一話 吸血鬼-1

 悪夢だ。

 そう思った。

 そうならいいのにと思った。


 スコップで穴を掘っていた。

 土をかき分け、小石をどかし、ひたすらに深く深く。

 広がるのは底なしの闇。

 自分の身長くらいの高さになるまで掘る。

 止めたいのに止まらない。

 手が意思に反して動く。

 一つ、わかっていることがある。

 この墓穴に入るのは自分だということだ。

 いつまでもいつまでも。

 俺は、自分の埋まる場所を掘っている。



 まぶしさに目を見開いた。

 最初に見えた色は白。

 壁も床も純白に染まった広い部屋にいた。

 起き上がると床には毛の長い黒い絨毯が敷かれている。

 部屋の中心、黒の革張りのソファに向かい合うように青年が座っていた。

 一人は黒の短髪に黒スーツ。

 一人は白の長髪に白コート。

 二人とも怖いくらいの整った顔で並んだ姿は現実味がなく、一枚の絵のようだ。

 その時、正面から声がした。


「お目覚めですか」


 異様だ。そして、美しい。

 一目見てそう思った。

 白い着物白い髪の子どもが木製の広い机の向こうのアームチェアから身を乗り出している。

 ニコリと子どもが微笑む。


「気分はどうですか」

「ここは……」


 そう言って奇妙な感じがした。

 なんだ。

 何も思い出せない。見覚えのない場所だ。

 ここに自分は相応ふさわしくない、なぜかそう思った。


「唐突ですが」


 なんでもない話のように、子どもは言った。


「あなたはこれから地獄に堕ちます」



「……は?」


 青年は固まる。

 あ、と白い着物の子どもが言う。


「申し遅れました。僕の名前は白雨はくうです。白い雨で白雨。短い間だと思いますがどうぞよろしくお願いします」


 衝撃の発言に似合わずゆったりと微笑んで少しお辞儀をした。


「あなたの名前は?」

「……俺、は……」


 思い出せない。

 何も、思い出せない。

 頭の中にぽっかりと穴が開いてしまったようだ。


「そうですか」


 床に座っている青年を見下ろして白雨は言う。

 たもとからカードを取り出した。

 何かの身分証のようだ。


あずま京一きょういちさん。京一さんとお呼びしますね」


 勝手なペースでぽんぽんと話が進んでいく。


「地獄に堕ちるって……どういうことだ?」

「えーっとまずなんですが。地獄は知っていますよね?」

「ああ」

「地獄に堕ちるのは罪人です。つまり、あなたは地獄に堕ちるに相応しい罪を犯した」


 目が妖しく光る。

 さながら鼠をみつけて舌舐めずりをする猫のように。

 青年ーー、京一の反応を面白がるように白雨は目を細め小首を傾げる。


「身に覚えは?」


 身に覚えはも何も、全て何も思い出せないのだ。

 自分がどこの誰なのか。

 いや、誰なのかは今教えられたか。

 それでもそれは名前という記号だけだ。

 自分がどんな人間かさえ思い出せない。


「知らない……。何も覚えてないんだ」

「何も?」 


 退屈そうに机を指で叩き始めていた白雨の動きがピタリと止まる。


「自分がどこの誰かも……。そんなのに罪がどうとか言われたって……」

「ふむ」


 白雨が指を組んで顎を乗せる。 


「しかしそれだけではあなたが真実を言っているか嘘をついているかどうかわかりませんね……。でも、ここで嘘をついても特にいいことはありませんし」


 チラリとソファの青年の方に白雨は視線をやる。


「試してみますか?まだらさん」


 黒髪の青年が目線を白雨に向ける。はあ、と息をつくとどこか億劫そうに立ち上がった。

 ずいぶんな長身だ。手も脚も長い。見た目は日本人に見えるが少し顔つきが違うようにも見える。外国人の血が混ざっているのだろうか。

 ツカツカとやってくるといきなり足で京一の背中を踏みつけ、腕を捻り上げた。

 ちなみに靴は履いたままである。硬い靴底が京一にめりこむ。


「なにすんだ……!やめ、やめろ!」


 かなり強い力だ。

 わめくが決して離さない。

 下手に動くと関節がはずれそうだがその前に腕を掴まれている力だけで骨が折れそうだった。

 しばらくそうした後、鼻を鳴らして手を離した。 


「まだ続けますか?」


 彪はいくらかうんざりした声でそう言う。


「いえ。お疲れ様でした」 


 軽くそう言って白雨はひらりと手を振った。

 ため息をついて彪は定位置に戻って座る。

 白雨は淡々とした口調で言った。


「どうやら典型的な記憶喪失というやつみたいですね。そうなったきっかけに覚えは?」

「……知らない」


 なんとか声を絞り出す。


「俺は、何も知らない」


 知らないから帰してくれ。

 どこに行けばいいのかわからないがそれでもここよりはマシだろう。

 いわれのない罪を問われる裁判場のようだ。


「押し問答ですね。らちがあきません」


 トン、と人差し指で机を叩いた。


「では、本題に入りますか」


 まだ本題に入っていなかったのか、と思うと同時に嫌な予感がした。まるで死刑宣告を受ける前のような恐怖。 

 実際にそんな宣告を受けたことはない、はずだが。


「地獄堕ち。回避したいですよね」


 白雨は愛想良く笑う。


「そこであなたに提案があります」


 すっと人差し指を上げた。


「あなたにある仕事をしてもらおうと思います。現世は罪人で溢れています。その中でこれから一ヶ月以内に何人か地獄堕ち予定の人がいます。現在把握しているだけで四人」


 笑みを絶やさず白雨は言う。


「全員人を殺す予定です」

「予定って……」


 そんな不確実な、と京一は思う。


「人はさまざまな罪を犯しますが間違いなくその中で殺人は重罪です。当然、地獄堕ちは確定。そこで提案なのですが」


 まさか、その人たちを殺して回れとか言うつもりではないかと京一は身構えた。

 その予想はある意味外れた。


「この中の一人でも殺人を止めることができれば、あなたの地獄行きを免除しましょう」



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