで爆音がくぐもって轟く。

 防がれてなお空気を揺さぶる轟音。だが、砂の壁はすべての爆破を飲み込み尽くしてくれた。役目を終えてはらはらと空より流れ落ちる砂の粒子が、日差しのうちにきらきらと輝き、凛とそれを見据える広くたくましい金色のドレス姿の背を彩る。


「ヒロイン! 好き! 結婚しよう!」

「うむ、任されよう」

 感極まってその頼りがいしかない背中に飛びつくアランサスを、深みのある声音は優しく受け止めてくれた。

「だがまあ、婚儀はさておき……」

 ちらりとヒロインの虹色の瞳が、鋭く魔物へ投げられる。


「奴の倒し方だ。カーソルやボタンというのはよくわからぬが、〈祝福〉とは聖女の力なのだろう? それは私にとっては、魔力で魔法を操るのとさほど変わらぬものだ。ならば、私が集中して聖女の力を高め、好機を狙ってそれをアランサス殿へ注ぎこめば、〈祝福〉を与えられるのではないだろか? 試してみる価値はあろう」

「それ! そういうこと! 俺もそれが言いたかった!」

「息吸うように大嘘ぶっこくんじゃねぇよ、へたれ」

 調子よくヒロインの言葉尻に乗るアランサスの背を、鋭い踵が無情にも蹴りつけた。


「それにヒロインの〈祝福〉が成功したとしても、てめぇが石を始末しねぇと意味ねぇんだからな。いい加減腹くくって参加しろよ」

「あの~……でもその間、この小鳥さんはどうします?」

 なお往生際悪く、アランサスはヒロインから預けられた薄桃色の小鳥を、リュデの前へ差し出した。とたん、令嬢からしてはならぬ盛大な舌打ちの音とともに、紫の視線に刺し殺される。

「しぶとく逃げ道を探すんじゃねぇよ! んなに心配ならな、」

 言葉を結ぶより早く、リュデはドレスの胸元を勢いよく引き裂いた。ぽいぽいっと詰め物を投げ捨てれば、程よく引き締まった胸板がのぞく。そこへ、リュデはアランサスの両手の上から小鳥をかっさらい、しまい込んだ。


「ここにいれといてやるよ! お前が抱いてるより安全だろ! とり落とす心配なくなるからな」

「これで心置きなく、アランサス殿も戦闘に邁進できるな」

「ソウデスネ……」

 駄目押しでヒロインに力強く肩を叩かれ、アランサスは乾いた響きで頷いた。


「んじゃ、いい加減とどめを刺そうぜ。まずは封印する石を引きずり出さなきゃだろ?」

 リュデの掌から抜身の剣がひと振り、光の渦を纏いながら煌めき生まれた。それを無造作に彼はアランサスへ投げてよこす。慌てふためきアランサスが柄を手にすれば、リュデの花のかんばせは、不服げなアランサスの目線を受けてなお、ふてぶてしく笑った。

「俺が直々にあの羊頭かち割って、石を出してやるよ。だから、機を逃すなよ?」

 勝気な低い声音が、紅の彩る艶やかな唇からこぼれる。見目と音色の不協和音もはなはだしい。けれどその違和を飲み込むほど、彼の笑みは凛と涼やかだ。この華やかな強引さに、アランサスな幼い頃からいつも飲まれる。


 ああ、くそ、と染みつききった関係性にアランサスが悪態を飲み込んだ、次の瞬間。

 魔獣の胴の内から黒い影が飛散した。それは銃弾でも手榴弾でもなく人型をとり、一群となって駆け抜けてくる。最初の襲撃時の羊頭の軍人たちだ。先と違い、手には刀。その広く黒い刃が、陽光を鈍く弾いている。


「アランサス、お前あいつら止めとけ。ヒロイン、でかいのの首かっとばしてくれ。そしたら俺が頭を叩き割る」

「あい分かった!」

「お前なんでそんな平気で無茶ぶりできんの!」

 快い相槌と悲鳴じみた文句が、混じり合いながらめいめいに走り出す。追い打ちとばかりに巨大な魔獣が震わせた身の内から、弾丸が飛び出てきた。その鉛の雨を、瞬時に生み出された白銀の刃が両断し、鏡の盾が弾き返す。


 鈍色の残骸が初夏の日差しに煌めきながら舞い落ちた。その中を、青く薫る風を切り裂いて、アランサスの剣が走る。迫る刃をうち払い、いなし、たったひとりで次々と、軍人たちを斬りつけて、鮮やかに白銀の軌跡は駆け抜けた。その緑色の目元がきらりと潤んでいるのは、汗だということにしておいてやろう。


「見事な剣技だ」

「あいつ、ちゃんと腹くくりゃあ、やれんだよ。つらは情けないままだけど」

 隣を駆ける称賛の微笑みに、リュデは肩をすくめヒロインとともに地を蹴った。風をはらんで踊る花べんのように、ふたりのドレスの裾が軽やかにたわむれあいながら青空を泳ぐ。その足元へ勢いよく砂塵が滑り上がり、魔物本体へと迫る一筋の道を造り上げた。


 駆け上る彼らを薙ぎ払おうと、強大な腕が風を切るのを飛び躱し、突き立ててくる爪の斬撃をかいくぐる。眼前まで迫った赤くぎらつく六つ目が、いまいましげに拳を振り上げた。その太い手首を、ヒロインが投げつけた斧がうなりをあげて回転し、斬り放つ。


「リュデリエル殿!」

「ああ、頼んだ!」

 か黒い血飛沫が吹き上がる中、どっしりと腰を落として構えたヒロインの両の手を支えに、リュデが飛んだ。跳ね上げられた勢いのままに、空高く駆ける。

 その間に弧を描いて戻ってきた斧の柄を掴むと、ヒロインも一気に魔物の首元まで迫り、雄叫びをあげてその両刃を振り抜いた。魔力のこもった砂の粒子を帯びて、鈍く金色に輝く斧が魔物の反撃を許さず首を高く刎ね飛ばす。

 胴を離れてなお、その山羊頭はぎょろりと動き、ヒロインを睨みおろした。ばかりと開いた口が牙をむく。が――


「上がガラ空きですわよっと!」

 魔物の脳天を一筋、白銀の閃光が貫いた。刎ねられた首よりさらに上空へ舞い飛んでいたリュデだ。その手に携えた銀の槍の一閃が、角の間の額を穿ち、顎を裂いて、頭部を真っ二つに叩き斬った。


 飛び散る黒い血潮に混じり、陽光を反射してなにかが光る。虹色の石だ。赤に蒼に金色に――さまざまに色を遊ばせながら美しく煌めく。幼子の手の内に収まりそうなほど、小さな石。

 地上で剣を振るうアランサスも。斧を手に砂の道で天を仰ぐヒロインも。首を貫き断った勢いのまま落下してゆくリュデも。一様に、彼らの視線が石を捉えた。その瞬間。

 すかさず割れた頭部からも首なしの胴からも、黒い肉塊が石に向かってうねり伸びた。身の内に隠し閉じ込めようと、焦るような動き。また取り込め隠されてはここまでの労が報われない。


「やれ!」

 天高く、青空にリュデの声が轟いた。それに応えて、ばんっと力強く握りしめた拳を掌に打ちつけ、ヒロインが片膝を折りこうべを垂れる。彼らの国、ディロアの祈り方だ。とたんに――ヒロインの全身が淡く光を帯び出した。それは石と同じ色。彼の瞳と同じ色。――目まぐるしく変わり、光り、遊ぶ、虹の色。

「アランサス殿!」

 吠える雄々しい呼び声に、思わずアランサスは背筋をただした。その彼を、光宿す聖女の瞳が振り向き射抜く。

「あとはお任せした!」

 瞬間、アランサスの身体のうちに、巡る常の魔力とは明らかに違う流れが注ぎ込まれた。清流を泳ぐに似た、心地よく涼やかな感触。それが背筋を抜け、全身を駆け巡る。


「お任せっつたって……」

 心地よさに身をゆだねるより先に、アランサスは頭を抱えた。彼の魔力が象るのは、攻めるではなく守りの力。それであの石をどう抑え込めばいいのか。

 けれど逡巡も一瞬。アランサスは意を決して滑り落ちる虹色の石を睨み上げた。

「上手くいくか知らねぇからな!」

 涼やかに流れる力を、己が魔力とともに絡めとる。意識を頭から喉へ胸へ、腕を通って指先へ。魔力をたぐる当たり前の感覚を改めて研ぎ澄まし――アランサスは音高く指を弾いた。


 とたんに、鏡の盾が石を囲んで輝き現れ出でた。石を取り込もうと伸びていた魔物の肉片を弾き返し、六枚の防壁が一息に石へと押し迫る。そしてぎゅっと小さな小さな箱となって、そのうちに虹色の輝きを閉じ込めた。

 瞬間、眩く鏡の箱が光を放ち、アランサスは思わず目をすがめた。その先で、霞のように箱の姿が溶けて消えゆく。

 しくじったかと、アランサスは焦りに身震いしたが、消えたのは彼の魔法だけではなかったらしい。鏡の箱が消え去ったあとも、石が再びこぼれ落ちることはなかった。かの石を封じ込めたアランサスの魔法の箱ごと、石も消え失せたようだ。


 その証明だとでもいうように、ぐらりと魔物の巨躯が傾ぎ、アランサスを囲んでいた分裂体が動きを止めた。魔物たちの首筋から、背から、黒い煙が立ち上り、それとともに形が薄れていく。

 瞬きの間に――先まであった巨大な影も、刃を向けていた羊頭の軍人たちも、欠片一つ残さず消え去っていった。いままでここで、魔物退治の大騒動があったと告げるのは、荒れ果てた大地と倒れ伏した庭の樹々のみだ。


「せ、成功……?」

「ではなかろうか?」

 不安げにあたりを見渡すアランサスの視界の端で、華やかな黄色が揺れた。崩れゆく砂の道を蹴って、彼の隣に降り立ったヒロインだ。

 直後、リュデも器用に地面に槍を突き立て勢いを殺し、上空から舞い戻った。ふわりと風を纏うドレスの膨らみと、地に足を着く仕草だけは見惚れるほどしなやかで優雅だ。が、いかんせん、肩に担ぎ持つのは黒く血濡れた槍で、ドレスにはべったり返り血が花開いている。どうやら、飛び散った血潮までは魔物とともに消えてくれなかったらしい。


「ま、うまくいったのは何よりだ。とはいえ、一息ついてもいられなさそうだぜ」

 胸元でもぞもぞ動く小鳥の薄桃色の翼を柔らかに押し戻しつつ、リュデの紫の視線は乱れた木立のさらに向こうへ投げられた。

「人の気配がする。こっちに向かってんな」

「参ったな。申し開きに難儀する状況だ」

「だろ? だから、とっとと逃げようぜ」

「なんかもう、俺たちめちゃくちゃだな……」

 肩を落とすアランサスの悲哀は、誰にも拾われずに虚しく転がり落ちていった。


(ここが本当にゲーム世界なら俺の設定、確実にバグってるよ……)

 大国の第一王子と、公爵令嬢と、尊い聖女様のご一行は、その肩書きに似合わぬ威厳も貫禄も微塵もない動きで、そそくさと裏庭を後にした。







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