花が咲いた日

秋待諷月

花が咲いた日(上)

 見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。




「これはなんですか、マスター」

 両手で開いたノートを顔の前に掲げ、私は尋ねた。マスターは寝癖頭にパジャマ姿のまま、リビングダイニングのテーブルでコーヒーをすすりつつ朝刊を読んでいたのだが、斜め下から私が示したページを一瞥するなり口角を上げる。

「アス、お前はなんだと思う?」

「二桁の数字です」

「そのままじゃないか。お前のそういうところだぞ」

「私のどういうところが何なのですか」

 あやふやなマスターの非難の意を捉えあぐね、私が重ねて詰問すると、マスターはなおも愉快そうに笑みを深めた。ダイニングチェアの背もたれに肘を乗せて私を見下ろし、こともなげに言う。

「点数だよ」

「点数?」

「そう。お前の日記の」

 ようやく得られた回答は、しかし、やはり解釈不能である。私はノートをひっくり返し、文面を注意深く点検した。誤字脱字も、文法上の誤りも特には見当たらない。メモリーと照合しても不整合は無い。ネットにアクセスして気象庁の記録まで確認したが、天気概況も最高・最低気温も、平均湿度も正確だ。

 だと言うのに。

「これは素点方式ですか? 最高値は?」

「百点満点」

「採点基準の公開を要求します」

 私なりに強い口調で圧をかけたが、マスターはどこ吹く風である。分厚い眼鏡の奥の目を細めて、にまり、と隙間の増えた歯並びを見せる。

「楽しいかどうか、さ」

 視線を落とし、再度、私は紙面を確かめる。

 昨夜私が記入したばかりのページに、マスター愛用の赤い採点ペンで、二重下線とともに書き込まれた数字。

 私の初めての「日記」に与えられた評価は、15点だった。




 元・私立高校現国教諭にして、現・楽隠居。齢八十を過ぎても矍鑠として、今時では珍しくなった紙の書籍をネットや古本屋で手に入れては読み耽ることが至上の楽しみ。

 生涯独身を貫く気満々、今や身寄りも友人も全て亡くした孤独の身ながら、いつでも鼻歌交じりに日々を過ごす私のマスターは、端的に言えば「変な人」である。

 元・業務補助ロボットにして、現・家事補助ロボットである私を、彼は「アス」と愛称で呼び、まるで彼の生徒であるかのように扱う。知識量も記憶能力も習得技能数も、私のほうがはるかに勝っているにも関わらず、だ。事あるごとに発問をしては私に回答を求め、「考えてみなさい」「やってごらん」などと強制するものだから、私はその度当惑し、業務処理能力を著しく低下させる羽目になる。


 そんな彼の奇行の中でも最たるものこそ、私に「日記を書く」という業務を課したことだろう。


 一教員として定年まで勤め上げたマスターが、貯金をはたいて購入したのが、一般家庭用アシスタントロボットとしては当時の最新モデルだった、この私だ。ちなみに、正式商品名は「Assistant SUper RObot ASURO-2034」である。

 マスターは紙に書かれた文字が好きなくせに、書類整理が壊滅的に苦手である。正確に言えば書類に限らず、電子データもメールも冷蔵庫の中身も管理できていないのだが。

 定年直後、マスターは道楽半分の小遣い稼ぎに、文章作成や校正・校閲の在宅ワークを行っていた。ただでさえ書物や現職時代の資料で圧迫されている自宅アパートの窮屈な書斎で、日々増量する書類の海に溺れかけた彼が助けを求めたのが、私だったというわけである。

 それこそAIにやらせればいい前時代的な仕事そのものではなく、紙の整理に私を従事させるあたり、倒錯していると言おうか、最新モデルの無駄遣いと言おうか、やはり「変」だとしか評しようがない。

 救助隊員、もとい、秘書として働き始めた私の仕事には、業務報告書――いわゆる「日報」の作成が含まれていた。

 始業および終業時間。依頼元との打合せ記録。使用データファイル、参照資料名および閲覧ページ。廃棄文書名と枚数。マスターが「ちょっと休憩」と言いつつ本を読み耽っていた時間の合計、エトセトラ。

 マスターの終業後、私はパソコンでそれらの記録を文書ファイルに起こし、A4一ページに収まるようまとめ、印刷し、マスターの書斎机の中央に置いておく。翌朝、彼が仕事を始める前に、前日の進捗を確認できるように。難しいことではない。マスターが書斎で仕事をしている間、私は常に彼の傍に控えていて、役不足に暇を持て余していたのだから。

 これはマスターから命じられた業務ではあったのだが、そうでなかったとも言える。私の勤務初日の夕方、マスターから欠伸まじりに与えられた指示は、「今日の仕事、ざっとまとめてメモっといて」だった。よって私は、前述のような内容を「ざっとまとめてメモ」ったのだ。

 翌日、机に置かれた私の「メモ」を見つけたマスターは、内容に目を通すなり盛大に噴き出した。そして、噛みしめるように笑いながら、この「日報」を毎日の業務にするよう私に命じたのだった。


 マスターと私のそんなビジネスライフは、十五年で幕を閉じた。傘寿を機に、マスターが完全退職したためだ。


 その頃には、私は家事全般も一手に引き受けるようになっていた。私のサイズは高さ百二十センチで、一般的な成人の人間と比べて小さいものの、日常生活において要求される必要最低限のスキル程度は習得している。よって私の日報は、主に家事業務を記録するものに変わっていった。

 マスターの起床・就寝時間。洗濯をした衣類の種類と枚数。掃除箇所。購入した食材や消耗品。マスターの朝昼晩の食事の献立と摂取量。食卓を整えた私に声をかけられたマスターが、「あとちょっとだけ」などと言って、そのまま本を読み続けた時間の合計、エトセトラ。

 そんな私の日報を、マスターは翌朝必ず隅々まで目を通し、一年度ごとに作成する分厚いファイルに綴じていく。書類整理が大の苦手であるくせに、日付順を誤ることもなく。

 そしてちょうど三百六十五枚の日報を一冊にまとめ終えた、今から一日前、四月一日の朝。一年分の記録をぱらぱらとめくっていたマスターが、私に顔を向けて言ったのだ。


「アス。今日から日記を書いてごらん」


 手渡されたのは、まだ何も書かれていない一冊のA4ノート。七ミリ幅の普通横罫で、枚数は五十枚と、やや分厚いタイプだ。差し出されるままにノートを受け取りつつ、私は困惑した。

「日記? 日報ではなく?」

「お前がいつも書いているのは、いわば、事実の列挙だろう。僕は、アスの中から出てきたものを読んでみたいんだよ」

 マスターの瞳は、面白そうな本を見つけたときと同じに輝いている。エイプリルフールではなさそうだった。

 私はノートに視線を落とした。一年分を一冊にまとめることを想定しているのならば、一日あたりの記録に使える行数は九行ないし十行程度。十五年書き続けたA4一ページの日報に対し、許容字数が少なすぎる。

「ああ。日報もこれまでどおり続けてほしいな。日報は日報、日記は日記。業務が一つ増えたと思えばいい」

 私の思考を見透かすようにマスターが補足した。例え人間側に強制の意図がなくとも、ロボットにとって人間の命令は絶対である。私に拒否の選択肢は無かった。

「記録に主観が入り込むことは御法度だが、日記は自由だ。なんでもアスの好きなように書いていいんだぞ」

 その「自由になんでも」がどれだけ難しいかを、私は業務追加からたった数日で思い知らされる羽目になる。




「4月1日(木)天気:晴れ一時雨 気温21.9℃/12.6℃ 平均湿度51%

 6時業務開始。同5分朝刊回収。同37分マスター起床。朝食に白米・油揚げとワカメとネギの味噌汁・納豆・緑茶を提供。7時洗濯機運転開始。同15分食器洗浄。同17分よりマスターが朝刊を読み始める。――」


 私の日記の初日はこのように始まり、以下、同じ調子で業務終了まで続く。人間の日記・日誌の類には高確率で当日の天気の記載がなされているため倣ってみたが、その他については概ね日報と変わらない。強いて違いを挙げるのであれば、日報は箇条書きで、より詳細な記述になっていることだろうか。ちなみに日報であれば、例えば白米のグラム数や味噌汁の量、納豆のメーカー名および商品名まで記録している。

 内容の省略は一日分の日記を十行以内に収めるための私なりの工夫だが、それでも収めきれず、七ミリ幅の罫線間に三行を書き込むことで達成した。マスターはこれを読むために拡大鏡まで持ち出したらしい。15点というシビアな評価はその苦労に対する不満の表われかとも思ったが、「楽しいかどうか」という彼の採点基準を鑑みるに、文字の小ささだけが減点理由というわけではなさそうだ。

 ノートは昨夜遅く、日報とともに机上に置いておいた。マスターがこれを読み、採点したのは、私がキッチンで朝食の支度をしている間のことだろう。よって、彼が一体どんな顔で日記を読んだのか、その場にいなかった私には知り得ない。

 ただ、一つのミスも見当たらない日記に与えられた点数を見た私の中に、プログラムエラーの原因が見つけられないときのような不快感が滞った。

 さらなる簡略化が必要だと判断した私は、翌日から気温と湿度の記述を削除し、日記部分も許容できる限り削ったが、点数は変わらなかった。

 さらに翌日は、「楽しさ」を追加すべく関西弁に翻訳変換してみたところ、点数は20点になっていたものの、マスターは笑いを噛み殺しながら「そういうことじゃない」と否定的である。ならば、と、江戸っ子口調にしてみたところ、点数は10点にまで落ち込んでしまった。

 当日の日記でそのことに言及し、「異議を唱えたい」と不満を記したところ――結果は、50点まで急上昇していた。




 ベランダの軒下にツバメが巣を作り、中を覗き込もうとマスターが脚立を持ち出して、足を滑らせないか気が気でなかったこと。

 通算九百二十四回も窘めているにも関わらず、マスターが脱いだ靴下を裏返したまま洗濯機に放り込むこと。

 戸棚に隠しておいた菓子が、気付いたときには空箱だけになっていたこと。

 六十年前のヒットソングを口ずさんでいたマスターが、終わりのメロディを思い出せず、同じフレーズを九回も繰り返していたこと。

 日記の点が高くなるのは、日報に載せるに値しないほど些末で、かつ、マスターに関する出来事の記述が多い日だと私は考えた。そこでマスターの一挙一動をメインに据えるようにしたところ、再び、評価は50点以下に下がってしまった。

 マスター曰く、「これじゃ、アスの心がわからないだろ」。

 ――「わからない」は、こちらのセリフだ。

 春が終わり、梅雨の終わりが近付き、ノートの四分の一が埋まっても、60点を超えられない。七月の最終日、そのことが「悔しい」と書いて、私は日記を結んだ。

 75点だった。




 夏が過ぎ、秋が訪れる。私は日記を書き続ける。

 次第にコツを掴んできた。日報のように、一日の出来事の全てを細大漏らさず書く必要は無い。取捨選択の基準は、「私の心を動かしたかどうか」。大事なことは、事実のみを書くのではなく、そこに「私にしか書けない何か」を添えること。

 ノートも半分を過ぎて、私はようやく確信を持つ。マスターが読みたい日記とは、どういうものであるのかを。

 納得できなかったとか、驚いたとか、腹が立ったとか、面倒だったとか、心配だったとか、呆れただとか、恥ずかしかったとか――嬉しかったとか。私は、私の中に都度生じた「何か」にしっくり当てはまる表現を、辞書機能を駆使して見つけ出す。

 そうやって書き記し、改めて見返した日記の中には、私の「心」があるように思える、と。

 そんな一文で締めた二月も末日の日記には、90点の評価が付されていた。




「うまくなったなぁ、アス。大したもんだ」

 前日分の採点を終えたノートを差し出しながら、マスターは私を手放しで褒めた。ありがとうございます、と返しながらノートを受け取る私は無表情だが、胸中は鼻高々だ。

 そんな私の内心を知ってか知らずか、マスターは目を細めてしみじみと言う。

「そのノートも、残り少しだな」

「はい。三月三十一日で、ぴったり終わらせる予定です」

「そうかそうか。それじゃあ――」

 マスターは椅子に座ったまま細い腕を伸ばし、私の頭頂に掌を置いた。その手も、私を見る目も、次に私にかけられた声も、それら全てが優しかった。


「――そのノートが埋まったら、アスとはお別れだなぁ」

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