転生王子はハッピーエンドをあきらめない

かける

運命の出逢い


 人生を設定からやり直せたら――なんて、きっと誰しも一度は夢想する。


 アランサスは盛大に落胆の溜息をついた。

「しけた顔してんなよ、絶対しくじるんじゃねぇぞ」

 隣からかけられた心地よくも低い音色に、頭を抱える。

 森や林とまがうほど、自然豊かな大庭園の奥の奥。そこの草むらの影に身をひそめた彼の隣には、深い海色のドレス姿があった。満ちた春の日差しを受けて煌めく、長い銀の髪も麗しく、凛と眼前を見据える猫のような瞳は高貴な紫色。左目じりには色香漂う泣きぼくろがあり、佇まいはすらりと細身の剣のようで、その照り輝くかんばせには恍惚と目を奪われる。


 〈銀の公爵令嬢〉とその美貌をたたえられる、リュデリーナ・クロサンドロスその人だ。大国ローゼサスの第一王子・アランサス――つまりは彼の幼馴染で、婚約者でもある。

 いま、彼らの身分には不釣り合いなこの草むらには、ふたりの他に姿はない。そう、ないのだ。だから――


「帰りたい……」

「お前がここで事が始まるっつったんだろ」

 顔を覆うアランサスに突き刺さる、粗暴な言葉と野郎の声音は、この隣のどこからどう見ても麗しきご令嬢から発せられている。


 そう彼女は、見た目は薔薇もこうべをたれ、太陽も恥じらって顔を隠す美しきご令嬢。しかしその中身は、性別も自認もばっちり男。第一王子の婚約者にするため、世間の目を欺いて、女として育てられた宰相家の五男。リュデリエル・クロサンドロス。それが、彼の正体なのである。


 王族と血縁関係を結ぶことで力をつけてきた宰相家。しかし当代には五人も子が生まれて、ひとりとして女子がいなかった。なので仕方がない、最後の子は女の子として育てよう――という逆転の発想で、リュデは女の子として育てられたのだ。この剛腕を振るうにもほどがある事情を知る者は、ごく一部しかいない。


 少年の時を過ぎ、青年と呼ぶ歳に手をかけてなお、彼はその容貌の美しさを武器に、低い声や伸びた背丈を気にさせないほど令嬢然として化けられていた。一皮むけば、第一王子相手にすら傲岸不遜極まれりな本性が顔を覗かせるというのに、彼を男と疑う声はない。そこまでの化けの皮被せている宰相家の后教育がすごいのか、演技を極めきったリュデがすごいのか、アランサスにはもうわからなかった。

 しかし女子として養育されても、リュデの中身はすくすくと男子として成長した。ゆえに――


「お前が『転生』だの『乙女ゲー』だの、なんたらかんたら言って、ここで運命の出会いがあるっつうからって張ってんのに、肝心なとこで間抜けを演じたら、すべて無駄になるだろうが。いいか? 俺の男としての人生取り戻すためにも、絶対に抜かるな」

「いまさらだけど、ゲームの設定、お前が男の時点でいろいろ違ってると思うんだよ……ほんと」

 アランサスは、くしゃりと前髪をかきむしった。癖のある明るい赤の短髪が、木漏れ日のもと朱色交じりに煌めく。


 生まれ変わったら、姉の行っていた乙女ゲームの世界で攻略対象キャラクターになっていた。それが、アランサスの状況だった。

 とはいっても、前世の自分の意識はほとんどない。残る記憶のほとんどは、知識と呼んでよい、情ののらないものだった。

 おまけにアランサスは、前世で自分がどう死んだのかはもちろん、どう生きたのかさえ曖昧だった。あらゆることがどこもかしこも抜け落ちていて、ページの足りない本を読むようなのだ。


 だが、本当にゲームの世界なのかはいざ知らず、この世が前世で姉がしていたそれによく似ているのは確かだった。そして己も、姉が必死に攻略しようとしていたのを横目で眺めていた、主要キャラクターと同じ境遇のようなのだ。――婚約者が実は女装し続けた男なのを除けば。


「ここにもうじき、お前と運命の恋をすることになる『ヒロイン』が現れるんだろ? で、木から落ちた鳥の雛を巣に戻してやろうと木登りして、落っこちると。それをお前が助け、なおかつその現場を発見した『悪役令嬢』の俺が、『ヒロイン』の横っ面をひっぱたき『この泥棒猫!』的なこという。――なぁ、この概要で本当にいいのか? 雑じゃね?」

「俺も聞けば聞くほど不安しかないですね……」

 訝しむリュデに、アランサスも遠い目をした。


「正直、脇で眺めてただけだから、ゲームのこと、あんまりはっきりとは覚えてないし」

「この役立たずが」

 憚りもなく言い捨てる、麗しい紅色べにいろの唇。反動なのか生まれ持っての性質なのかは知らないが、素でいる時の彼は貴族と思えないほど口が悪い。可憐な声音でさえずりそうなのは見た目ばかりだ。

「とはいえ……多少雑でも、俺たちの望みを叶えるには、『ヒロイン』様とお前の恋にかけるしかねぇからな。好機は逃せねぇか」

 そう獲物を狩る獣の目で、彼は問題となる大樹の方を見つめやる。


 彼らの望み。それはふたりの婚約の破棄。および、アランサスの王位継承権の放棄だ。簡単に彼らの意思ひとつでそれが為せるなら、なにもこんな草むらで張り込むこともないのだが、そうもいかない事情があった。

 様々な理由から、彼らの婚約破棄と王位継承権放棄には、『ヒロイン』の恋に関与してもらう必要があるのだ。


「お前のいう、前世のゲームでの『ヒロイン』。それが今日、この学院にくる聖女さまなんだろ?」


 士官及び政務官の養成の場として設立された、王立イデュリュア学院。ここは国の北東部に広大な土地を有して広がる寄宿制の学術院だ。本気で勉学に励むなら、六年は修業する必要があるが、それは士官、政務官を志す庶民の話。王侯貴族の子息子女たちは、単に学んだという建前と、学院を出たという箔付けのため、最終学年時に一年だけ学院に身を寄せる。

 アランサスもリュデも、それゆえ今日から学院の生徒なわけだが、今年はたったひとり。王族でも貴族でもないのに、彼らと同じ待遇で入学する者がいた。

 それが、聖女だ。


 この世界には、ときおり聖女と呼ばれる存在が現れる。それは女神に祝福を受けた者で、あまたの魔法が息づくこの世界において、魔の根源に近しい力を宿すとされていた。

 聖女はただ人ならひとつしか許されない魔法をいくつも操り、祈りによって他者に神がごとき力を与え、この世で唯一、癒しの魔法すら扱えるという。こと、聖女の癒しの魔法は人のみならず、動植物や土地の恵みにまで関与する力があるそうで、聖女が力を貸した国は、過去例外なく栄え豊かになっていったらしい。

 だから聖女の出現は、ローゼサス国にとっては吉報であるはずだった。だが此度は、少々事情が複雑なのだ。


 聖女が現れた場所は、ローゼサスの西の最果て――ディロア。そこは国内とはいえ、十数年前に干戈かんかを交え、領土とした異民の地だった。聖女は、ローゼサスが下した民のうちに現れたのだ。

 最終的には和平交渉により支配下になることを選んだ者たちであり、ローゼサスの支配も穏当に行われてはいる。しかしそれで禍根が消えているわけではない。

 ディロアの民である聖女が、ローゼサスのために力を揮ってくれるのか――それは大きな問題だった。

 そこで、聖女を国の中枢へと取り込む足掛かりとして、王侯貴族に並ぶ待遇で、イデュリュア学院へ招いたのである。

 そして聖女はそれを受け、今日、西の果てから国の北東部にあるこの学院まで、はるばるやって来るのだ。


「異民の聖女様。そいつがこの学院でお前と恋に堕ちて、自分の故郷に、身分も婚約者も何もかもを捨てたお前を連れてって幸せにしてくれるんだろ? その乙女ゲームってやつだと」

「そういうルートもあるというだけの話で、現実もそうなるかは知らないからな。そそもそも、聖女様が俺を好きになってくれねぇと、この作戦失敗だし……」

「脅してでも惚れさせろよ」

「怖っ」

 温度のないリュデの眼差しと思いのほか真摯で低い語調に、アランサスは己が肩を抱いて震えた。この男、さすがゲーム上では『悪役令嬢』に当てはまるだけのことはある。己の婚約破棄大成のためになら、無理やりにでも彼と聖女を添い遂げさせかねない。


 その時だ。遠くから猫の鳴き声がした。と同時に、ひゅっとふたりの潜む草むらの前を小さい影が過っていく。薄桃色の小鳥だった。羽が傷ついている。それに続いて黒い獣の影。猫だ。さきの鳥の翼の傷は、猫にひと掻きやられたものだろう。

 そこにまた別の音が――草を踏み分ける足音が重なった。


「来る……! 伏せろ」

 リュデがアランサスの赤髪頭を容赦なく押さえつけ、草むらに沈めこむ。

 聖女――もとい『ヒロイン』だ。間違いない。猫に追われる小鳥を案じて、駆けてきているに相違ない。アランサスもリュデも息を詰めた。


(ん……?)

 引っ掛かりを覚えて、アランサスは首をひねった。それに気づいて、「なんだよ」と囁きかけたリュデへ、疑問のままに小声で紡ぐ。

「いや……小鳥を助けるのは確かにゲームで見た展開なんだが……あれは木の下に落ちてただけで、猫に追われては、いなかったような……?」

 それになぜか、近づく足音がどことなく重い。軽やかに走る乙女のものというよりは、重装備の騎士が走り込んでくるような――


 瞬間。風を切る音が二人の耳をつんざいた。大ぶりな石が音をたて、猫の光る爪と小鳥の間を綺麗に貫き、樹の幹にぶち当たる。

 驚愕して毛を逆立てて猫が、石の飛び来た方を振り返ると、がさりと力強く草を踏みしめる音がした。そして――


「猫。すまなかった。私もお前を傷つける気はない。立ち去ってはくれないだろうか?」

 語りかける、穏やかで優しい声。だがそれは明らかに、リュデよりも、アランサスよりも、深く低い響きをもっていた。


 言葉が通じたのか、眼前をかすめた投石に怖じたのか、猫が文字通り尻尾を巻いて逃げ出していく。しかし草むらのふたりも猫どころではない。有り得ない音声に、勢いよく声の主の方を振り返った。

 そこには確かに――ディロアの者が、ローゼサス風の日差し色のドレスを纏って立っていた。日に焼けた褐色の肌に鮮やかな黄色が良く映えている。目を奪う見事な取り合わせ――なのだが、それ以上に目を奪われることが多すぎた。


 背が、リュデはもとより、アランサスよりもゆうに頭ひとつ分は高い。広い背中、しっかりとした肩幅。鍛えられたがっしりとした筋骨隆々の体躯が、ドレスの中できつそうにしている。こっくりとした金色の髪はうしろで綺麗な三つ編みに結われ、愛らしい髪飾りがつけられている。が、そのきりりとした結ばれ方は、可愛らしさ以上に雄々しさを感じさせた。二重のぱっちりとした双眸と彫の深さが印象的な顔立ちは、端正ながら武人然とした厳めしさが漂っている。そして太い首には、覆う飾り布で隠しきれない喉仏があった。


「おと、」

 ばしんっとリュデの掌がアランサスの口元に叩きつけられた。

「ああいう女性かもしれないだろ。可愛い可愛い」

「無理があるだろ、無理が!」

 掌を押しのけ、小声ながらも嚙みつくように叫んでアランサスは捲し立てる。

「身体にはな、どうしようもない性差ってのがあるんだよ! だからあれは男! え? つまり? どういうことなんだ? 人違い?」

「いや、状況と条件的には、あいつが『ヒロイン』」


 猫が立ち去ったあとに歩み寄り、低い声は何事か穏やかに呼びかけ、小鳥を拾い上げる。傷の具合を見ようとさしのべた指先に、気持ちよさそうに小鳥が頭を摺り寄せていた。


「動物に好かれてる。心優しそうじゃん。良かったな」

「なにひとつとしてよくねぇよ?」

 抑揚のないリュデの祝福に、アランサスは眉を吊り上げた。

 と、ひそひそやり合うふたりの頭上に影が差した。そろりと見上げれば、驚きに瞠られた虹色の双眸とぶつかる。虹色の瞳は――聖女の証だ。


「あなた、方は……?」

「細かいことは追々話すんで……ひとまず結婚を前提にこいつと付き合ってくれる?」

「やめろ馬鹿野郎!」

 外れてきっている既定路線に強引に話を戻そうするリュデへ、アランサスは声を張り上げた。小鳥を抱く彼には当然、困惑しか浮かんでいない。だが、こちらにだって混乱しかない。

 ぴい、と小鳥の呑気な鳴き声が、混沌とした空気の中に愛らしく溶けていった。








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