一話 吸血鬼-7
マンションに帰ってくると床に男が転がっていた。一見したところ薄汚れたサラリーマンといった感じで整然とした部屋からは浮いていてシュールな感じだ。
「吸血鬼だと思われる男。正確に言うと巷で吸血鬼だと騒がれている男はこれだと思われます」
そう言って彪は軽く爪先で男を転がした。
「やめろっ、俺が何したっていうんだ!」
男は喚くが彪の冷ややかでありながら奥に炎が揺らめいているような目と視線が合うと押し黙る。
「何をしたか。それは自分が一番よくご存じなのでは?」
腕を組んで男を蔑むように見下ろした。
じいっと白雨は穴が開くほど男を見つめている。
その目が青く燐光を放っているように京一は見えた。
ゴシゴシと目を擦る。
気のせいだろうか?
白雨は目を閉じるとゆっくりとまた開いた。
形のいい睫毛がわずかに揺れる。
ゆるゆると白雨は首を振った。
そして静かに言う。
「違います。『吸血鬼』はこの人じゃない」
「まず、伺いましょう。彪さんは何をもってこの人を吸血鬼だと思ったんですか?」
自分の推測を否定されたからだろうか、険しい顔をして彪は携帯電話の画面を白雨のほうに向ける。後ろからそっと京一も覗きこんで、写真を見て目を見開く。
それは冷蔵庫だと思われる場所に並べられた大量の血液パックだった。
「とある筋から情報がありましてね。この男の自宅の冷蔵庫に保管されていたものです。もちろん正規のルートのものではありません。だとしたら、これはどこから持ってきたんでしょうね?」
皮肉げに彪は言う。答えはわかっていると言っているも同然だ。
「先走りしすぎではないでしょうか?」
「は?」
白雨は落ち着いてそう言って、逆に彪の顔はさらに険しくなった。
「仕舞ってあったというだけではこの人が血液を直接採取したという証拠になりません。それ以前に女性に危害を加えたのかも。自分が行ったことについて何か喋りましたか?」
白雨の方が話しやすいと思ったのか、男が縋りつく。
「そうだ。俺は何もしちゃいない!」
ぐっ、と男の声が詰まった。彪が背中を上から踏みつけたのだ。
「この通りですが、犯人自らわざわざ自分がやったと馬鹿正直に話す者はいないでしょう。それでも違法な手段で血液の斡旋をしていたことは確かなのは分かっています。これが証拠の書類です」
テーブルに積んであった書類を手に取る。
「拝見します」
白雨は書類を手に取った。
「けっこうな枚数がありますね」
白雨は眉を寄せる。それだけの被害者がいるということか。
「その書類も部屋に隠してあったものです。この男は私腹を肥やすために他人のものを搾取していたんですよ。こんな輩がいるから不当に傷つけられるものが出てくる」
彪は射抜くような怒りの視線で男を見据えた。
「
「彪さん」
静かな口調で白雨は言う。
「この人の個人情報がわかるものは何かありましたか」
「免許証と社員証がありましたが」
「見せていただいても?」
彪がカードを白雨に渡す。
「
スッと白雨の目が細くなる。
「聞きましょう。あの血液を違法に入手したというのは間違いありませんか?」
男は観念したように言った。
「たしかに受け取って保管していたのはそうだが……。ただ貰ったものを流していただけだ。それがあのニュースで襲われたという女性たちからのものだとは知らなかった。誓っていう」
ちらちらと彪の方を見ながら男は早口で話した。
彪は胸の前で両手を組んで壁にもたれかかるとただ黙して男の話を聞いていた。
「成程。つまり、悪いことだということは知っていたんですね」
白雨の目が妖しく光る。
「ああ。反省してるよ。だからこの縄をほどいてくれ」
男の手にはがっちりと縄が食いこんでいて、芋虫のように這って動くことしか出来ないようになっている。
「誰からあの血液を受け取っていたのか答えていただけますか」
一応問いかけの形だが、白雨の口調は有無を言わせない雰囲気だった。
「わ、若い男だった。そこの男とあまり変わらないくらいの年代の……。いや、もう少し若かった気もするが」
そこの男で田代は彪を見る。
京一の見た感じ彪は二十代なかばくらいだ。
だとすると、若手の会社員か学生くらいだろうか。
次にやっと京一に気づいたのか震える声で言った。
「むしろそいつくらいの歳だ。体型はもっとひょろっとして青白い感じだったが……。な、なあこれだけ話せば解放してくれるだろ?」
男は媚びるような視線で白雨を見上げる。
「警察に突き出したりしないよな?妻と子どもがいるんだよ。金を稼ぐためには仕方ないだろ?分かってくれるよな?」
こんなやつにも子どもがいるのか。
余計に京一は胸くそが悪い気分になった。
男を見る白雨の目が細まったのが京一は見えた。これまでは見たことのない表情だったが白雨も不快そうだ。
「勘違いしないでください。貴方を弁護する気はありませんよ」
しかめた表情がふっとかき消えていっそ清々しいような貼りつけた笑顔になる。
「それは僕の役目ではありませんし」
その声は男に向けた感情の温度が感じられずやけに冷たく聞こえた。
ああ、と京一は思う。
やはり白雨も地獄からの使者なのだと。
そう思い知ってしまう。
「大小に関わらず罪を犯した人間にはそれを償う必要があります。よって、僕たちはこの場合においては……あなたを警察に引き渡す必要がある」
そこまでは黙って聞いていたがまた男が急に喚き出す。
「おい聞いてねえぞ!素直に白状するなら放免するって言っただろ!」
そう彪に向かって叫ぶ。
「そんなこと言っていたんですか彪さん」
ふうとため息をついて白雨は彪を見る。
「嘘も方便というやつですよ」
彪は肩をすくめた。わざとらしい気障な仕草だが妙に似合っている。
「まあ」
白雨はにこりと笑った。
「あなたのこれからの日々が罪に釣り合うような地獄であることを僕は僭越ながら願っていますよ」
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