16 推しカプは世界一の精神安定剤
騎士達に指示を出し終えたジュリアは、未だ座り込んだまま呆然としていた私の元に歩み寄ると、膝を着いて目線を合わせた。
「遅れてすまなかった。安心しろ、もう大丈夫だぞ」
ジュリアはマントを外し、それを私の肩へとかけてくれる。
それをきっかけに気付いたが、どうやら私は相当緊張していたらしい。かなり強く抱きしめてしまっていたせいでヘーゼルが苦しそうに私の手に爪を立てて地味に痛かった事と、それ以上に派手に転んだ時に擦り剥いたらしい掌や膝の痛みを今更ながらに自覚した。
痛みを自覚し始めると、同じように今更震えが止まらなくなった。
ジュリアが助けに来てからは感じていなかったが、命を脅かされ、下手したら死んでいたかもしれない状況を、逃げ回っていた時とは違い冷静に考えられる状況だからこそ、より深く恐怖を理解してしまったのだ。
息切れはもう収まっていたはずなのに、呼吸が荒くなる。私の冷静な部分が「これ過呼吸になるぞ、落ち着け」と訴えてきたので、数秒呼吸を止めてから息を吐ききった。
他人から見たら相当酷かったのだろう。ジュリアは優しく私を抱き寄せると、背中を擦ってくれた。
その温もりが優しくて視界が滲む。鼻の奥がツンとする。
いけない、我慢出来ないと判断した私は、一瞬で我慢の限界を超えそうになった涙をこぼさないように、せめてもの抵抗で瞬きをしないまま、震える声で言った。
「と、年甲斐も、ないけど、な、泣いて、いいっすか」
ジュリアは一瞬動きを止めたが、ゆっくりと体を離すと私にかけてくれたマントを掴み、頭から覆い隠すように頭から被せてきた。
そのせいで顔が下に向いてしまって、一生懸命我慢していた涙が零れてしまった。
「これで泣いている姿を見られることは無い。もう我慢しなくていいぞ」
そう言って、もう一度抱きしめてくる。鎧が当たって少し痛かったが、彼女の気遣いに、更に涙が溢れてしまう。
一度崩壊した涙腺は次から次へと涙を出してきて、もう留まるところを知らなかった。
「お、大人なの、にっ、な、さげない、姿、見ぜで、ごめ……っ!」
「そんなこと気にする歳でもないだろう」
「三十に、なるっ、おばざん、でずうぅぅ……!」
「汎人で三十!? そ、それは確かに恥ずかし……いや、気にすることでは無いと思うぞ、私は」
ジュリアは情けなくしゃくり上げて泣きじゃくる私の背中をポンポンと叩き、落ち着くまで宥めてくれた。
早く泣き止まなければと内心焦っていた私は、脳内で同棲ウォルイのえっちな性活の妄想をして涙を引っ込めることに成功した。
毎日行われる叡智に体が誤認識をして時季外れの発情期を引き起こしてしまい、治すために叡智を控えるのだが、本番まではしないものの、日常のボディータッチでギリギリ性的なようでそうでないような、やっぱりちょっと性的な触り方で焦らしまくるウォルター。
発情期な上に、毎日のようにえっちなことをされていたルイちゃんにはそんな日々が大変辛く、最終的に自分からおねだりしてしまうが、実はそれはウォルターの掌の上で転がされていて……的なシチュエーションでの妄想だ。
ありがとう推しカプ。ありがとう
別に意図してえっちな妄想にした訳では無い。少し前に読んだ生物学や医学の知識に妄想が引きずられただけである。
だって獣人や鳥人の発情は耐え難いものだっていう記述があったんだもの。
奥手でそういうことに自分からお誘いなんてしなさそうな誘い受け適正ゼロのルイちゃんが本能に負けてエッチなお誘いをするとか最高じゃん。
行為の頻度が多すぎると発情期異常が起こるっていう情報も大変ありがたい。サディストで狡猾なウォルターなら普段の奥手なルイちゃんに自ら恥ずかしいアーンなことをさせたがるに違いないので、わざと発情期異常を起こしてそういうことをさせようとするに違いない。私は詳しいから分かるんだ。
それと、これも調べて分かったことだが、汎人以外の異種族同士だと妊娠確率が非常に低くなるらしい。獣人や鳥人なら発情期だと多少授かりやすくなるらしいとも。
妄想の幅が広がりますねぇ……。
泣き止めたしメンタルも回復した。やはり推しカプは一番の精神安定剤だ。
幸いにもそこまで長い時間号泣していた訳ではなく、時間にしたら五分もかかっていないだろうし、醜態を晒すのは必要最小限で済んだと思う。
「無様な姿を晒してしまい誠に申し訳ありませんでした……」
「気にするな。ほら、鼻をかめ」
「後で洗って返します……」
私が泣き止んだと気付いたジュリアは、赤い薔薇の刺繍が入ったハンカチを差し出してきた。
高そう、というか実際高級だろうハンカチを鼻水で汚すのは忍びなかったが、こんな鼻水垂れ流し状態の顔をイケメン比率の高い騎士さん達に見せるわけにもいかず、なるだけ音を抑えて鼻をかむ。
三回くらい洗ってから返そうと心の中で強く決意した。
ハンカチを受け取る際に、ようやく私の壁張り要因絶対逃がさないホールドから抜け出せたヘーゼルが不満そうにひとしきり文句らしき鳴き声を上げた後、すっかりぺしゃんこになった毛を元のふわふわに戻すために体を震わせた。人前なので鳴き声での抗議だろうが、何となく何を言ってるのかは察した。
私だって精神的にいっぱいいっぱいだったんだ、今回ばかりは多めに見て欲しい。
気が付けば完全に夕焼けの名残も無くなってしまったというのに、周囲はザワザワと騒がしい。見渡してみると、野次馬が集まっているようだ。
騎士さん方が近づかせないようにしているが、このままこんな道のど真ん中で座り込んでいるのは迷惑になってしまう、というかもう既に迷惑になっている。騎士さん方の仕事の邪魔にもなっている。
慌てて立ち上がろうとして、足に力が入らずふらついてしまい倒れそうになるが、ジュリアから支えてもらって事なきを得た。
「立てそうか?」
「立ちます」
「無理はしなくて良い……いや、本当に無理をしないでくれ。手を貸すから。生まれたての子ヤギみたいになっているぞ」
自分でも乾いた笑いが出るくらいには膝が笑っていて仕方が無い。こちらの世界では子鹿ではなく子ヤギと称するんだなぁ、なんて呑気に脳内では考えていたが、子鹿にせよ子ヤギにせよ、そう思われるくらいには他人から見てもあからさまにガクブル状態になっている。
情けないことにジュリアの手を借りてようやくマトモに立ち上がった私の姿を見て、ジュリアは私の怪我に気付いたようだった。
膝はズボン越しだし、今日は暗い色のものを履いているので血が滲んでも気付きにくいが、転んだ時に思いっきり擦ったのがわかるくらい土汚れがついていたからだろう。
「結構派手に擦り剥いているみたいだが、痛くないか?」
「これ以上醜態見せたくないですし、この歳になってこの程度の怪我で痛いとか言ってられないです」
「そ、そうか……ともかく、早めに治療を施した方が良いだろう。ノルトライン卿、頼めるか?」
呼ばれたことに気付いた部隊長らしき騎士さんが、仕事を中断してこちらに来る。
ジュリアと同じくらいの身長の若い青年で、日が沈んで薄暗くなっているせいで一瞬黒髪に見えたが、よく見ると暗いグレーの髪だった。瞳の色は水色に近い青で、ジュリアと並んでも見劣りしない正当派クール系イケメンだ。
常々思うのだが、この世界の人は基本的に顔面偏差値が高い。流石二次元だ。
「すみませんが、足を露出していただいても? 治療をするだけですし、マントで周囲には見えないようにしますのでご安心を」
「え? あ、はい、別に構いませんけど……」
「では失礼します」
何でそんな許可を求めたのか一瞬謎だったが、そういえばこの世界では足――正確に言うなら太股――が性的であるとされていることを思い出した。
基本的に女性の服はロングスカートやロングワンピースだし、短くても膝よりちょい下程度。膝丈のスカートやワンピースでも生足だと露出度が高いとされていて、靴下や肌の透けない厚さのタイツを履くのが主流である。
もし現代の美少女イラストでよく見かけるパンモロしそうな丈のデザインなミニスカートでも着ようものなら、痴女だと指さされ、夜の花を売る店の店員でもなければ公然わいせつ罪で連行されてもおかしくない。
下手したらリクルートスーツ姿でも「なんて破廉恥な!」と言われてしまいかねない。
そもそも私やジュリアみたいに、足のラインが出るパンツスタイルで過ごしている女性なんて、冒険者でも珍しいくらいだ。
ともあれ、そういう異世界文化もあって、一応生物学上は女である私にお伺いを立てたのだろう。
流石は騎士様、律儀なことだ。
若い騎士さんは手の怪我を見てから、マントで周囲には見えないよう隠しつつ膝の傷を見ると、少し考えてから、手をかざしてスペルを発動させる。
「est aqua clarus」
彼がそう唱えると、何も無い所から水が現れて傷を洗い流す。
少し滲みて、乾いてきた傷口が濡れたことで再び血が滲み始めた。
「est aqua sanatio」
しかし、次の呪文で傷口の痛みも殆ど無くなり、綺麗さっぱりとはいかないが傷は殆ど塞がった。
「水属性のスペルで対応出来る擦り傷だけで良かったですね。もっと深い傷だと、治癒師を呼ばないといけないところでした」
ゲーム内での回復系スペルの多くは光属性で、その次に水か火だ。
特に気にしたことは無かったが、ゲーム内における水属性の回復スペルは攻撃を受けた際に回復するという効果のものが多かった。今使ってくれた呪文も、光属性のような即時回復だったり、火属性のような毎ターン最大HPのウン分の一回復という性能ではないから、本来こういった事後手当には向かないのかもしれない。
「ありがとうございます」
「仕事ですから」
礼を言うも、外見だけで無く態度までもクールな騎士さんは表情一つ変えずに立ち去っていった。クールはクールでも、冷たいの意味のクールさだった。
ひんやり塩味の対応についしょっぱい顔をしてしまっていたらしく、そんな私を見て、ジュリアはこらえるように肩を震わせていたのだが、その時の私は気が付かなかった。
その後、事情聴取を受けたり人相を伝えたりして、全てを終えて家に帰る頃には、既に日はとっぷりと暮れてしまっていた。
「お帰りなさ――ちゅああ!? ど、どうしたんですか!?」
「だいじょうぶ、なんでもない」
私の姿を見るや否や、ルイちゃんは血相を変えて駆け寄って来る。
条件反射で大丈夫だと答えたが、残念ながら散々泣いた後なので目元は熱っぽくてもしかしなくても腫れているだろうし、転んだせいで服は汚れてしまっている。何より未だに止まらない鼻水が詰まって、鼻をつまみながら話しているような鼻声になっている。
頭は冷静だが、ぱっと見と声を聞く限りだと全然大丈夫では無いだろう。
「濡れタオル持ってきますから、ソファーで待っててください」
「いいよいいよ、放っておけばそのうち治りますし」
「駄目です。ちゃんと冷やさないと、明日も腫れたままになっちゃいますよ?」
「そうだぞ。折角の若々しい顔立ちなんだ、そのままだと勿体ない」
少し遅れてジュリアが室内に入って来ると、ルイちゃんは目を丸くして驚く。
「あれ? ジュリアちゃん、トワさんのこと送ってくれたの?」
「少し事情があってな」
一応、ジュリアには事前に「今回のことは自分の口から伝える」と伝えている。
ルイちゃんは心配性なきらいがあるので、直球で伝えてしまいがちなジュリアに任せるのではなく、自信は無いがオブラートに包める私の口から伝えた方が良いだろうと考えたからだ。
「若々しいかはともかく、確かにお客さんに見せられる顔じゃないですからね……。じゃあ、お願いします。後、痛み止めをね……ご飯はジュリア様が帰ってから食べます」
「はい、わかりました」
実を言うと、薬の効果が切れてきたのか、徐々に下腹部がねじ切れそうな痛みが戻ってきていた。
本当なら食後に服用する方が良いのだろうが、流石にお客さん、それもお貴族様の前で呑気にご飯を食べる訳にはいかないし、何より、あんなことがあった後で、食欲が湧かなかったのだ。
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