15 辻斬り御免
不意に、両手で私の手を握っていた少年が、片手だけ離す。
どうしたのだろうと思って少年を見やると、下を向いて俯いてしまっていた。
機嫌を損ねてしまったのだろうか。
だが、どうしたってこの少年を引き取るという選択肢は現実的ではない。今は居候の身な上に金も無いし、第一、私は子育て経験が皆無なのだ。今年小学生になるらしい甥っ子と会ったことすら無い。
どう声をかけて宥めるべきなのだろう。孤児院に預けたら顔を出すようにするから、と言えば納得してくれるだろうか?
そう考えていると、少年が足を止める。
どうしたの、と問いかけようとしたが、その言葉が声になる事は無かった。
「ねえちゃん、おいのもんになって?」
瞬間、鈍色のきらめきが視界の端に映る。
奇跡的にそれに気付いた私は。
「×××××ーッ!!」
ようやく思い出した、少年の声帯を司っているだろう
風を切る音が耳に届く。ほんの数センチ届かなかった鈍色――見るからに日本刀に見える刃物――を振り抜いた少年は、私の行動が予想外だったのか、ハイライトの無いジト目を見開いていた。
しかし、そんな驚愕の表情はすぐに消え失せ、何故か口元に狂気的な笑みを浮かべ、頬を朱に染めて、いつの間にか手にしていた刀を両手でぎゅっと握った。
「凄かぁ……! おいの剣ば避けたんは、ねえちゃんが初めてじゃ!」
ぴょんぴょんと跳ねてはしゃぐ姿だけを見れば、遊園地に連れてきてもらって大興奮してる小学生のようだ。
だが、殺されかけた私にとっては、そんな微笑ましく可愛らしいものには見えない。
即座に体の向きを180度変えて走り出す。全力疾走だ。競走馬美少女化コンテンツを履修した際にたまたま知った陸上のプロの走り方で、コンマ一秒でも早くその場から逃げ出すために。
肩に乗ったヘーゼルを気にかける余裕なんて一切無かった。
生まれて初めて感じた命の危機と自身に向けられた殺気に、冷や汗が一気に吹き出る。
何が恐ろしいって、その殺気には敵意や悪意が一切感じられないという所だ。むしろ好意すら感じるのが異常で、そんな異様な感情を人生で一度でも向けられることになるなんて想像したことすらなかった。
背後から着いてくる軽い足音の恐怖を振り切るため、そして周囲に身の危険を知らせるために声を張り上げる。
「オイオイオイオイ! まさかとは思うけど、お前が例のモズの早贄事件の犯人か!?」
「何のこっちゃあ知らん。そがな事より、逃げんで? 殺せんじゃろ?」
「命の危機が迫っているのに逃げない訳がないでしょうがーっ! 騎士さんここです! 刀を持った不審者から追われています助けてくださーい!!」
やはりというべきか、後を追ってきた少年の声に、分かっていたのに心臓が跳ね上がった。
人生最速レベルの、それこそ気持ちは上り三ハロンを32秒7で駆け抜ける勢いで走っているのに、そんな大人の全力疾走に少年は軽々と着いてきているという事実がますます恐怖を煽る。ファンタジー人類の身体能力怖い!
一応私は非対称対戦ゲームで、チェイスの基礎を本能に叩き込まれている。
いろはの「い」である仲間への情報共有、この場合では助けを求めて声を張り上げるという行為は出来ているものの、いざチェイスする身になると、いろはの「ろ」である
振り返った瞬間にあの無邪気で狂気的な笑顔を見てしまったらと思うと、もう怖すぎて無理! トラウマになる! てかもうなってる! 大の大人なのにお漏らししかねんぞ!?
「お前その辺の木の枝に人様の頭ぶっ刺してたでしょ! 殺して首落としてさぁ!」
「おん」
「やっぱ犯人じゃねーか! ッヒィ!? 掠った! 今掠った! たっ、助けてーッ!」
ヒュンッ、と空を切る音が背後から聞こえ、思わず絶叫する。肌には当たらなかったが、服が切れた感覚があった。
どういう原理なのか、力を入れてしがみついているようには思えないのに、私の肩に前足を引っ付けたまま派手に上下に揺られているヘーゼルは、これまたどうやっているのか、滑らかな滑舌と発音のまま言う。
「実戦経験を積む良いチャンスじゃないか。せっかくだし、権能を使って戦ってみたらいいんじゃないかい?」
「ふっざけんなこの毛玉畜生!! こちとらただの一般ピーポー、戦闘の心得なんか知るかボケカスコラァ! 勝てるわけが無かろうが!!」
「舌戦だったら勝てそうな罵倒っぷりだねぇ」
「それよりお前、自称神様ならこの状況何とかしていただけませんかね!?」
「君はどうせ生き返ることが出来るんだし、ゾンビアタックだって出来るじゃないか。僕が手出しする程のことかい?」
「手出ししてもらわなきゃ困る程のことなんだよ! 死亡体験なんて人生で一度だけで充分じゃい!」
「仕方ないなぁ」
ヘーゼルが呑気にため息をついた瞬間、ガキンッ! と左側から金属がぶつかる音が鳴り、青い火花が飛び散った。
振り返ると、薄く発光する透明な青白い壁のようなものが消えていく光景と、その向こうに、体勢を崩して驚いたような表情をした少年が見えた。
状況から、私はおおよそ何が起こったのかを察してしまい、腹の底から恐怖で絶叫した。
「ッアーーーーー!! 当たってた! 今の絶対当たってたやつでしょこれ!」
「そうだね。防壁を張ってなかったら、君もどこぞの鬼と同じ運命を辿っていただろうね」
「パワハラああああぁぁぁぁ!!」
三十年生きてて初めて知ったことだが、私は生命の危機に瀕すると、滅茶苦茶口を回し叫ぶタイプの人間らしい。
こんなうるさい叫び声を上げたら近隣住民の方々にご迷惑をおかけしてしまうことになるだろうが、生きるか死ぬかの瀬戸際でそんなことを気にかける余裕が無いので、住民の方々には諦めてもらうしか無いだろう。というか諦めるより先に騎士に通報していただきたい!
動揺で足下への注意なんて完全に忘れていた私は、煉瓦道特有の段差に躓いてしまい、盛大にバランスを崩しすっ転ぶ。
その拍子にヘーゼルの体がぽいんと宙に浮き、私の肩から離れてしまった。
「ヘーゼル!」
コロコロと転がって私から遠い所で止まったヘーゼルは、砂埃にまみれた顔で「あ、やっべ」とでも呟いていそうな脳天気な表情をしていた。
どうやら彼自身は大丈夫らしいが、ヘーゼルが私から離れたということは、防壁を張ってくれる仲間が居なくなったということで。
要するに、今の私は完全に無防備な状態というわけで。
振り返った時には、少年は既に私に追いついており、刀を振り上げていた。
そんなことをしても意味が無いというのに、反射的に頭を庇うようにいて蹲る。襲い来るだろう激痛と死に、固く目を閉じて身を強ばらせた。
しかし、私の予想に反して聞こえてきた金属同士のぶつかる音に、はっと顔を上げる。
薄暗い黄昏時にあって尚まばゆい緋色。風に吹き上げられてはためく純白と赤のマント。
白刃で鈍色の刃を受け止めたその人物は、よく通る声で叫んだ。
「怪我は無いか!?」
ジュリアだ。助けに来てくれたのだ。
その事実に安心してしまったのか、一気に自覚してしまった襲ってきた疲労感と息切れのせいで声が出ない。代わりに頷いて、ガタガタと震える手でサムズアップをしておいた。
「邪魔すんなや」
「彼女に怪我をさせるわけにはいかないのでな」
ジュリアが白刃を捻り、軽々と少年を弾き飛ばす。
少年は猫のようなしなやかな動きで勢いを殺しながら体勢を整えるが、ジュリアは既に次の手を打っていた。
「est terra mergo!」
詠唱が終わった瞬間、少年の足が泥と化した地面へと沈む。だが、少年は一切の動揺を見せず、そのまま足に力を込め――紫電が走り、足に絡みつく泥なんて始めから無かったかのように空高く跳躍する。
「飛んだ!?」
「闇属性の
戦い慣れているジュリアは動揺どころか隙すら見せず、即座に追撃をしようと呪文を紡ぐ。
一方の私は、通常の人間ではありえない跳躍力に呆気にとられたが、すぐに空中に逃げてどうするのだと疑問が浮かんだ。
羽の無い生物は身一つで空を飛ぶことが出来ない。空中に逃げ道なんて無いのだ。
しかしその疑問には、一瞬で答えが出た。
少年は空中で身を捻ると、当然のように何も無い空間を足場に、先程見せた跳躍の勢いを突進へと変え特攻を仕掛けてきたのだ。
「何だと!?」
「空気を足場にした!?」
さすがのジュリアも驚きを隠せず、詠唱を中断し剣で攻撃を防ぐ。
オサレ死神漫画でよく見た光景ではあったが、この世界にアレに似たような技能があるなんて初めて知った。少なくとも、既存のプロスタ作品では一度も出てきていないはずだ。
「邪魔じゃ、去ね」
少年が横薙ぎに刀を振るう。ジュリアは白刃で受け止めようとしていたが、何かを察知したのか、受けずに飛び退いてその刃を躱した。
その行動に、私は少しだけ違和感を感じた。
ゲーム内の通常ジュリアは性能的にタンク役で、回避では無く、とことんガッチガチに防御力を上げて真正面から受けるタイプだ。別衣装でも、多少攻撃面に性能が寄っているとはいえタンク性能であることには変わらず、回避に関するパッシブスキルは一切無い。
つまり、余程のことでも無ければ受け止めるはず。それなのにわざわざ避けるということは、
子供の体で発揮できる力では、がっつり鍛えている心身共に健康な十八歳女性に敵うはずが無いし、今でこそキビキビ動いている少年だが、襲いかかってくる前は立っているだけでもふらついていて今にも倒れそうだった。ジュリアが攻撃を受け止められない程の力があるようには思えない。
何か特殊な攻撃でも仕掛けたのか、それとも他の何かがあったのか。私には分からなかったし、もし理解出来たとしても、臨場感しかない戦場に腰を抜かして動けなくなってしまった私は、呑気に歩いて私の元に帰ってきた壁張り要因ことヘーゼルを抱き寄せて、呆然とその光景を見ていることしか出来なかった。
少年の背後から、数人の人影が駆けてくる。見るからに騎士然とした風貌の彼らの鎧は、落ちきった日がわずかに残したオレンジ色の光を鈍く照り返していた。
「団長!」
一人が声を上げる。想像していた通り、彼らはジュリアの部下らしい。
「この少年が例の殺人犯だ! かなりの手練れだ、子供だからと侮るんじゃないぞ!」
「はっ! 皆、団長を援護しろ!」
ガシャガシャと鎧を鳴らしながら騎士達は少年を包囲し、剣を構える。駆けつけた数人は私の近くにやって来て、少年との間に入って壁を作るように護衛態勢に入った。
「うっさいハエが沸いて来よった……」
忌々しそうに顔を歪めた少年は、舌打ちを一つして、泥の中から跳躍した時のように高く跳ねて近くの木の上に飛び乗る。流石に両手で数えないといけない人数相手は不利だと悟ったのだろう。
少年は血のような色の目でジュリアや騎士達を見下した後、最後に私に視線を向けて、にぱっと無邪気な笑顔を見せてひらひらと手を振った。
「ねえちゃん、次はちゃんと殺しちゃるけんね。ほいじゃ、またの」
少年はそう言い残すと、獣のような素早さで何処かへと走り去ってしまった。
「第一部隊は追跡! 第二、第三部隊は周囲の警戒! 絶対に逃がすな!」
ジュリアが即座に周囲の騎士達に指示を飛ばし、彼らは慌ただしく動き始める。
そんな中、唐突に終わりを告げた戦闘に呆然としていた私は、守ってくれていた騎士さんが声をかけてくれるのにも気が付かず、きびきびと指示を出しているジュリアを見つめたまま固まっていた。
この時の私は、頭の中が真っ白で何も考えられず、一段落ついてジュリアが声をかけてくれるまで、ぼんやりと動き回る騎士さん達を眺めているだけだった。
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