14 見知らぬ子供
書庫に案内された私は、メイドさんに一言礼を言ってから、早速医学書の棚から解剖学の書籍を、そして生物学や歴史学、人類学の棚から気になったものをいくつか取り、近くにあった机にどんどん積んでいく。最終的に八冊ほど確保したので、まずは適当に目に留まった解剖学の本を読むことにした。
目次から目的のページを探し、開く。
「ほう……ほう? なるほど? はーん鳥人種って男は都合良くブツが……」
「そんな風に調べるより、僕に聞くか、君に入れた情報から検索する方が早かったと思うよ」
「……確かにそうだわ。まあまあ、久し振りに本を読みたかったし、多少はね?」
ヘーゼルに指摘されて初めてその発想に辿り着く。
が、活字を読みたかったのは本当の話なので、結果オーライということで自分の中で片付ける。
しかし、何度見ても何が書いてあるのかわからない異世界文字なのに、目を通すとその意味が脳裏に浮かぶというのは、少し気味が悪い。脳に直接データをぶち込まれているようだ。
集中していればさほど気にはならないが、こちらの文字で文章を書く時も勝手に手を動かされてるような感じで、意識しすぎると脳がバグってしまいそうだ。
本を読みながらぼんやりとそう思っていたが、とある驚愕の事実が目に入り、そんな思考は一瞬で霧散してしまった。
「ヴァッ!? アッアッ、こ、これは……ハォーン……なるほど……そういう……つまりルイちゃんはえっちな体しているということですねわかります……あっちょっと待ってもしかして……!?」
とある疑問を解決するべく、急いで生物学の本を開き目的のページを探す。
調べ初めて三冊目。そこに、私の求めていた答えが載っていた。
「……発情期が、ある。なるほど三ヶ月から四ヶ月に一度。二次創作をするオタクに優しい……大変スケベで賞にノミネートされますわこんなん……ありがとう世界、ありがとう公式……素晴らしい……素晴らしい……」
そうして時間を忘れて知識の探求に勤しみまくった結果、あっという間に日が暮れてしまっていたらしく、周囲は薄暗くなっていた。ヘーゼルから声をかけられるまで気が付かなかった。
メイドさんから「もう遅いですし、お送りします」と言われたが、流石に迷惑だと思って断った。
ルイちゃんの家は多少離れてはいるけれど、日が落ちきる前には帰れるだろう。
だが現代日本とは違って、この世界は野盗だの盗賊だのが普通に存在する世界。異世界人の私からしてみれば、お世辞にも治安が良いとは言えない。
最近は殺人事件も起きているらしいし、警戒するに越したことはないだろう。
早足でルイちゃんの家に帰っている途中、ふと、少年の姿が目に入った。
普通の子供だったら「こんな時間に出歩いているなんて危ないなぁ」としか思わないで、そのままスルーしていただろう。だが、素通り出来なかったのにはいくつかの理由がある。
一つは、その子供がやけに汚れていたから。服はあちこちが破けてぼろ切れのようになっていたし、泥や何かのシミがついていた。
二つ目に、その足取りが覚束なかったから。前述のことも相まって、恐らく孤児なのだろうと推測出来る。まともな食事も取れていないのか、あるいは体調を崩しているのか。どちらにせよ、衰弱していることは容易に想像出来た。
最後に、その子が黒髪だったから。
この世界での黒髪は異世界人、または勇者の血を引くか勇者の素質がある人物、そして
最初は飛花人だと思った。その服装が、袴姿に近い格好だったからだ。
しかし、日本出身の異世界人や飛花人だったら茶色がかった黒髪のはずだが、この子の髪は射干玉の黒髪とでも表現するべきか、光に照らされると青みがかって見える黒髪なのだ。
もしかしたら薄暗いせいでそう見えたのかもしれないが、この時の私には「勇者の黒髪」に見えたのだ。
だからつい気になってしまって、声をかけた。
「ねえ君、こんな暗いのに出歩いたら危ないよ」
ふらふらと覚束ない足取りで歩いていた少年は、ゆっくりと顔を上げて、少し時間をかけて私に焦点を合わせる。
淡く発光しているように見えてしまうほど鮮やかな深紅の瞳に、「ああなんだ、この子は勇者では無かったか」と安心する。
この世界での勇者は、青みがかった黒髪に、深い青の瞳をしている。
だから、深紅の瞳である以上、この子は勇者ではないのだ。
一度声をかけてしまった手前、ここでハイさようならとは出来ず、私は続けて話しかけた。
「おばちゃんの言葉、わかるかな? 行くところが無いなら、おばちゃんの家……じゃないけど、おばちゃんがお世話になってる家に泊まる? 流石にずっとは泊められないけど、少なくとも、今日は雨風を気にせずゆっくり寝られるよ。あったかくて美味しいご飯も食べられるよ」
服装から察するに飛花出身だろうと判断した私は、せめて聞き取りやすいようにゆっくりと話しかける。威圧感を与えないように、少し屈んで、目線を低めにするのも忘れずに。
ルイちゃんに相談もせずに聞いてしまったが、ルイちゃんはお人好しを絵に描いたような人なので、事情を話したら了承してくれるだろう。
少年は聞いているのか聞いていないのかよく分からない表情で私の言葉を聞いていたが、ふらりと距離を詰めて、ようやく口を開いた。
「ねえちゃん、良い人なん?」
かなり訛った発音だ。それと、どこか聞き覚えのある声質だった。
訛りは恐らく、他国出身だからというのがあるのだろう。だが、この聞き慣れたように感じる声は、一体どこで聞いたのだったか。
「悪い人じゃないけれど、良い人でもないよ。一人で歩いている子供を放っておける程、薄情ではないだけだよ」
私は素直に答える。
私は性善説も、性悪説も信じていない。
前者に至っては、性善説を信じていると普段から公言する人と一時期ツブヤイター上で交流があったのだが、彼女が呟いたネタに便乗した呟きをしただけで「ネタパク! 無断転載! この犯罪者!」と訴えたら確実に有罪確定レベルの罵倒をされ続けたことがある。
それ以来、性善説というものは一切信用していない。そんな人から絡まれた身としては、性善説より性悪説の方がよっぽど説得力があると言わざるを得ないのだ。
嫌な思い出に思考を取られてしまっていたことに気づき、慌てて首を振る。
少年に変な目で見られていないか焦ったが、少年は何を考えているか分からない顔でじっと私を見つめていたままだった。
「嬉しか」
少年は唐突にへにゃりと笑って、少年は自然な動作で私の腕に体をすり寄せてきた。
ちょっと臭い。濡れた捨て猫と同じ匂いがする。だが、思っていたよりは臭くなかった。
こういう時は手を繋いだ方が良いのだろうか、と考え、手を差し出す。少年は訳が分からない様子で首を傾げたが、「手、繋ごっか」と言うと、ぎこちなく私の手を取った。
そのまま「こっちだよ」と手を引いて、子供の歩幅に合わせてゆっくりした歩調で歩き出す。
「ねえちゃんみたいな人に会ったん、初めてじゃ」
「私みたいな人なんて世の中に沢山居るよ。私よりお人好しな人だってね」
むしろ、どちらかというと薄情な方だと自分では思っている。極論、自分さえ良ければそれでいいのだ。
この子を見捨てておけなかったのも、後々野垂れ死にでもされたら後味が悪くなるから、それなら多少面倒でも手を出しておこうと思ったからだ。
やって後悔するより、やらないで後悔した時の方がずっと辛いのだから。
「おい、ねえちゃんのこと好きじゃ。ずっとおいと一緒にいてくいる?」
「それは無理だよ。おばちゃんは自分の家だって無いし、子供を養えるようなお金も無いから。でも、君が暮らしていけるような所を探すお手伝いは出来るよ」
「嫌じゃ。おい、ずうっとねえちゃんと一緒おる」
「え、ええ……ご、ごめんね? 無理なものは無理だから……」
「や」
「ええ……」
痛いくらいに強く手を握られる。両手でしっかりと、逃がさないようにでもしているように思える。
こういう時、子供が好きな人や保育士さんならば対応出来るのだろうが、残念ながら私は子供が苦手な上に根本的には陰の者なので、どう答えればいいのか分からない。
それに、子供の考えていることはよく分からない。コミュニケーションギャップが激しすぎてマトモな交流が出来ないのだ。私は間違いなく子供を産んではいけないタイプの人間だろう。
人間ならば必ず一度は通った道であるはずなのに、今では当時の思考回路を思い出すことが出来ないのは、大人になった悲しさと切なさを感じてしまい、そこはかとなくおセンチな気分になってしまった。
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