ヒロイン




「……というわけで」

 他に人影がないのをいいことに、裏庭の片隅で開かれた緊急会議。ひととおりの情報交換が終わって、アランサスはひとつ深いため息をついた。

「乙女ゲーの筆頭攻略キャラに転生したと思ったら、婚約者も『ヒロイン』も女装男子でした。どうしてなんだよ、この野郎」

「その……気の毒にな……」

「むしろお前の女運の悪さにどん引きだよ。前世に何しでかしたら、規定恋愛対象がみんな男になってんの?」

「お前らが言うか?」

 頭を抱えた赤髪が、目の前の女装男子たちに恨みがましげな新緑の目を向ける。


「確かに、確かにさ。聖女って言いならわされてたのは、いままで女神の加護を受けたのが女性ばっかだったからで、男にも祝福を受ける奴がいないとは、神話にも明言されてなかったよ? けどさぁ……」

「あいすまない……」

「お前が謝ることじゃねぇよ。喚かせとけ。ええっと、それで名前、もっかいいい?」

「ヒロゼリディウス・デリアティティナイド・チュティルガル・ディオレナ・ガルドエルナラ・オーディエレイン……だが、発音もしづらいだろうし、長いので、好きに略して呼んでもらって構わない」

「んじゃ、ヒロイン」

「うむ」

「傷に塩を塗りに来るの、やめて」

 よりにもよってな呼称と、素直な頷きに、アランサスは抱えた頭を持ち上げた。


 ヒロゼリディウス・デリアティ――略してヒロインは、アランサスの持ち出した前世の話も、特に虚偽を疑うことなく受け入れ、特殊な用語もすぐに慣れてくれた。わりと難儀な性格の持ち主であるリュデとも、なぜか早くも打ち解けきった空気がある。先の小鳥も傷を癒してもらったからだろうか。怯える様子もなくヒロインの広げたドレスの上で羽を休め、時たまじゃらしてくれる指先にすっかり蕩けていた。

 その体躯に見合う、広い度量と頼りがいを持った優しい男のようだ。こんな出会いでなければ、好感を得るままによき友となれていたかもしれない。


「で、どうすんだよ、王子様? 俺が男に戻るための前提が覆っちゃったじゃん。役に立たないな、お前の前世知識。期待だけさせやがって」

「こんな不可抗力下で、そうも貶めないでくれる? 塩塗った傷を広げないで」 

「そのことなのだが……私としてはこのままアランサス殿と恋仲ということにし、結婚という運びになっても、構わない」

「……よし! 解決!」

「してねぇよ?」

 やったね、と言わんばかりのしたり顔で振り返るリュデへ、己でもびっくりするほど冷静にアランサスは切り返した。


「というか、待て待て。ええっと、ヒロゼリデ……もう、いいや。ヒロイン。事情は聞いたが、人生捨てるの早まるな? お前のそれは、ていのいい人身御供になるってことだぞ? 一生、聖女というか……その、女としてやってかないといけなくなるぞ?」

「元より覚悟のうえで、こちらに参上した」

 気遣うアランサスに、低く深い声は揺るぎなく答えた。


 聖女の力を対価に、王族と婚姻によって繋がり、その権威の元、かつての故国の固有の領土、文化を侵食されないよう守る。あわよくば自治権をローゼサスに約束させる。それが、ヒロインの託された使命だった。

 いま王家に女児は不在であるから、婚姻を目指すならば聖女が男では話にならない。そのため、彼に力が発現した時点でわざと性別は伏せ、聖女の力を持つ者が現れたとだけ王都へ報せたそうだ。聖女と言えばいままではもれなく女性だったので、よもや男だと思い至る者は狙い通り現れなかったわけである。――隠しきれてないその雄々しさを、目にする者がいなかった間は。


「ヒロインはきっちり腹くくってくれてんじゃねぇか。なにを不満に思うことがあるんだよ。嫁ぎにいけ」

「おっ前、他人事だと思って……!」

「しかし、本当に私が申し出れば、アランサス殿は王位継承にまつわる慣例にのっとることなく、継承権を放棄し、我らが故郷へ婿入りできるのであろうか?」

 背中をせっつくリュデを睨むアランサスへ、不安げにヒロインが太い首を傾ぐ。その凛々しい太眉が気づかわしげに寄るのも仕方ないところがあった。


 ローゼサスには、王位継承に関してやっかいな因習があるのだ。生まれた順が継承権の順番というのは一般的な話なのだが、問題は、順位第一の者が王位についたあとだ。

 この国では新しい王が即位した時、継承権もリセットする。要は、王以外の継承者をみな殺すのである。建前上は所領を与えるという形で幽閉し、慣れぬ土地で苦労がたたって死んでしまったことになるのだが――もちろん、そんなはずもない。

 非道な慣例だが、国がまだ若く、王権が安定していない時代は、叛乱、謀反の混乱を防ぐためにそれなりの機能を果してはいたらしい。数人の犠牲で国家が安泰に延命する――尊い犠牲というものだ。が、それも大国となって久しいいまは、悪習という方が相応しい。


「聖女様の願いなら聞くと思うぜ。こいつの言う『乙女ゲーム』じゃそうなってるらしいし、なにより、一部の貴族連中はまだこの慣習を悪用してるが、時代も移ろった。厭う層もそれなりにいる。力強いきっかけさえありゃ、廃止派を束ねてたたみかけられるはずだ。ローゼサス国としても、聖女様のご機嫌は取っときたいだろうからな。逆に王子ひとり婿にすることで御心に適うんなら、それこそ大歓迎だろうぜ」

「俺を馬の前にぶら下げる人参のように言わないでくれる? 仮にも第一王子で、一応次期国王なのよ?」

「っせぇな。王になりたくないやつが、んなことカサに着るふりしてぐだぐだ言ううんじゃねぇよ」

 ほんのり不貞腐れた声をあげたアランサスは、無情にもリュデに切って捨てられた。めそめそと落ち込むその肩を、ヒロインの大きな手が気づかわしげに慰める。


「人参とは思わんが……もしリュデリエル殿の言うとおりならば、願ったりだ。その因習ゆえ、王族と婚姻を結び、影響力を得るためには、王妃になるしかないと思っていた。が、聖女とはいえ、我らは元はローゼサスの民ではない。その上で王妃の座につけば、聖女の威光があっても宮廷内の諸家に嫉まれると思っていた。そうなれば、逆に身の振り方も窮屈だ。アランサス殿が我が故郷ディロアまで来てくれるというなら、その方が自由も効く」

「こいつが王位を無事に捨てられた場合、後を継ぐのは第二王子だ。あいつは温厚なうえ聡明だからな。ディロアとの折衝も、うまい具合に取り持ってくれんだろ」

「まあ、それはそうだろうなぁ。メティス、有能が服着て歩いてるみたいなもんだし……」


 物心ついた頃には、王位を継ぐ気はアランサスからまったく失われていた。王の地位と責務は、アランサスには面倒にしか映らなかったのだ。異世界での恵まれた平民の記憶――それが彼に、権威への憧憬以上に責務を鬱陶しく思わせた。

 おまけにアランサスには、三日違いで生まれた優れた異母の弟がいた。正直、国民の人気も圧倒的に弟の方が高い。そこもゲームとは違うところなのだが、ともかく、やる気のない己より、遙かに優秀な弟に王位を譲る方が、国益にも適うと思えた。


 それに、第二王子メティスの母は辺境伯家の娘。リュデの宰相家とはあまり折り合いがよくはない。さすがの宰相家でも、そこへ女装の息子を放り込んで、后にまではできないだろう。母方が血縁者である、従兄のアランサスとは違うのだ。

 そのためリュデとしても、メティスが王となってくれるなら、婚約破棄後、次の王位継承者へ回されることもなく、晴れて男の身に戻れる算段がつきやすいのである。

 だからヒロインが婚姻に乗り気であるのは、願ったり叶ったりであった。そのはず、ではあるのだが――


「でもなぁ……」

 アランサスは顔をしかめて渋った。

「なんだよ、なにに不満があんだよ」

「こちらに来れば、私の周囲は大方事情を知っている。体面だけ保ってもらえるならば、好きなだけ他に妻子を囲いもできよう」

 婚姻成立の売りどころとして、とても誠実に、ひどい不貞行為を奨められたのは気のせいだろうか。ヒロインの中でアランサスはなにに不満を持っていることになっているのか――。アランサスは、ちょっと考えたくなくなった。


「度量の広い結婚相手、最高じゃん。良かったな、アランサス」

「リュデ、お前、本当に自分が男に戻れればよくて、清々しいほど他のやつのこと考えてないな?」

「当たり前だろ?」

「お前の悪びれないそういうところな!」

「アランサス殿は、私では不満だろうか?」

「いや不満っていうか、そうじゃなくて……それ以前に、俺は根本が難しいと思ってんの。つまり――その……」

 ちらりとアランサスはヒロインを見上げた。たくましく凛々しい女性はもちろんあまたいる。鍛え抜かれた肉体美を誇る女性も多くいよう。とはいえ、越えがたい男女の差異というものは、身体の上に歴然と――ある。


「ヒロインが女で通すの……無理がね?」

「…………――やはり」

「自覚はあったのかよ」

 沈黙ののちの肯定に、リュデが驚きの声をあげた。

「堂々としすぎてて、それで貫くもんだと思ってたぜ」

「いやさすがに私もこの仕上がりは、相当、かなり、どう考えても無理があるので、方法を改めようと提案したのだが……こと我らの束ね役である公主殿が『いけるいける、可愛い可愛い』と半ば捨てばち気味に推し進め、周りも同調して『なんとかなる』などと言ってくるので、だんだん全体的にいけそうな雰囲気になり……」

「みんなまずいと思いつつ、場のノリで止められないまま突き進めちまった政策じゃねぇか」

「ちょっと流されやすすぎるだろう。心配になる。なぁ、ヒロイン、やっぱ考え直せよ、な?」

「安心しろよ、ヒロイン。俺が直々に、それなりに見えるように女装仕込みなおしてやるから。女装は足し算だ。似合うようにやりゃ、たいていは化けられる」

「リュデリエル殿の助力とあらば頼りになる!」

「なんでそっちに乗り気なの、お前!」

 自信満々に請け負うリュデに、ヒロインは顔を輝かせる。絶対におかしい流れを断ち切るべく、アランサスは切々とその広い背中に言い募った。


「俺はお前の人生考えて止めてやってるの! そいつは自分のことしか考えてないから!」

「お前だって自分のことしか考えてないだろうが、詭弁を使うな」

「誰だって好みの子と結婚したいだろ! どう転んでも男と結婚するしかないの、やだ!」

「ほらな、本音が出た。その身分、立場で、好きに結婚相手が選べると思ってんじゃねぇ! 愚か者が!」

「偉いんだから結婚相手ぐらい好きに選ぶ力が欲しい!」

「権威と権力をはき違えるんじゃねぇよ! 権威を利用されるのがお前。権力を揮うのが俺だよ!」

「知ってる! それがお前の一家のやり方! だから貴族社会嫌いなんだよ~! 王族になんて生まれるもんじゃない!」

「愛人が何人いても良いように、広い屋敷を用意しよう」

「それ、気遣わしげに提案することじゃないから! 別に何人も囲う予定はないから!」

 幼馴染の手ひどさと、的外れな優しさに、アランサスは声を張り上げた。本日何度目になるか分からない、深い絶望の吐息を吐き出す。


 幼馴染の性格のきつい美人の婚約者。少々ずれたところはあるが穏やかで優しい恋人候補。――なるほど、意図的にいくつか特徴を取り上げれば、これは間違いなく姉のやっていた乙女ゲーム。それを、攻略対象の王子の視点から見たものに相違ない。だがしかし、いかんせん――大事な特徴はそこではない。


「まったく当てにならない前情報だったな……俺の前世」

「もうお前の前世、役に立たないから思い出すのやめろよ。見てて哀れ」

「しかし似通っていることは確かなのであろう? 我らの今の状況、困難がないといえば嘘になる。となれば、今の我らの状況をより良くさせる手掛かりを得るため、思い出せるだけ思い出してもらい、情報を共有するのもよいのではないだろうか?」

「そうは言われても、別に思い出したくて思い出してるわけでもなし……他にいい情報もなし……」


 悩ましげにアランサスは唸って、空を見上げた。新緑揺れる梢で、鳥たちがさえずっている。ヒロインの指先に戯れる薄桃色の小鳥が、仲間の姿を探すようにきらきらとした水色の瞳で樹上を仰いだ。のどかで――暢気なものだ。

 と、その瞬間。


 爆発音が轟き、巻き起こった突風がアランサスたちを飲み込んだ。











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