一話 吸血鬼-2

 話についていけない。

 しかし、一応京一は言った。


「なんで……」

「理由ですか。現代日本は職業によっては人材が不足しているとよく言われていますよね?地獄も深刻な働き手不足といいますか」


 ふうと白雨はため息をつく。

 憂い顔も様になっている。


「亡者で溢れていて大変なわけですよ。だから一人でも地獄行きを阻止したいんです」


 ニコリと笑って言う。


「他人の命を助けて自分の命も助かるんですよ?悪い条件じゃないと思うのですが」


 京一は少し押し黙ってから、重い口で言った。


「もし、失敗したら?」


 消極的な京一の発言に不服そうに眉を上げると白雨は言った。


「始める前から失敗の心配ですか。先が思いやられますねえ。まあ」


 口元は笑っているが目は笑っていない。

 それでもにこやかで軽い口調で続く言葉を言い放った。


「あなたの余生がそこで終わるだけのことです」



 とりあえず汚いので体を洗って着替えてきてください、と失礼なことを言われて風呂場に放りこまれた。たしかに髪も服も土埃で汚れていてぐしゃぐしゃだが。

 広々とした知らない場所はやけに落ち着かなくて手早くシャワーだけして出てきた。

 誰が用意したのか、タオルと着替えがあったのでありがたく使わせてもらう。

 元いた部屋に戻ると白雨は机の上に本を開いて読んでいた。

 白髪の青年も脚を組んで文庫本を読んでいる。

 さきほど京一を踏みつけた……彪だけがいなかった。


「ああ、お帰りなさい。サイズ合ったみたいですね。よかったです」


 京一を見てニコリと微笑む白雨の顔には邪気がない。


「あの、これ……」 

「大丈夫です。出世払いでツケときますよ」  


 そういうことか、と固まる。

 黙したまま立ち上がって京一と入れ替わるように白髪の青年はどこか奥に消えた。

 消えたという表現が的確な、ほぼ音の無い動きだった。

 京一がそれを目だけで追うと、白雨は言った。


「気にしないでください。今はちょっとタイミングが悪いんですよ」


 タイミング?と思うと、別の部屋から彪が出てきた。

 ジロリとこちらを見る目に思わず体がすくんでしまう。その手にはなぜか湯気を立てる皿があった。


「今日はなんですか?」

「……ホワイトシチューですが」


 不機嫌そうに彪が答えてから先ほどまで白髪の青年が座っていたソファを見る。


おぼろは?」 


 朧。

 文脈から考えるとそれがあの白髪の青年の名前なのか。


「行ってしまいました。ご飯の気配を察知したんですかね」

「……チッ」


 今のは舌打ちか。


「冷めないうちに食べちゃいましょう」


 何故だかうきうきと擬音がつきそうな雰囲気で白雨が言う。


「言われなくてもそのつもりですが」


 はあ、とため息を漏らすと向かい合うようにして置かれたソファの間の低いテーブルに彪は皿を置いた。

 朧が座っていた場所のちょうど隣になる位置、彪の正面のソファに白雨がちょこんと座る。

 こうやって見ると背が低い。

 見た目だけだとまだ中学生くらいだ。

 もっとも、先ほど会話した様子からすると中学生の迫力ではないが。

 こいつは何なのだろうと京一は思う。


「京一さんも立ってないでどうぞ」


 白雨が示した先は彪の座っていた隣だ。

 嫌すぎる。



 気まずい。

 スプーンを動かしながら京一は口には出さないがそう思った。

 隣には優雅な所作で食事をする彪がいる。

 怒気を感じるのは気のせいだと思いたい。

 この際気のせいだということにしておこう。

 美味しいですねえ、などと全く雰囲気を読まない口調で話しながら白雨も行儀良く食べている。

 美味しいのかどうかわからないくらい混乱していたので正直味はわからなかったが温かい食事にありつけたのはよかった。薄着で寒空の下を歩いていた体は内からも外からも冷え切っていた。

 あらかた皿が空になったところで言った。


「では今回の事件の話をはじめましょうか。その前に皿を洗い場に持って行きましょう。彪さんが不機嫌になるので」


 たしかにそれは得策ではない。

 彪は余った一皿にラップをかけていた。意外に家庭的な一面だ。

 それはさっき部屋にいなかった朧とかいう青年のぶんだろうか。



 戻ってソファの同じ位置に再度着席すると、白雨は正面から京一を見て言った。


「さて。それでは第一の事件の話をしましょう」


 そこで言葉を区切って、間を空ける。

 京一は背筋を伸ばした。

 黙ると無音だ。この部屋は暖かいが暖房の音さえしない。


「京一さんは吸血鬼を知っていますか?」

「人間の血を吸う化け物のこと……だろ?それ以上のことは知らないけど」


 白雨は頷く。


「まあその認識で概ね合っています。その吸血鬼がこの街に出没するという噂がこの頃出回っています」


 京一は自分に関することは何も思い出せないが、さすがに常識的なことはわかる。

 吸血鬼はファンタジーの中の存在だ。

 そんなことがあるわけがない。


「何でそんな変な噂が出回っているんだ?」

「変な、とは」

「だって吸血鬼なんて存在しないだろ?」

「さあ、それはどうでしょうかねえ」


 妙な含みを持った言い方で白雨は言う。


「まあ吸血鬼の実在の有無は置いておきまして、今回の犯人は人間です」


 白雨は箱を横に置くような仕草をする。


「事件の概要としてはその吸血鬼が人間を襲うそうです。今まで死者はまだ出ていませんが、被害者の血を抜き取るという犯行を重ねています。被害者は事件を重ねるほどに衰弱度が加速しています。今まで誰も死んでいないのは余程運がいいということでしょう」


 血を抜き取る。

 聞くだけで気味が悪いな、と京一は思う。


「今回の案件はその吸血鬼が誰なのかをつきとめて犯行をやめさせることです。死者が出る前に、ね」


 聞くだけで難しそうな案件だ。


「犯人が見つかりそうなヒントとかはあったり……」

「それはありませんね。僕たちも京一さんと全く同じ地点からの始まりなので。でも、一人でやれとは言いません。サポートはさせていただきます」

「本当か」


 それはありがたい。

 ここまでの話で唯一の朗報だといえる。

 わけがわからない状況に放りこまれてその上助けもないとなればお手上げである。


「ふふ。嬉しそうですね」


 口元に手を当てて白雨は笑う。


「それはまあ……」


 不承不承京一が頷いたところでいきなりチャイムが鳴った。

 緊張する。

 誰だ?

 それから、あることが頭をよぎった。

 京一は自らの意志でここに来たわけではない。

 いわば、拉致されて軟禁されているようなものである。

 逃げ出せるのではないか、と思った。

 来訪者に助けを求めれば警察を呼んでくれるかもしれない。最も来訪者が誰かわからないが。


「はい」


 インターホンで彪が答えた。

 先ほどから思っていたがここはセキュリティがしっかりした建物のようだ。雰囲気的には金持ち向けのマンションだろうかと思った。

『あっこんにちは。根津ねづです。ちょっとお話したいことがあるのですが出てきていただいてもいいですか?』

 若い女の声だ。


「わかりました。いま開けます」


 仕方ない、というため息で彪は玄関に向かう。

 その隙に立ち上がると京一は玄関に向かって猛然と走った。

 仮に白雨が追ってきても体格差がある。

 追ってきても力では敵うと思った。申し訳ないという気持ちがないではないが振り切って逃げられるだろう。

 彪が玄関を開く。

 いまだ、と思ったその時だった。

 首筋にナイフが突きつけられた。

 一瞬、何が起こったかわからなかった。

 いつの間にか横に先ほどの白髪の青年、朧が立っていることを数秒遅れて理解した。

 無表情にナイフを京一の首筋に当てていた。

 まるで手練れの殺し屋だ。

 ヒュッと京一の喉が鳴る。

 一歩でも動けば殺される。

 なぜかそう感じた。

 実際ぷつ、と朧はナイフを少し肌に食いこませた。深くはないが血が流れる感触がある。

 それだけで萎縮いしゅくした。

 どうしようもない囚人を繋ぎ止めるような容赦のなさを感じた。

 異変を感じたのか彪は肩越しに振り返った。

 ちょうど彪の体格で来訪者は見えない位置にいる。

 ギロ、と目が動きドアが完全に開く前に片手で京一の顔面を鷲掴みにする。

 京一だけに聞き取れるような小さな声で言った。


「喋れば殺す」


 本気の口調だった。

 その間も無言で朧は動かない。

 ちょい、と服の袖を摘まれた。

 笑顔の白雨が立っている。

 その首が動いて無言で奥を示す。戻りましょう、という合図だというのがわかった。

 京一がよろよろと動くと朧が器用にナイフを仕舞う。手品のようにそれは次の瞬間手から消え失せていた。

 白雨に連行されて奥の部屋に戻る。朧は退路を塞ぐように黙ってついてきた。

 冷ややかな顔をしている朧は彪より恐ろしい雰囲気を感じた。獣、いや蛇に睨まれたかのような威圧感がある。

 根拠のない勘のようなものだが、朧はおそらく京一を殺すことに全く躊躇いがない。仮に殺すまでとはいかなくても動けなくする程度のことは眉一つ動かすことなく平然とやってのけるような気がした。

 それぐらいの、気迫があった。

 力が抜けてソファに崩れ落ちる。

 玄関で来訪者に対応する声がはっきりとではないがここまで聞こえた。そこまで離れた距離ではない。


「根津さんお久しぶりです。アポイントなしでやってくるのは止めてほしいのですが」

「すみませんねえ。丁度この近くを通りかかったもので。ついでに彪さんのお耳に入れておきたいことがありまして」

「ついで、ですか」


 彪の声がやや不機嫌になったのがここまで伝わってきた。

 危ないぞ、と反射的に思ってしまう。

 だが相手は飄々としたものだった。


「いま話題の事件の話ですよ。街中に吸血鬼が現れるって聞いたことあります?その件についてちょっと面白い情報がありまして」


 京一は絶句する。

 計ったようなタイミングだ。


「……どこでその話を?」

「こちらにはこちらのツテがありまして。彪さんだってわかってるはずですよね」

「根津さん、あなたはオカルト記事専門ではありませんでしたか?いつから巷の事件に首を突っこむようになったんです」

「いやー。興味が出たことにはとことん追求していきたい性分でして」 


 悪戯っぽい声だ。

 普通の人に思えるが彪の知り合いであるからにはまともではないのかもしれない。


「それで面白い情報とは?」

「えーっと、事件の犯人像に繋がりそうな有力情報です。あ、犯人って人間みたいですよ?吸血鬼じゃないのは残念なんですが……」

「それはそうでしょうね」


 はあ、と彪は息を吐く。

 相手がテンション高めなので付き合うのに疲れるのかもしれない。


「目撃情報が出たんです。件の吸血鬼の」


 えーっと、と言う。

 紙をめくる音がした。何かを読み上げているんだろうか。


「一番時期が近い事件ですが、若い男が女性を路地裏に引きこむのが目撃されていて、その後女性は死なないギリギリ程度の血を抜かれて道端に倒れている状態で発見されたそうです。事件は何回か起こっていてその度に同じ身長体型の男が目撃されているので同一犯だと思われますね」

「手口が同じですしそう考えるのが妥当でしょうね。それが面白い話なんですか?」

「いやいや、ここからですよ」


 根津は声をひそめた。

 京一もなんとか聞き耳をたてる。


「その男を間近で見た目撃者がいるんですけど、犯人の目は血のように赤く染まっていたらしいです」

「血ですか……」

「どうですか、怪談度が増しませんか」

「あなたも犯人は人間だって言いましたよね?」

「万一ってこともあるじゃないですか」


 どうやら根津は犯人が吸血鬼だったほうが面白いと考えているらしい。

 オカルトが好きな人間ならそれもそうかと思えるが。


「目撃が多い割にまだ犯人は特定されてないんですね」

「そこなんですよ、なんでもいつも黒パーカーを目深に被っているらしいです。そして夜闇に紛れて素早く消える!いかにもじゃないですか」

「パーカーはどうかと思いますけどね……」


 彪は意外とまともな返しをする。


「それと、これまでのパターンだと犯行はいつも夜だけと決まっています。ここもまさに吸血鬼……!」

「根津さん」


 話の切り上げ時だと思ったのだろう、彪が静かに言う。


「これは正式な依頼ではありませんよね?」


 依頼?と内心京一は首をひねった。

 なんの依頼なのか。


「はい」

「それなのにどうして、この話を私のところに持ってきたんですか」

「それはもう、犯人を見つけたら警察に引き渡す前にちょっと取材させていただけないかと思いまして」

「やはりそんな下心ですか……」 


 彪が少しうんざりした調子でため息をつく。


「彪さんなら警察より早く見つけられますよね!なんて言ったって敏腕……」

「そこまで」


 彪は続く言葉をぶった斬った。


「確約はできませんが努力はしてみますよ」

「そんな政治家の言い訳みたいな。でも、期待してますよ」


 根津は屈託なく言って、そういえばと話題を変えた。


「今日靴の数、多くありませんか?たしか兄弟さん?と二人暮らしですよね」


 あくまで向こうは世間話のつもりだろう。

 だが、京一は危い綱渡りのように思った。なんと言い訳するんだろう、と耳をすます。

 彪は何の感情もない低い声で言う。


「ええ。いま丁度来客中でして」

「そうなんですか?それは失礼しましたっ」


 少し裏返った声で根津はそう言う。


「何で先に言わないんですか?

「聞かれなかったもので」

「うわー今の会話聞こえてませんよね?」

「音が響かないので大丈夫ですよ」 


 いや、そのわりにはだいぶ筒抜けだが。

 京一は内心の緊張とは裏腹にそう思う。 


「ですので、次回からはアポなしで来るのは止めてください」

「うう。気をつけます」


 では、失礼します。

 そう言って今度こそ根津は帰るようだ。

 帰らないでくれ、と叫びたかったがその代償にどんな目にあうかわからない。

 京一は口を結んで遠ざかる気配を感じながら黙っていることしかできなかった。

 彪がああ、そういえばと少し笑みを含んだ声で言う。


「好奇心は猫をも殺すと言いますからどうぞお気をつけください」


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